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同時にグローブズは自分の片腕、トマス・ファレルを、45年9月、急遽日本へ派遣し、
原爆投下後の広島で記者会見させ、「広島には残留放射能はない。死ぬべきものは
すべて死に絶えた。」とする声明を出させた。
いずれも放射能(放射性物質)の真の危険を隠蔽するためである。放射能の真の危険は、
原爆を製造する過程の中で(たとえば、兵器級ウラン燃料の製造や兵器級プルトニウム製造の過程で)、
よく知られていた事実であった。特に内部被曝は深刻な危険であった。
しかしこのことは大衆に知られてはならないという意味で、「軍事機密」だった。
「放射能」は外部から直接大量に浴びなければ、さほど「危険ではない」とされなければならなかった。
アメリカ原子力委員会が、「マンハッタン計画」の後進であり、1946年NPRCの主要メンバーが
「マンハッタン計画」の放射線防護専門家グループから移管されていること、これはABCCの主要メンバーが
「マンハッタン計画」の遺伝学者や「がん研究者」から移管されていることを考えれば、NCRPの予算は
アメリカ原子力委員会から出ていた、と考えるのはあながち荒唐無稽な想像とはいえないだろう。
こうしてともかく1946年NCRPは、46年8月のアメリカ原子力委員会の成立とともにスタートした。
ICRPは、IAEA、UNSCAER、全米科学アカデミー(BEIR)などといった放射線防護の国際機関や組織のみならず、
アメリカのNCRPやイギリスのNRPB、スエーデンのISSなどといった各国の放射線規制当局
(日本の放射線審議会などもそうであるが)と人的にもその研究成果も完全につながっており、
その権威や学問的正統性もお互いにもたれ合いながら維持しているという構図が浮かんでくる。