11/08/06 19:49:09.66 m33LbV74
>>792-793
朝鮮戦争
この後、1951年6月23日にソ連のヤコフ・マリク国連大使が休戦協定の締結を提案したこと
によって停戦が模索され、1951年7月10日から開城において休戦会談が断続的に繰り返され
たが、双方が少しでも有利な条件での停戦を要求するため交渉は難航した。
1952年1月18日、実質的な休戦状態となったことで軍事的に余裕をもった韓国は李承晩ライン
を宣言し竹島、対馬の領有を宣言して連合国占領下にある日本への強硬姿勢を取るように
なった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
798:歴代内閣はなぜ韓国の竹島進攻を傍観したのか?
11/08/07 00:05:28.68 bj+82M3Q
第3次吉田内閣 (自由党) 1949年2月16日 - 1952年10月30日
← ラスク書簡:米政府よりの回答、竹島は韓国の領土として扱われたことは無く、
1905年以降日本領である。 1951年8月10日
← サンフランシスコ講和条約調印 1951年9月8日
← 【韓国】李承晩ライン(竹島、対馬の領有)宣言 1952年1月18日
第4次吉田内閣 (自由党) 1952年10月30日 - 1953年5月21日
第5次吉田内閣 (自由党) 1953年5月21日 - 1954年12月10日
第1次鳩山一郎内閣 (民主党) 1954年12月10日 - 1955年3月19日
第2次鳩山一郎内閣 (民主党) 1955年3月19日 - 1955年11月22日 ← 保守合同 1955年11月15日
第3次鳩山一郎内閣 (自由民主党) 1955年11月22日 - 1956年12月23日 ← 日ソ共同宣言署名 1956年10月19日
← 国連加盟 1956年12月18日
799:歴代内閣はなぜ韓国の竹島進攻を傍観したのか?
11/08/07 00:08:00.28 bj+82M3Q
石橋内閣 (自由民主党) 1956年12月23日 - 1957年2月25日
第1次岸内閣 (自由民主党) 1957年2月25日 - 1958年6月12日
第2次岸内閣 (自由民主党) 1958年6月12日 - 1960年7月19日 ← 日米安全保障条約署名 1960年1月19日(ワシントン)
第1次池田内閣 (自由民主党) 1960年7月19日 - 1960年12月8日
第2次池田内閣 (自由民主党) 1960年12月8日 - 1963年12月9日
第3次池田内閣 (自由民主党) 1963年12月9日 - 1964年11月9日
第1次佐藤内閣 (自由民主党) 1964年11月9日 - 1967年2月17日 ← 日韓基本条約締結 1965年6月22日
第2次佐藤内閣 (自由民主党) 1967年2月17日 - 1970年1月14日
第3次佐藤内閣 (自由民主党) 1970年1月14日 - 1972年7月7日 ← 沖縄返還 1972年5月15日
第1次田中角栄内閣 (自由民主党) 1972年7月7日 - 1972年12月22日 ← 日中国交正常化 1972年9月29日
800:マンセー名無しさん
11/08/07 00:23:22.90 m18RHPc7
>>799
ネームにマジレスすると、そのとき自衛隊なかったの。
だから自衛隊ができたら奪還するべきだったんだよね。
801:マンセー名無しさん
11/08/07 00:29:51.98 m18RHPc7
1954年7月1日が自衛隊発足。
802:マンセー名無しさん
11/08/07 01:11:05.38 B9i7mzAo
>>800-801
☆ 警察予備隊 (National Police Reserve)
警察予備隊とは、1950年(昭和25年)8月10日に GHQ の ポツダム政令の一つである
「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置され た武装組織。1952年
(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組されて消滅した。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
☆ 保安隊 (National Safety Forces)
保安隊とは、1952年 (昭和27年) 10月15日に警察予備隊を改編して発足した日本
における国内保安のための武装部隊である。現在の陸上自衛隊の前身に当たる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
☆ 自衛隊 (Self-Defense Force)
陸上自衛隊は1950年の朝鮮戦争勃発時、GHQ の指令に基づくポツダム政令により警察予
備隊が総理府の機関として組織されたのが始まりである。同時期、旧海軍の残存部隊は
海上保安庁を経て海上警備隊となり、その後警備隊として再編。1952年8月1日にはその
2つの機関を管理運営のための総理府外局として保安庁が設置された。同年10月15日、
警察予備隊は保安隊に改組。そして1954年7月1日 「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織
及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)
自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号) が施行され、警備隊は海上自衛隊に、新たに
領空警備を行う航空自衛隊も新設。陸海空の各自衛隊が成立した。また同日付で防衛庁
設置法も施行されている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
803:マンセー名無しさん
11/08/07 02:05:03.18 B9i7mzAo
>>798-799
第3次吉田内閣 (自由党、1949年2月16日 - 1952年10月30日)
1952年1月18日、朝鮮戦争が実質的な休戦状態となったことで軍事的に余裕をもった韓国は
李承晩ラインを宣言し竹島、対馬の領有を宣言して連合国占領下にある日本への強硬姿勢
を取るようになった。
第4次吉田内閣 (自由党、1952年10月30日 - 1953年5月21日)
1953年2月4日午前8時30分、福岡県の漁船第1大邦丸(57トン)と第2大邦丸(57トン)は
済州島沖10マイル(16km)の農林第274漁区で操業中、韓国船の昌運丸が近づき、「魚は獲れ
そうか」などと漁場の様子を尋ねてきた。その5分後、突然、韓国船昌運丸に乗り込んでいた
韓国軍憲兵、韓国陸軍下士官らが発砲して第1大邦丸漁労長の瀬戸重次郎(34)が頭を撃たれ
て重態となり、韓国に船ごと連行された後、死亡した。
URLリンク(www.geocities.jp)
804:マンセー名無しさん
11/08/07 02:06:16.82 B9i7mzAo
>>803
第5次吉田内閣 (自由党、1953年5月21日 - 1954年12月10日)
1954年(昭和29年)4月21日 - 竹島に接近した海上保安庁巡視船3隻、独島義勇守備隊から
攻撃を受け、損傷被害を受ける。
第3次小泉内閣 (自民党、2005年9月21日 - 2006年9月26日)
2006年(平成18年)4月14日 - 海上保安庁は、竹島周辺の排他的経済水域での海洋調査を、
国際水路機関 (IHO) に通報した。これは、韓国政府が竹島周辺海域の海底地名を日本名か
ら韓国名に変える発議を同年6月のIHO総会で行う観測が流れたために、対案を提出するた
めに行うというものであった。海上保安庁では4月18日に測量船 「海洋」 「明洋」 を出航さ
せて境港沖に待機させ、工作船事件の教訓から配備された PL 型 「あそ」 を後詰めとして派
遣した。対する韓国海洋警察庁は、竹島周辺海域警備任務の為に導入した6,350トンの軍艦
仕様の大型巡視船 「参峰(サンボン)号」 を始めとして警備艇20隻を竹島周辺に展開させ、
特殊部隊である海洋警察特別攻撃隊を投入して拿捕を行うと宣言した。それに対して日本
政府は、政府船舶の拿捕は国際法違法であり、拿捕すれば直ちに IHO に提訴するとした。
結局、韓国が IHO 総会で地名変更の発議をしない代わりに、日本は海洋調査を行わないと
いうことで決着になった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
805:マンセー名無しさん
11/08/07 12:56:58.61 LhDYK6E/
後に日韓国交正常化と賠償に関わる児玉誉志夫や岸信介、瀬島龍三らの「韓国利権」
実態が明らかになったが、ここから推察するに60年代自民党内では主に南利権を
持った政治家が登場したため、在日韓国・朝鮮人の日本国内での既存利権を容認する
ようになったと考えられる。
(岸信介は安部晋三元首相の祖父である)
URLリンク(www.h3.dion.ne.jp)
806:マンセー名無しさん
11/08/07 12:58:16.73 LhDYK6E/
竹島問題は岸内閣(1957-1960)がなにもしなかったからである。
いまは韓国の思うがままになっている。
岸信介はおのれの韓国利権を優先させて、当時の韓国漁民の竹島違法上陸を見て見ぬふりをした。
URLリンク(logsoku.com)
807:マンセー名無しさん
11/08/11 00:30:21.27 R0d/kDZT
竹島(獨島)는 일본 고유의 영토입니다.
한국이 불법이게 점령하고 있습니다.