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>>70
父親の池田子之吉は海苔養殖業者の池田五右衛門の三男で
子之吉の長兄は百太郎、百太郎の長男は定次郎
池田家の糀谷の作業場兼自宅は現在の東糀2丁目で敷地は約3000坪
(当時池田家から100mと離れていないところに住んでいた同じく海苔養殖業者・松原正蔵氏の証言)
昭和梟雄録 溝口敦 より
当時のことを知る地元の古老や池田大作のクラスメートに取材して得た情報によると
池田大作の母親は多摩川沿いの古市場(現・大田区矢口3丁目)の農家の娘・小宮(旧姓)一、両親が結婚したのは1915年
地元の海苔問屋組合の会長の言によれば五右衛門は相当羽振りがよかったとのこと。
池田大作金脈の研究 野田峰雄著 より
池田大作は1934年に羽田第二尋常小学校に入学しています。
同級生の石井脩達氏は池田大作について
「名前が珍しかったもんで、みんなから太作(たいさく)と呼ばれていたほかは。いい面でも悪い面でも目立つ方じゃなかった」
と、取材に答えています。
クラス担任の檜山浩平氏もよくネットで見かける成太作ではなく池田君と取材では話していました。
創氏改名前で通名制度もなかった時代に池田大作がクラスで朝鮮名成太作(ソン テジャク)ではなく池田太作と呼ばれていたのは
朝鮮人説を主張するには矛盾していますね。