11/11/02 20:19:41.67 ltSI0+H50
>>543
彦島租借はソースが伊藤の後年の回顧談しかないよ。
交渉に立ち会ったサトウ日記には正使=高杉は全ての要求を何の留保もなく受け入れたと記してあり、
これには伊藤の働きが大きかったようだと感想を述べている。
現に下関条約5ヶ条に租借問題は入っておらず、今日では本交渉での租借打診の存在は疑問視されている
(実は幕軍もこの段階で保障占領を恐れて態度を急転させて長州に進発する姿勢を見せており、
英国も早く長州との話を纏めないと幕軍に妨害される可能性があった)
また償金問題だが、下関条約5ヶ条では①外国船下関通行の際の安全、②薪炭食料「その他入用の品」の給与、
③航海困難な条件の時は「障りなく」寄港許可、④台場の設置禁止、
⑤長州側からの発砲によって「焼失に及ぶべきの所焼かざるの故」その償金を出すべきこと
そのほかに軍の雑費を出すこと
となっている。⑤の償金の趣旨説明を見たら分かる通り、明らかに長州藩の砲撃の違法性を前提として
「当然下関を焼くべきところを焼かなかった対価として」償金を差し出すのであり、
戦費負担まで押しつけられている。これは明瞭な「賠償金」。しかも完全降伏に近い講和条件。
現にこの⑤を意識して、英国は幕府との交渉の際に「償金」が支払われるまでは下関を保障占領する、
と恫喝を加えている。長州側が苦し紛れに約定を交わしたのは明らか。