11/06/30 18:27:43.59 GNTXFy+c
>>37
> 追善供養にはやはり塔婆が大事なのです
「板塔婆」は日本特有の習俗であり、仏教本来の教えではありません。
板塔婆は、日蓮大聖人御在世の少し前に、真言や念仏の僧によって、急速に普及されたと言われています。
そこには当然、真言の五輪の種子や阿弥陀の名号(南無阿弥陀仏)が書かれていました。
そのなかで、中興入道が念仏の題目ではなく法華経の題目を顕されたことを大聖人は褒められ、題目の功徳を説かれたのが『中興入道消息』の一節です。
ですから大聖人は、この御書の末尾に『此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ』と仰せられているのです。
したがって、この御書は、“塔婆を立てなさい”と、他宗に基づく風習自体を奨励されているわけではありません。
しかも、中興入道の場合、塔婆を立てたのは、入道自身、つまり在宅の信徒の側であって僧侶ではありません。
まして、現宗門が主張していることに合わせれば、いわば信徒が僧侶抜きに勝手に立てた塔婆を大聖人がほめられたことになります。
結局、大聖人は信徒に“塔婆を立てなさい”とは記されていません。事実、御書には信徒が塔婆供養をした例は中興入道しかありません。
四条金吾や富木常忍、池上兄弟、南条時光にも勧められていません。
まして、大聖人御自身、亡き師・道善房のために塔婆供養をされることなどありませんでした。
要するに、“塔婆は故人の追善供養のために不可欠”とする現在の宗門の論理では、大聖人の主要門下の肉親は成仏しなかったことになります。
以上のように、塔婆供養とは、あくまでも大聖人の仏法の本質などではなく、現在の日本の社会習俗にすぎないのです。