11/04/16 12:57:58.94 O4+KekN8
>>451
釈尊、天台大師の出世の本懐を判じたの日蓮大聖人であるが、
その日蓮大聖人の出世の本懐を判じられる者が生まれようが無い
末法万年尽未来際だからだ。
後の人師による解釈しかないだろう。
その中で生まれた一つの解釈が戒壇の大御本尊の考え方である。
御書には出世の本懐についていくつも記述が有る。
御義口伝
「仏知見を以て三世の諸仏は一大事と思召し世に出現したもうなり、
此の開仏知見の法華経を法然は捨閉閣抛と云い弘法大師は第三の劣戯論の
法とののしれり、五仏道同の舌をきる者に非ずや、慈覚大師智証等は悪子に
剣を与えて我が親の頭をきらする者に非ずや云云、又云く一とは中諦・
大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、
此の五字日蓮出世の本懐なり之を名けて事と為す」
峻天皇御書
「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、
不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」
最蓮房御返事
「我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ・忝くも諸仏出世の本懐たる
南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事・是れ偏に過去の宿習なるか」