11/07/01 11:54:36.81 G+5UiVsn
>>60
> 日蓮自身の示した基準に従えば、客観的には日蓮の時代は像法としかなりえないのだし
像法であるか末法であるかに関する経文は、一つの目安と考えるべき。
ある年になった瞬間、突如として衆生の機根が変わるわけでもあるまいし。
大聖人が当時を末法と見定めたのは仏眼による。
> 「寿量品文底秘沈の三大秘法」などと言うものが、客観的根拠を欠く主観的な
> 理解に過ぎない。
末法の御本仏・日蓮大聖人の悟りなのだから、お前ごとき不信の輩にわかるわけもあるまい。
悟りに「客観的根拠」を求めるなどアホの考えること。
そんなものでわかるなら、真っ先に科学者が悟りを開くだろうが。
日蓮仏法は「信」によって、仏と等しい功徳を得るもの。
数学の証明問題のように思っても、永遠にわからない。
> いつ、大地を的とするはずの広宣流布なるものが実現するのだよ、妄想君?
未来の果は、最初から定まっているものではなく、創り出すものだ。
仏法は運命論とは違う。