11/04/16 18:09:01.78 3Izxxzp6
アメリカは、第二次世界大戦の最中から、大きな労力と大金を
投入して原子力技術を作り上げ、これを軍事機密として独占しようと
していました。ところが1953年、当時の大統領アイゼンハワーによって
国連で「平和の為の原子力」と言う内容の演説がされました。世界の
政治家達はこの気前のよい演説を絶賛して歓迎しました。
実は当時、アメリカは(ソ連も)原子力爆弾を作り過ぎていて、
ウラン濃縮工場が操業短縮に陥っていました。そこで、この軍事工場で
生産される過剰なウランを原子力発電で消費する事により、軍事工場を
操業短縮しないで済むようにしたのです。
「原子力の平和利用」として、1950年代、アメリカはウランを諸外国の
半値以下で売りまくりました。・・これはダンピングであったようです。
つまり軍事目的があったからこそダンピングが可能であったと言えましょう。
大量に濃縮ウランを消費してアメリカの軍需産業を助け、また他の国に
濃縮ウランを作らせないようにする目的があったようです。