11/04/20 17:28:11.20 M6Hn+u12
>>682 シネソカ
>「真間仏供養抄」は釈迦仏を造立した富木常人に宛てた書。
>大聖人様は、像法時代の流れである釈迦仏を造立した富木氏に方便で、お認めあそばされ、いよ房を使わせて開眼供養させられたわけだ。
そんなの常識でしょ。「だから何?」って話。
>御法主上人より、免許を承けた末寺の御住職様も数珠や墓石の開眼供養をしている。
>しかし、帰命の対境である曼茶羅御本尊の初回の開眼供養は、御法主上人の権能だ。
日達上人の言葉と違う。
「御開眼とか入仏式とかは、信仰上からは僧侶にお願いするのが本当だが、しかし、これも個人の自由で、
僧侶を呼ばなければいけないという事でもない」(藤本メモより ※藤本メモは宗門も認めている)
この日達上人の言葉から判断すると、開眼の必要は認めているものの、開眼供養は在家でも可能と解釈できる。
>さ、創価の公式見解による、開眼不要説とやらを答えてもらおうか?
既に答えているに等しい→>>647と>>680
返事を待っているのは、こっちの方ということだ。
シネシカ君。