捕鯨問題議論スレッド 19頭目at KOKUSAI
捕鯨問題議論スレッド 19頭目 - 暇つぶし2ch67:3次補正予算で「乗組員安全対策」+「鯨研救済」として20億円計上
11/10/20 09:23:52.79 pizpGvaV
鯨騒動  漁業補償に不満募りほう起
URLリンク(www.daily-tohoku.co.jp)
一九一一(明治四十四)年十月三十一日、湊館鼻、いわゆる日和山の頂上(今の館鼻公園)に、湊と白銀を中心とした浜通りの漁民たちが集まり、
激論を交わしていた。周辺にただならぬ気配が漂う。
議題は鯨である。半年前、鮫で東洋捕鯨会社が解体作業を始めたが、九月末までの漁期を守らず、一カ月を過ぎてもまだ操業を続けていた。
海は血で真っ赤に染まり、そのせいか今年のイワシ漁はさっぱりだ。
漁業補償は鮫の組合ばかりに支払われ、湊や白銀には返事がない。もともと、漁民は会社の誘致そのものに反対だった。
鯨は「えびす様」であり、古来、信仰の対象なのだ。不満は頂点に達していた。
翌十一月一日払暁(ふつぎょう)。半鐘が乱打された。合図だ。村中の人々が外に飛び出し、鮫を目指す。えんぶり太鼓でふれ歩く者もいた。
「みんなカダレッ(加われ)」。
ハマが揺れた。ほう起した漁民は五百人とも千人ともいわれる。日露戦争で知られる赤ゲット(毛布)姿がいた。白装束もあった。
文字通り決死の討ち入りであり、一揆(いっき)そのものだった。
一団は捕鯨会社を破壊し尽くし、経営者の長谷川藤次郎宅のほか、神田重雄宅、石田家などにも押し寄せた。
会社側や警官隊との抗争は激しく、死者二人、重傷者五人、軽傷者二十人に上った。世に言う鯨会社焼き討ち事件である。
八戸市の郷土史研究家、中里進さんは「背景に、当時の奥南派と政友会という政治的対立の構図が垣間見える」と指摘する。
「古代からの鯨とのかかわり、漁民の聖地館鼻、百姓一揆にも使われたえんぶり、そして政治情勢。当時の八戸の社会状況がすべて凝縮された、
空前絶後の大事件だった」
事件後、周辺では「クジラ」が禁句になったという。政治的には、これを機にいわゆる浜通り派と呼ばれる勢力が生まれ、
八戸の近代化のターニングポイントになった。
あれから九十年。館鼻公園から望む八戸港の風景は大きく変わり、事件を直接知る人もほとんどいない。
しかし、八戸を揺るがした漁民のエネルギーは、世紀を超えて伝えられていくことは間違いない。


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