11/02/06 16:38:37 Ghg7auPm
折伏にしても、「この人に絶対に幸せになってもらいたい!」という慈悲の気持ちですれば菩薩界の一念です。
「成果あげて組織の人間に賛嘆されて自分を偉く見せよう!」これは修羅界の一念。
「こんな奴の幸不幸なんかどうでもいい、さっさと御本尊押しつけて功徳タンマリもらおう」これは餓鬼界の一念です。
開目抄に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書p.231)とあります。
身口意の三業(しんくいのさんごう)が因となり、それらが少しも漏れなく生命に蓄積され、それ相応の果がもたらされます。
身(やったこと)・口(言ったこと)・意(思ったこと)の三つの業(行為)で、当然業には善業と悪業があります。
この中でも特に大事なのが「意」です。「心こそ大切なれ」(御書p.1192)です。
今現在のあなたのご両親の貧しさと病気という「果」にしても、それ相応の「因」を、特に心で積んでいるのです。ちなみに因を今世に見出せないものが「宿命」です。
だから、未来へ向けて、因を変革するしかありません。
しかし、経済的側面だけで病身というだけで人間を判断することはできません。
「長期的に見れば、そして、物質的・外面的側面だけでなく、内面的次元もふくめた立場で見た場合には、仏法の説くように、生命の因果律が成り立っていると考えます」
(池田大作全集 13,聖教新聞社,p.165)
と、先生は仰っていますし、私はこの言葉を信じています。
たとえ病気で亡くなられたとしても、貧乏して家電に不自由しても、「奥底の一念」が広布に向いていれば、基底部(さまざまに揺れ動く命の基本の場所)は仏界です。
その上で、父親の収入のことがどうしても気にかかるのであれば、御本尊に本気で祈りぬいてください。
>>105
>創価学会じゃなきゃ、ダメなんですか?
そんな手前味噌は言いませんよ。