10/11/22 21:26:24 Mc/k4Hsu
>>440の続き
つまり、心情的な民族と法的な民族は、一致していないと心理的な疎外感を味わう事になり、見た目が
似ていても生物的な民族も一致していたほうが、より安心感があるのです。もっと言えば居住者としても
一致していたほうが安定するわけです。
これが「在日に違和感がある」ということです。在日本人も、日本人にも両方違和感があるのです。
自分の存在に違和感があったり疎外感を感じたりするのは不幸なことですね。これは民族差別とはまた
違うことにお気づきでしょうか?「双方が違和感を感じる」ことが問題なんですよ。
先ほどの例で、漏れがタイに居たときの話を書きましたが、漏れもタイ人も「違和感」は感じてなかった
わけです。この差はなんでしょうか?
漏れは日本人であることを隠したりしませんでした。また心情的にも生物的にも日本人です。外国の政治や
法律に口出しをせず、聞かれたときだけ「日本人としての意見」を前置きして述べました。違うのは居住地が
タイだった事だけでした。節度を守ったからこそ違和感が発生せず、節度を守った信頼感から、タイ人に
「お前もタイ人になれ」と言わしめる結果になったようです。
ナショナリズムというのは、差別感情から出るものではなく、本人の安心感や安定感から出現するもので、
外部の者でも節度や信頼感があれば、ナショナリズムに抵触しないということがわかると思います。
在日に違和感を感じるのは、「節度も信頼感もないから」が全ての元凶なわけですよ。