日本語のお経や現代語の祝詞はダメなの?at KYOTO
日本語のお経や現代語の祝詞はダメなの? - 暇つぶし2ch21:名無しさん@京都板じゃないよ
10/10/07 13:07:25
>>11が言うようなことが最大の理由だろうと思う。
で、2番目3番目に、>>12が端的な謂いだが、「荘重さ、厳粛さ」が不足するから、だと。
勿論、後者の「荘重さ、厳粛さ」に関しては、
多分に、イメージの歴史的堆積、語調そのものが持つ「硬さ」に大きく由来するので、
古文調でない表現が、そうした「硬さ」を強く持ち得るようになれば変わってくるかもしれない。
(現に、思わず顔をしかめてしまうほどの硬さでもって書かれた論文や評論というものは存在する。)
やはり最終的には、前者の「リズム(=拍)」の面がネックになるんだろう。(俗っぽく言えば「語呂のよさ」とも言える。)
>>6が触れているが、「和讃」或いはその形式をなぞったものは多くある。
(「和讃」は元々「御詠歌」の歌詞としてのものなので、語呂がいいのは当然とも言えるが・・。)
そして、たとえば白隠の坐禅和讃の読み易さ(語呂のよさ)は群を抜いていると個人的には思う。
具体的には、『どれだけ七五調に収まっているか』がポイントであり、
『現代語での表現は七五調に収まりにくい』ことが、
古文調の方が読み易く・ふさわしい、現代語によるものは「リズム(拍)」が取り辛く・格調が下がる、
といった違和感を生じさせるのだろう。
だから、現代語を使用しても、七五調を押さえることで、かなりそれらしいものにすることは可能なんではなかろうか。
尤も、『七五調を押さえようと思うと、「自然、古文調に近くなってしまう」』という日本語の文化的力学も働くだろうが・・。


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