10/11/05 00:32:07 Q6eUqO1D
朝鮮半島が併合30年で一定の水準に達して、いまや、ある種の日本の劣化コピーのような国になってるが、
国家というのはだいたい30年で一定のスタイルが確立されるようだ。
朝鮮戦争(50~53)から韓国が復興したのがソウル五輪(88)と考えても約30年。
戦後の日本が昭和50年(1975年)頃から、戦前とかけ離れた性質になったのは、敗戦の昭和20年から30年経った頃だ。
吉田(46~47、48~54)が軽武装路線を敷いてから30年経った頃にはもう身動きが取れなくなってしまっている。
ドイツが敗戦10年で既にノーマル国家に戻ってるが、
昭和25年(1950年)の朝鮮戦争(50~53)をどう捉えたか、
ドイツ・アデナウワーはノーマル国家に戻せる好機だと考え、徴兵制を復活させ基本法を改正した。
しかし日本の吉田は非武装憲法が派兵拒絶の口実に使え、戦争特需で商売になるとだけ考えた。
その違いが戦後の両国の決定的な差になったと思う。
朝鮮戦争で極東認識が一変したが、占領当初にGHQが狙ったのは、
日本を永久無力国家にすることであって、そのための占領憲法だったのだから、
たとえ便宜的でもその趣旨の憲法の一時的維持を、たとえ政治的便宜であっても狙うなどあってはならない。
30年で国柄が一変するということは、逆に言うと、
日本がまともな国に戻るには、今から始めても30年後になるということだ。
今は戦後65年目にあたるが、すると戦後105年目だ。
チャーチルだったか誰かが言った、徹底的な敗戦で日本は向こう100年は立ち直れないと言った推察通りである。
しかし実際には経済復興に関してだけなら国際情勢に助けられて急激なスピードで回復したわけだから、
吉田が安全保障の面でやるべき判断をきっちりしていればほんとは50年で完全復活できてただろう。
遅くとも佐藤栄作(64・11/9~72・7/7)の頃に路線転換を断行しておくべきだった。
佐藤栄作は長期政権だった割には、中身が乏しかった。