10/09/15 23:44:20 WjGLueKI
>>131
>なぜ丑寅勤行の時のみとこだわるその理由
人のレスもきちんと読まずにレスするんじゃない。もう一度、>>124を読み直ししろ。
「日顕上人は御登座以来、御形木御本尊を含む全ての御本尊を丑寅勤行の御宝前にお供えし御開眼されておられるのだ」
これが宗門が松岡氏に対して送付した文書の一文だ。この文章を読めば、“丑寅勤行の時のみ”にこだわるのは当然のことだろ。
>なぜあなたのような荒凡夫に開眼の義が
>わかるのか 甚だ疑問である
私は“開眼の義”など問うていない。
宗門の主張によれば、開眼供養は「未表装・未彫刻の段階で御開眼し、さらに表装・彫刻後にお清めをされるという厳正なもの」だそうじゃないか。
それならば、表装後の軸の付いた御形木御本尊のすべてを、丑寅勤行の御宝前に供える必要がある。
宗門の言っていることが事実とすれば、運搬作業や御宝前へのお供えをする人間が必要だし、その場にいる僧侶ならば、その一連の作業を目にするはずである。
しかし、「開眼供養のための運搬やお供えなどをしているのは、見た事もない」とか「開眼供養など絶対にしているわけがない」という人間はいても、
「このようにして運搬し、御宝前のどのへんにお供えしています」という人間は、ただの一人として存在しない。
この問題は、かなり前から学会と宗門の間で論争されてきたことだ。
それなのに、運搬やお供えに関する具体的な証言が一切出てこないのは何故か?
開眼供養を行っていると主張するわりには、あまりにも不自然である。
とりあえず眠くなったから、もう寝るわzzz