11/10/20 09:20:29.15 pizpGvaV
「三陸沿岸では日常的に鯨肉を食べる習慣はなく、江戸時代の三陸の漁民は鯨をエビスと呼んでとても大事にし、信仰していた」と話した。
(1)鯨が現 れると岸にイワシの大群が来て豊漁となった
(2)鯨の近くでカツオの一本釣りをした
(3)鯨が岸に打ち上げられた場合のみ、浜で平等に分けて貴重な 食糧とした
-の三点を証拠として挙げた。
漁民と鯨の関係が崩れたのは、幕末にアメリカの捕鯨船が日本沿岸でたくさんの鯨を捕獲したことや、近代捕鯨が国内で普及したことにあると指摘。
こうした過渡期の事件を示す資料として、三陸の漁民が紀州の鯨漁師の漁差し止めを求めた訴状、青森の漁民による捕鯨会社焼き打ち事件の記録などを紹介した。
URLリンク(www.sanriku-kahoku.com)
北海道沿岸では江戸時代、鯨はニシンを連れてきてくれるありがたい「神」としてあがめ、漁の対象とせず、浜に打ち上げられた鯨(寄り 鯨)のみを食料とした。
明治以降、本州から鯨を追ってきた漁師と、鯨をあがめる地元のニシン漁師との衝突があったことは、当時の新聞に記録されている。
URLリンク(jyoho.hokkaido-np.co.jp)
湾内でシロナガスクジラなど大型鯨種を解体処理するものですから、相当な水質汚濁を招いたことは想像に難くありませんし、
操業当初は骨・皮・内蔵などを廃棄していたために周辺集落の漁場にまで影響を及ぼしたとの記録があります。
URLリンク(www.whaling.jp)
東洋漁業が進出したころは、鮎川の漁民は小漁や採貝藻によって生計を支えているものが多く、鯨の解剖による地先海面の汚染を恐れて反対した。
URLリンク(www.whaling.jp)