11/08/25 19:20:49.55 YjzOdoLn
>>198
書き下しにするとこんな感じニカねぇ。
斯羅国は本(もと)東夷。辰韓の小国なり。魏の時には新羅と曰(い)ひ、
宋の時には斯羅と曰ふ。其の実は一なり。或いは韓に属し、或いは
倭国王に属す。自ら使聘を通ずること能(あた)はず。普通二年(521年)、
其の王、姓は募、名は泰、始めて百済に随ひて使ひし、表を奉り、方物を
献ず。其の国に城有り。号して健年と曰ふ。其の俗高麗と相類(に)る。
文字無し。木を刻みて範と為す。言語は百済を待ちて而る後に通ず。
>或いは韓に属し、或いは倭国王に属す。
新羅が地理的には韓に属していながら、政治的ないし軍事的には倭国王
に従属していたこともあったことを示すものニカねぇ。
>其の国に城有り。号して健年と曰ふ。
健年は鶏林(新羅の都・慶州の古名)のことニカねぇ。
>言語は百済を待ちて而る後に通ず。
この記述からすると、百済の人間が新羅人の言葉を通訳してやっていた
ようニダ。百済は二重言語の国家で、上層階級は高句麗と同じ扶余系、
下層階級の言語は新羅語と同じ韓系の言語だったようニダから、そういう
ことが可能だったんニダろうね。