11/11/02 00:14:56.06 /9JaFnBq0
>宮内を迂回攻撃されて大野からも撤退してる。
これもしかして8月7日の戦闘じゃないの?
とすれば本荘停戦交渉や紀州の総督辞任騒動と全く関係ないけどw
7月末からの幕長双方の戦闘は相当の激戦になってるが、
28日には幕府歩兵が宮内に進出して占拠、紀州・彦根・幕府歩兵が大野に進撃、
長州は高所からこれを銃撃すると言う全く同じパターン。幕府海軍と紀州海軍が砲撃を加えたことで大苦戦に陥るが、
日没になったので幕府軍は引き揚げ。こっちは海軍の援護射撃つきだから普通に引き揚げ。
第2回の攻勢も幕軍からで、この2回の戦いで彦根藩は奮戦して幕軍は陣地まで構築して事実上占拠に成功したが、
やはり日没を迎えて長州藩兵が後ろに回る懸念があるからと、戦わせてくれと言う彦根藩を引きずるようにして退陣している。
第3回攻勢は連敗に危機感を覚えた長州藩軍が大攻勢を仕掛けたんだが、
台風が襲来して幕軍が凄まじい逆風に晒され視界がほとんど効かなかったために接近に成功している
ここでも奇襲にも関わらず幕軍がどんどん増援に駆け付け、見事に敗退している。
ところが明石を通って宮内の本拠を攻めた部隊は風雨で幕兵の視界が効かないのが幸いして
ここを制圧するのに成功し、せっかく大野にいた幕軍も後ろを取られたから引き上げざるを得なくなっている
一連の戦闘で長州も彦根藩の善戦を第一に挙げて評価しており、
緒戦の戦闘で相手との戦い方が分かった彦根藩は素早く軍装について指示を出し、
以後は旧式装備で、しかも高所を扼されると言う不利な状況でも対等に戦ってるんだよな。