11/11/04 22:23:18.99 q4Rn2bHB0
維新団の記述で最も注目に値するのは「木の枝一片も…咎の的となり」
に象徴されるように、採集権をめぐって近隣の一般集落と争いが生じ、
おそらく維新団の出身集落は泣き寝入りを迫られていたと思われる点ね。
つまり維新団には常に水利、山林その他の利用権を巡って侵害状況があったと推定される。
現に天保大一揆でも、打ちこわし件数741軒中171軒がエタ部落であったこと、
報復攻撃開始前の三田尻の打ちこわしでも被差別民が真っ先に襲撃されていることから
これは充分首肯できる。
全国的にも百姓一揆が被差別民にこれだけの規模の襲撃をかけた例は、こぶち騒動と長州藩くらいしかない。
つまり「維新団の練兵場」であった土地(もちろんそこなら近隣住民からクレームはつかない)
を賦課されれば、ようやく自分たちの土地が手に入るわけだよ。
経済的な権利を確立できない限り、「武士は食わねど高楊枝」になると言う恐れが強かったのが窺える。
維新団の「ありがた迷惑」は、この最初の調査の文脈では、武士なんか望まない、安泰な日常生活に戻りたいと言うことではなく、
経済的権利が確立されていない不安な生活状況で土地をほったらかすわけにいかない、
と言う強い危機感のあらわれ。文字通り命がけで戦い取った経済的権利なんだわ。