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なお、長州の打ちこわしではこの時も、天保期も、
被差別民が最初に狙われたり、被害が集中する傾向がある。
被差別民側も藩の募兵に積極的に応ずることで豪商農層と同じく、
一揆や打ちこわし、暴動やリンチから身を守るメリットがあったと見られ、
(藩の軍事力の一員となればこれを壊乱した側が処罰の対象となる。
被差別民には他にも些細なことで処罰を受ける例があり、長州藩の差別が公、私を問わず
極めて厳しかったことを窺わせる)
長州における「志願」の動向を「理想に燃えた義勇兵」と捉える発想は、もはや過去のものであり、
特に藩権力の手先的立場にあった被差別民については、文字通り身を守るために志願した経緯を無視できない。
もっとも維新団、一新組などは茶筅隊事件以降、隊則を制定され、自主的性格を払拭させられている。