10/12/14 21:32:08 h945YNxT
>>232>>234
レスありがとうございます。
御書全集(創価版)88ページ 「右我が朝は神国なり神道を敬うを以て国の勤めと為す。」という大聖人のお言葉は
学会の解釈ではどう読めばよいのですか?
「国の勤め」であって国民の勤めではないということでしょうか?でもそのことをもって一向専修(念仏)を批判しているのだから、
大聖人は神道をお認めになっているように読めなくもないと思うのですが?どうして神道が仏敵なのでしょうか?
神天上の法門がその理由、という答えもあろうかと思いますが、神々がおられないのなら、竜の口法難の際、鶴岡八幡宮に
向かって叱咤された大聖人の行動はどう説明できるのでしょうか?「善神国を去り」は比喩であり、その意味は、正法に帰依
しなければ善神も法味を得ることができず、役に立たないということを大聖人は仰っているのではないでしょうか?
学会の考え方でよいので、教えていただけたらと思います。自分で御書を読んでいると、上記のような疑問が出てくるのです。