11/11/01 22:30:50.79 j5v3VnSJ0
>>494
長州が下関条約でどう突っぱねてる?
高杉が租借を拒絶したなんて話は伊藤の回顧録に出てくるだけで、
サトウの記録には一切出てこない。
長州が下関開港を勝手に認め、砲台撤去に応じ、償金支払の約束まで応じたのは
アヘン戦争の諸条項と全く同じだぞ。
しかし幸いなことに、米蘭仏はオールコックと異なり、問題への深入りに消極的だった
幕府はそこを衝いて交渉を重ね、事後に「賠償」ではなく「友好関係維持のための補償」
とすることに成功し、同時に長州への懲罰は「大君政府の職務」として勝手な長州攻撃や開港の強要を禁じている。
償金も6回ローンで3回分の支払は慶応2年までに滞りなく済ませている。
明治政府になってからのほうが支払に時間がかかってる
幕府の開港交渉は長州戦争とはスレ違いになるが、
幕府は「開港拒絶→落としどころを探る→最終的には開港を許可した上で商業範囲を限定する」
と言う限定開国を目指してたことは明らか。交渉の主眼は開港の是非でなく開港条件。
ところが内情を知らない尊攘激派には「幕府が譲歩した」と見えたと言うのが実情。
薩摩藩なんかは阿部からこれを伝えられてる