10/11/02 02:26:51 zgriY4s/
1957年、南朝鮮政府が、1956年に日本に密入国した南朝鮮人の強制送還を拒否するとともに、「李承晩ライン」内
で不法拘束した日本人漁師解放の交換条件として密航南朝鮮人を「日本国内で釈放せよ」と要求。
何故、竹島問題が生じたのか(1)
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敗戦の翌年(1946)9月に、日本の周囲に形成された「マッカーサー・ライン」では、竹島は日本の領土に
含まれていなかった。このラインは、当初旧日本軍の軍管区を参考にして作られた制限漁獲水域である。
60年を経過した只今の混乱は、当初マッカーサー・ラインを設置したGHQの考えに遠因がある。歴史的にも
竹島の日本帰属が正当である事を証明出来る資料は、当時も充分に揃っていた。日本政府が筋道を立てて
米国へ申し立てを行った結果、1949年に竹島は改訂マッカーサー・ラインの内側に入り、日本領土に戻った。
米国は、ハワイにいた反日運動家老人李承晩を連れ戻し、1948年2月(大韓民国成立)に初代韓国大統領とした。
竹島の日本復帰に不満な李承晩(当時73才)は、1952年1月18日に海洋主権宣言を行い、
マッカーサー・ラインの日本海側に変更を加え、竹島を含む形で自国に都合の良い「平和線」(日本名:李承晩ライン)
を設置した。日本には未だ占領軍がおり、朝鮮戦争(1950.6-1953.7)の戦闘が38度線で膠着していた頃である。
時の首相は吉田茂、彼は3ヵ月後に発効するサンフランシスコ講和条約においては竹島が韓国の帰属になって
いないと言う訳で、安心していただろう。
李ラインは、設定後から米国、英国、中華民国により国際法違反と批判されたが、・・・
実に悪名高い国際法違反の李ラインであるが、韓国側はこれを今もなおも正当化している。