10/10/26 17:50:41 pv8/1WQV
>>250-251
他のスレでもたまたま見かけたが、昭和40年代の大白は本当の教学誌だった
というが、俺も先日草創の方から昭和40年代前半の大白を10冊ほど頂いた。
中身を読むと、なるほど確かに教学理論や「仕事と仏法」とか「家庭と仏法」
など、生活と仏法に関する解説記事、当時の会員の方々の教学論文、
御書解説、日蓮仏法の歴史に関する記事、教学部幹部による討論記録など
まさしく教学誌だった。
今のようにどこまで本当かわからない体験や面白くもない名誉会長の自己賛美
と取り巻きの持ち上げまくりの座談会、何回同じことを書くのよwと辟易の名誉
会長の昔話記事などとは大違いだった。
特に今の青年部(男子部)では御書学なんぞ座談会とチョットした会合で「皆さん
御書を開いて下さい…」程度で幹部が都合の良いところを端折って読む程度で
いいみたいな傾向があるけど、数字崇拝主義と幹部自身も勉強していないから
教学がわからなくてもいいやみたいなところがあるのが原因じゃないか?
所詮、任用試験だって「受験することに意義がある」みたいな感じで合否よりも
地区や支部で何人受験させたか数を競っているだろw
その時点でもう終わってるw