11/11/04 23:16:44.35 q4Rn2bHB0
と言うか、いま気づいたが長州オタ君は>>690に挙げられている奇兵隊の出自の内訳
559人分に関して、どこに「穢多」がいたのか指摘できてないね。
自分も大学で聞いてみたが「奇兵隊は出自まで書いてないでしょ?」と変な顔をされたよ。
「長藩奇兵隊名鑑」しか参照史料がないはずだと。
で、見てみたらこれ普通に頻繁に引用されてるんだが、どこにも穢多をその身分で入隊させていた
と思われるような記述はない。
長州オタ君は高杉は慶応元年に奇兵隊入隊に関して「エタの者を除くのほか」と言った発言の前に
「暫く」がついてないじゃないか、と反論するのだがそんなの研究者はみんな知っている。
なぜかと言えば奇兵隊に穢多身分を堂々と受け入れたと言う記録がないため、
実態として穢多がその身分のままで入隊を許可されたケースはないか、
ごく限定されたケースだったと見られる上に、
この「暫く」を「一時的」とかなり好意的に解釈するのは少数説なんだな。
文久の屠勇取立令の建前から言えば、奇兵隊にも屠勇の入隊を認めるのが当然であるにも関わらず、
高杉は「暫くは見合わせよう」と反対するベクトルで発言しているのは自明だから。
つまり正義派政権は被差別民の入隊と言う「公約」遵守を迫られる段階になって
「暫くエタの者を除くのほか」といきなりモラトリアムを付しているわけだ。
これを補強する証拠は他にもある。屠卒の隊は諸隊の反乱に対抗するため、
俗論党政府(彼らは自分のことを「正義党」と称していたが)の命令により設立が始まった。
これを正義派政権がそっくり引き継いだわけだ。
ところが正義派政権は被差別民の選抜徴兵制に際しての人数定員の条件を守っていない
(根こそぎ動員になっている)のであるから、いいかげん文久屠勇令の布告を守れよと言う圧力がかかっている。
高杉の慶応元年1月6日の書簡で反対していると見るのが通常である。