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【コラム】盧武鉉前大統領を懐かしく思うとき(上)
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盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の血を引くと公言する者たちが、故・盧武鉉前大統領の政策を踏みつぶし、
盧武鉉語録をひっくり返すといったことが、韓米自由貿易協定(FTA)以外の政策でも確認されている。
済州島の江汀村の海軍基地についてのことだ。同海軍基地に関する計画は、盧武鉉政権の最後の年
(2007 年)の5月に公布された。その後、海軍基地の建設反対派が済州道知事の住民召還投票や
基地計画の取り消し訴訟で相次いで敗れたことで、海軍基地の建設工事は昨年11月に始まった。
しかし、数カ月前から全国のデモ隊が詰め掛け、現場に寝転がるなどの妨害行為を続けたため、
工事が中断してしまった。
故・盧前大統領は、就任1年目(2003年)の光復節(日本の植民支配から解放された日)の祝辞で
「われわれの安保をいつまでも在韓米軍に頼ろうとするのは正しくない。いまや自らの責任で国を守る
時代になった」と話した。この言葉は直ちに自主国防政策へとつながった。当時、盧前大統領が
自主国防だけを掲げ、韓米連合司令部の解体や戦時作戦権の単独行使についての手続きを急がなければ、
おそらく金正日(キム・ジョンイル)総書記の追従者を除く全ての国民から歓迎されていたはずだ。
当時の大統領スタッフらは「故・朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領も自主国防を主張していた」との言葉を
繰り返した。しかし、米軍が韓米同盟を裏切って韓国を後にする場合に備えた有備無患の自主国防と、
韓国が自ら「いい加減もう出ていってくれ」と米国を突き飛ばす自主国防とでは、根本的な意味合いは
全く違っていた。