11/11/03 01:34:31.68 k1nbSqbT0
>>631
大坂南御堂は事実関係に誤認がある。
これは「薩摩藩とのもめ事を抑えるために」義勇隊士を犯人に仕立てて斬殺したのではなく、
この段階では薩摩藩と手打ちをしようとしたが暴発してしまい、
もう手の打ちようがないから責任を薩摩藩の商船に転嫁して、
世論の非難を高めるために自刃を強要している。薩摩藩に非難の矛先を向けるための斬殺。
そういう意味で非常に悪質性が高い。
諸藩も大体豪商、豪農に命じて人集めをさせている。
長州藩も…って何度同じ事繰り返させる気だよ。
だいたい
>>嘘をつきなさい。町方村方の徴募は基本的に願い出と言う形式になる。
>嘘はお前だ。庄屋が自費で集めた者達で、庄屋も集ったものは志願だよ。
同じこと言ってるだけじゃん。
また維新団の軍装は「衣服黒、筒袖黒、立付共紐の事、笠総黒塗りのこと」と定められており、
幕兵が「穢兵」の存在を認識したのは軍装の異様さなのだが、遊撃隊と全く同じ軍装なら幕軍の識別は不可能となる。
またお前が言うように身分=隊ごとに色が定められていたとするとおかしなことになる。
例えば維新団は遊撃隊に付属していたために黒ずくめだったと言う解釈を取った場合、
維新団への反発は長州藩側の報告にも記されており、死傷者報告において
遊撃隊隊士の場合は氏名、死傷の状況が克明に記されているのに対して、
維新団の場合は「外に維新団7人、右手負…」と言った具合に全く違う形式の報告になっている上、
これは一新組の場合も同じ。一新組の場合は単に「屠卒」と醜名をもって呼称されており、
明らかに文久3年の屠勇取立令での「エタの名目被差除」と言う条項に違背する。
つまり屠勇取立の際の差別的呼称の廃止は守られていないことが分かる。
文書形式を見ても、岩国にても初めは維新団之事やかましく云々を見ても、
維新団に対して少なくとも公的、私的な差別が存在していたことは厳然たる事実。
>>控え目に見てもとちゃんと断ってあるが、お前は読めんのか?
>最初こんな事書いてなかったでしょ。
別に折れたわけではない。長州の農兵商兵徴募の方式は基本的に幕府・諸藩の農兵徴募と同じ。
文久年間に私称の禁止その他の引き締めが出ていたことは前述の通りだが、
慶応年間に比して仮に文久年間に自主的要素が広く認められていたとしても、
と百歩譲って書いたんだよ。実際は文久年間は兵員不足でどんどん「徴兵」していったんだけどね。