11/04/19 11:01:13.82 cdeVDXE9
>>591
>いいか、化義にしろ化法にしろ御本尊の権能は、一切、在家にはない。
在家に教義に関する専門知識がなく、出家に依存せざるを得ない時代には、僧俗の区別も意味があっただろうが、今は出家が独占的な権威を主張できる時代ではない。
よって、現代において僧俗を区別するなど、時代錯誤でしかない。
それを象徴する出来事が、いわゆる小樽問答だった。
身延との法論から当時の宗門が逃げ、学会が代わりに法論し、勝利したことは否定できない事実。
小樽問答は、身延の敗北だけを意味するものではない。宗門の敗北も意味するものであった。
その時、既に教学力で学会にはかなわなかったのである。