11/04/15 19:14:53.69 JH8DXer7
>>398
最近この板に来た人間じゃあるまいし、同じことを何度も言わすな。
散々議論され尽くされた事じゃないか。
その御文における「総別の二義」とは、法華経に出てくる虚空会の儀式での総別のことだ。
虚空会の儀式では、誰に対して、どんな法が付嘱されたかわからんのか。
総付嘱とは、法華経の会座にいた一切の菩薩等に授けられた正法・像法の法華経。
別付嘱とは、いわゆる結要付嘱のことで、上行菩薩に授けられた末法に弘通すべき妙法。
末法においては、別付属された法でなければ成仏できないが故に、「総別のニ義少しも相そむけば成仏思ひもよらず」となる。
そもそも、この御書の御文を読んだ曽谷教信は、どうすれば「総じての信心の血脈、別しての法体の血脈」との解釈に至ることができるのか。
できるわけがないではないか。できる道理がない。
お前は単に、宗門の勝手なこじつけ解釈を知り、それを妄信しているだけだ。
反論があるなら、「総じての信心の血脈、別しての法体の血脈」という結論に至るまでの読解プロセスを、きっちり示してみろ。