11/06/11 20:07:34.96
>>699
謝意無き人生か・・。ま、「誰にも感謝せず」というスタンスを貫くならそれもまた良し。
ただ、今こうしてネットが繋がっているのも、見ず知らずの誰か、多くの人の労働・努力、
先人達の研究工夫の上にあるわけで、そうした労苦への感謝を不要とするのか?
ということだよ。即物的利益の話じゃない。
禅系で用いられる「食事五観文」或いは「五観の偈」って知ってるか?
その一つ目は次のような文言だ。
「 一つには功の多少を計り彼(か)の来処を量る 」と。
意訳すれば、
「食物が自分の前へ届くまでの労苦(=功)を思い、又その食物の出所(=彼の来処)に思いを致して感謝する。」
ということだ。
こういう謝意と全く同じベクトルで捉えられているのが「先祖供養」なわけだ。
近代資本主義の合理性で要不要を断じるのは容易いかもしれんが、
そこに何があるのか、何が見出されているから継承されてきたのか、
現代社会の殺伐とした空気は、こうして希薄化或いは消失したてゆく、「心」の領域を蔑ろにしているせいもあるんじゃないか?
貴方はきっと、「お陰様で・・・」という言葉も嫌いなんでしょうね・・。
「別に、あんたの(或いは不明な誰かの)世話になんてなってないからwww」と嗤うタイプでしょ?w