10/10/04 00:18:20 Dj6qgYYQ
横槍を入れて失礼ですが、
確かに法華経の御文に法華誹謗、迫害、杖木瓦石などを加え、後の世で千劫の間、阿鼻獄
で苦しんだといった趣旨の教えがあるが、それをそのまま理解するよりも、「人の行い」として
至極常識の事が説かれてある法を謗るという事は結果、自分で自分の首をしめるという事だ
と思う。
もっとも「正しいこと」には逆らいたくなるのは人の常だとも思うが
今世、滅後問わず全うに成仏するという事は、具体例をあげると角が立ってしまうため控える
が、人としての善い行いの出来ている人達だと思う。
法を学ぶことは勿論大切なことだが、それ以上に大事なのはそれを実践することで、その
中において出会って行く様々な悦びや感動、苦悩や迫害、成仏とはそういったものを現実
に体験し初めて成せるものだと思う。
ちなみに所謂、学会活動とは全く関係ない。