なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2at HISTORY2
なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2 - 暇つぶし2ch495:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 17:54:52.91 iX+XzQ8y0
>>484
攻め込んだ征長軍が芸州で防戦している時点でダメじゃないか。
それに全く進めなくなるは言いすぎだぞ。宮内を迂回攻撃されて
大野からも撤退してる。
日本海海戦の頃と幕末の海軍を練度だけで命中率比べるのは
不適切よ。当時の海軍は日進月歩だから。
アフガンに関しては状況が全く違うのに比較対象として出した479
に言ってくれ。


496:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:00:55.20 j5v3VnSJ0
>>488
長く書けば反論になるってもんじゃないぜw
>艦隊が沈められるだけ

じゃ何で高杉の海軍奪取がクリティカルだったんだよ?それと同じこった
薩摩海軍は上陸戦を必ずしも行う必要はない。下関に砲台設置を禁じられている長州船舶を拿捕し、
萩近辺に軍事的重圧をかければ長州藩内で高杉の時と同じことが起きる。
また石州口や小倉口に関しても薩摩海軍が出没することで進撃が困難になる
この時期長州藩の財源はかなりの部分通商に依存していたから荷を止めるだけでも大打撃
どっちにしても萩口の実現が決定的なのは間違いない

497:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:28:23.16 cGfISQhnO
下関封鎖?馬鹿がいるなそんな事したら日本の物流が止まる。
江戸大阪の物価が更に上がり、幕府崩壊だよ。

498:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:40:56.28 j5v3VnSJ0
>6月20日過ぎに「負けまくり」で休戦を申し入れる理由がない。

長州藩は19日に水野忠幹率いる新宮藩兵および幕府歩兵隊1個大隊を相手に
山上を占拠して攻撃を加えた。この時点で長州藩は大野奪取を固く決意し勝利を確信していた。
ところが不利な位置に陣取る両軍が前回をはるかに上回る銃撃にも頑強に抵抗し、
長州藩兵に多大な損害が出て20日についに敗退している。
守る紀州藩兵のほうは長州が高所から加える銃撃に対して遺体収容も出来ないほど不利な状態だが、
それでも抜けなかったんだよ。
さらに撤退も困難を極めた。幕府海軍の砲撃を恐れて迂回撤退を行っている。
長州藩はこの戦いで現場指揮官クラスを多く失っており、以後攻勢に出るのが困難となった。
25日に再度攻撃をかけたがまたも撃退されたのは前述の通り。

さらにお前が書いてる通り、芸州藩がこの段階で長州に「何でうちの領内でやるんだ」
とクレームをつけて長州は芸州藩内に押し込むのが難しくなっている。
石州口は津和野の中立で益田までは進んでるが、

それとお前は本荘の交渉が「25日」に開始されていたことを前提とするが、
本荘は「25日より前」に交渉を開始して、それが判明したのが25日なんだよ
また本荘はこの後呼び返されるんだが、彼の上申書の内容を見ると
「長州藩内が激徒に固められており、英薩がこれに協力して蒸気船を貸し出したり、
薩摩藩兵が一緒に抗戦している」だとか「西国諸藩や芸州が後備兵を出さす兵糧供給も難儀している」
とか、風聞や幕軍の内情をかなり悲観視して奏上しているのが分かる。
戦闘経過はその補足なんだよ。
彼が「穢兵」の存在を認識していること、またミニエー銃を長州藩兵が全員装備している、
などと語っていることから、芸州口の彦根・高田両藩と維新団の戦闘までは知っていた可能性がある。
とすると、当然小倉口の最初の戦闘での幕軍の内紛も知っていたと思われる。

しかし彼は「佐賀藩、薩摩藩、幕府歩兵」は長州藩に劣らない装備を持っていると認識している。
これを書いた状況からして、おそらく彼は芸州口の新宮藩兵の装備を知らない。
あと「フランスに30隻ほど汽船を借りてくれば絶対に勝てる」などとたわけたことを言っていて、
べつに「敗戦」を予想して停戦交渉を始めたわけではなく
本荘は現地で見聞した内情によって「いまの前線部隊では」勝算なしと判断して、
幕軍を強化して大規模攻勢をかけるほかなし、さもなくば停戦をと要請しているんだよ。

つまり彼は戦闘経過を見てこれを書いたのではなく、開戦前夜の状況からほぼ継続して
交渉を開始してるんだわ。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:43:09.42 j5v3VnSJ0
なお本荘は彼自身「浅見にて」と断っており、戦闘経過や幕軍の内情は後付けに過ぎず、
彼自身の意見が先にあったことは明らか。

500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:51:24.50 j5v3VnSJ0
>>496
>連合艦隊の上陸した部隊は砲台を破壊したら、即座に撤退して沖に逃げているが?
>長州はそれを修復して砲撃をやり返している。

だってもともと砲台破壊が目的だものw 砲撃をやり返すって、いつの攘夷戦争の話してんだ?
しかも下関条約で砲台撤去を約束しちゃったから長州戦争の時も桂がイギリスにお伺い立ててる有様だろう。
イギリスは許さなかったけどね

>>497
おやおや、幕長戦争の長州側の最大の強みは下関の流通が止まったからと言う家近説を頭から否定していたのに、
今になって「関門海峡を止めたら大坂が大騒ぎになって戦争継続不可能」ですか。
お前ら本当に都合の良い所で他説を引用するね。
薩摩海軍は日本海岸に艦砲射撃を加えるだけで充分軍事的重圧を加えられる。
また薩摩藩の参加で主攻である萩口が実現した場合、体面上も紀州、熊本の撤退はなくなる。
さらに関門海峡を渡海攻撃していた長州海軍は、薩摩海軍と幕府海軍の挟撃にあったら一瞬で制海権を失う。

501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:58:54.43 j5v3VnSJ0
>>496
>石見方面で攻勢に出られないだけで、他の方面の戦闘結果は変わらんよ。
>大島も奪還されるし、芸州方面も大敗して逃げ散って、何とか防いでいる状態。
>小倉も大島の援軍が着たら、詰みだな。史実どおりに進む。
>石見方面の戦闘がないだけ。

面倒だからお前の言い分で反論してやろう。
石州口の惨敗が本荘の交渉に影響を与えたと主張しているんだから、
石州口で攻勢に出られなくなっただけで停戦の必要性は半減するじゃんか。
芸州口では紀州と幕府歩兵が長州藩を返り討ちにしてるんだし。
それと小倉に関しては上述の通り、退守していた幕府海軍が薩摩海軍の回航で出てくるから、
こちらも関門海峡にまず出てこれない。さらに石州口の兵力が萩に釘付けになるから、
史実では石州口から徐々に回ってきた余剰兵力が7月以降攻勢に出るのも困難になる。

>軍の質に大差はない、なら当時の輸送力の上陸戦になる。

かなり差がある。長州藩兵と薩摩藩兵の動員力だけでも比較してみるといい
薩摩藩は軽く数千は動かせる。戦時体制でもその程度の長州藩のほうが財政的に干上がるよ。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:06:05.32 j5v3VnSJ0
×>>496
>>488

>>490
>小倉方面は第二奇兵隊、つまり大島を奪還した部隊が回っている。
>石見方面の軍は岩国に回っている。つまり小倉陥落は変わらん。

だからそれは主攻の萩口が存在しないと言う前提で組み立てられた作戦だからだろ。
薩摩が参戦しないと言う言質を与えてるんだから。
石州口の軍を岩国に回せたから第二奇兵隊が小倉にいられたんだよ。
薩摩海軍が萩の沖合から関門海峡近辺まで遊弋するような状況では兵力の配置が一気に変わってくる

さらに何度も繰り返すけど、大手軍である萩口が実現したら、熊本藩は勝手に撤兵できなくなる。
小倉が陥落したのは熊本藩が終始非協力的で、さらに解兵したことが決定的要因なんだから

503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:14:01.11 T9+1xdQSO
熊本にもアームストロング砲が、あったのは意外だ。

504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:30:09.66 j5v3VnSJ0
>>だから小郡宰判の兵が「志願兵制」であるはずの奇兵隊でたちまち殺されてるんだよ
>そういえばこれ初耳なんだがw有名って誰が言っているんだ?
>部落民だから処刑されたとか言っているが。そんなケースは存在しないよ。奇兵隊にはね。
>命令を無視して勝手に隊から離れた奴が処刑されたケースはあったが。まさかその事じゃあるまい?

存在する。小郡宰判や幕長戦争の時の私刑は奇兵隊日記にも書いてある。
無許可離隊が処刑されるのは当然で、そんなケースをわざわざ研究者は取り上げたりしない。
長州の部落解放史で30年くらい前には少なくとも確認されてるし、
それこそ遠山や田中彰の時代から普通に被差別部落民への長州藩の待遇は記されている。
知らないのが信じられない。

>>それは粛清の際の口実ね。被差別民出身諸隊は在地を離れたものは強制解散されられている。
>口
>>志願さえすれば自由に身分移動を許されるわけだから、士分からなる藩権力にとっては異常事態
>は?身分移動なんてないよ。何言っているの?

ある。非常民は選抜入隊制(定数制限あり)だったが入隊した時は平民取立、苗字帯刀も許されてる。
自分で書いていたことを良く思い出せよ。被差別民、非常民は刑吏邏卒の役割をしてたんだろ。
それが在地を離れて勝手に志願してそれを認めたらどうなるんだ。
非常民を集落ごと管理することが不可能になり、つまり非常民と言う身分そのものが事実上消滅する。
それはどういうことか。良民と非常民が一緒くたに扱われることになる。
となると非常民を良民の監視に当たらせる藩構造が不可能になるばかりか、
良民出身の兵が差別撤廃に強く抵抗する。実際、解放令を出すのが難しかったのはこれがあるから。
だから長州藩は藩が身分移動を許可した兵(弾左衛門と同じく限られた階層だね)のみ入隊を許可し、
それ以外の在地の移動を認めていない。「穢兵」を藩が認めることなどあり得ない。


505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:49:44.66 j5v3VnSJ0
上関茶筅隊で「金作」をはじめとする茶筅を第二奇兵隊が逮捕した一件は、
「金作」が大野を出奔した=在地を離れた人物であり、
さらに他の被差別部落諸隊とは明らかに違う隊中規則を定めたりしたことが藩の警戒感を買ったもので、
新撰組への入隊志願歴は後付けの理由に過ぎない。ましてや「敵との通謀」に至っては完全に事実無根。
そもそも入隊を志願したかどうかも実際には分かっていない。
残っているのは金作の自白だけだが、彼は取調中に恐らく拷問を受けて自殺している。

そもそも慶応元年の結成時点で金作の上方出奔履歴は知られていながら隊結成が許可されているのに、
慶応2年3月に至って突然逮捕されると言うのがおかしいし、茶筅隊の具体的な通敵行動もない。
普通に吉見隊へ付属させられて訓練に励んでいるが、外敵との通謀の兆候など一切ない。
ではなぜ慶応2年段階で粛清の対象になったかと言えば、
慶応軍制改革の結果、諸隊を藩が再編統一する過程で中央集権性が重視されたからに他ならない。
独自の隊規を有する茶筅隊は真っ先に目を付けられたと言うのがいまの有力な見解。

茶筅隊の解散と維新団の結成はほぼ時期を前後しているが、
維新団の隊規を見ると明らかに茶筅隊と異なり、隊士が「分限を弁えること」を強調している。
これは官製の被差別民諸隊に共通する隊規の傾向。

506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:54:45.34 j5v3VnSJ0
論者によっては維新団が前線に出される確率が異常に高かったことを
「忠誠心を試す意図があった」と見て、維新団が士分取立を辞退したのは
この茶筅隊の粛清で隊士たちが警戒したと言う説もあるくらいだよ。

つまり士分取立にうっかり賛成してしまうと、茶筅隊と同様に粛清の対象になりかねないと。
実際、井上も維新団が辞退するのを見越して士分取立を言っている可能性が強い。
脅迫したのか、経済的実利のほうを選ぶだろうと思っていたのかは定かではないけどね

507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:02:57.93 j5v3VnSJ0
長州藩ではこれ以前にも領民(士分も含む)による非常民の集団リンチ殺人が多発してるから、
維新団側も、士分取立とは言っても生活保障や事後のリンチを警戒したのかも知れない。
ちなみにこの時期、幕府も弾左衛門に命じて長州戦争での人足差出をさせているが、
まず前線で戦わせるような危険なことはさせてないし、家族の生活保障にも応じている。
幕府が人権を尊重したわけじゃなくて、一応、非常民は幕府が委託した業務を行うお役人的側面もあり、
皮革業は軍需物資調達の面でも貴重だから、無茶はさせられなかったのね。
維新団が前線に出されたのは確かに異常。

あとはなんだ、下関条約か。それもとっくに反論が出てるんで後で書こう。

508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:14:57.09 j5v3VnSJ0
>>491
お前の書いてることはぜんぶ主観じゃないか。
「公認制だよ」「いや追認だ」どっちも許可制には変わりない
酷いのは、最初から隊設立を許可しなければいいのに許可した後に
藩の内情で茶筅隊みたいにどんどん潰していくんだよ
被差別部落民の組織は実は俗論派が慶応元年初めから開始して諸隊討伐に当たらせようとしてるんだよ
この段階では当然、藩の「命令」ね。

509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:20:40.79 j5v3VnSJ0
で、正義党政権はそれをそっくり戴いた。ところが慶応2年段階になって突然粛清を始めてる

>>493
と言うかお前、金作の口供(それも拷問に耐えかねて自殺)しか残ってないのに、
なぜ無実じゃないとか分かるんだよ。金作と新撰組の関係を断定できたものなんてないよ

それと長州藩でその前に良民による被差別民のリンチ殺人がたびたび発生していることをどう説明する?
確かに被差別民は「家業」を独占した状態で、良民とは別建ての人たちだったことは確かだが、
社会的差別が厳然として残っていたのは事実なんだが。
何で全国で最も優遇された大富豪の非常民である弾左衛門が「身分取立、醜名除去」を強く要請しているのか
お前はちゃんと説明すべきだな。
だったら解放令なんて出す必要はないじゃん。

510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:30:50.79 j5v3VnSJ0
>>494
長州が下関条約でどう突っぱねてる?
高杉が租借を拒絶したなんて話は伊藤の回顧録に出てくるだけで、
サトウの記録には一切出てこない。
長州が下関開港を勝手に認め、砲台撤去に応じ、償金支払の約束まで応じたのは
アヘン戦争の諸条項と全く同じだぞ。

しかし幸いなことに、米蘭仏はオールコックと異なり、問題への深入りに消極的だった
幕府はそこを衝いて交渉を重ね、事後に「賠償」ではなく「友好関係維持のための補償」
とすることに成功し、同時に長州への懲罰は「大君政府の職務」として勝手な長州攻撃や開港の強要を禁じている。
償金も6回ローンで3回分の支払は慶応2年までに滞りなく済ませている。
明治政府になってからのほうが支払に時間がかかってる

幕府の開港交渉は長州戦争とはスレ違いになるが、
幕府は「開港拒絶→落としどころを探る→最終的には開港を許可した上で商業範囲を限定する」
と言う限定開国を目指してたことは明らか。交渉の主眼は開港の是非でなく開港条件。

ところが内情を知らない尊攘激派には「幕府が譲歩した」と見えたと言うのが実情。
薩摩藩なんかは阿部からこれを伝えられてる

511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:38:35.94 tgpzSxq60
幕府が結んだ条約自体が阿片戦争と同じだよ
だから攘夷論が起きて倒幕に行ったんでしょ
しかも攘夷を約束しながら国内を騙しやらなかったからね
だから倒幕されたんだよ

512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:40:14.03 j5v3VnSJ0
>>495
>宮内を迂回攻撃されて大野からも撤退してる。

それいつの話だ?
もともと幕軍が「出張っていた」前線が大野で、総督辞任騒動が起きてからは大野を放棄してるよ
7月末からの攻勢では幕軍は宮内を通過してるし

513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:40:58.11 j5v3VnSJ0
>>511
アヘン戦争と同じと言われるのは下関条約のほうだよ。租借がないだけで。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:44:37.65 j5v3VnSJ0
何か反論このくらいかね。拍子抜けだわ。

515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:08:59.30 j5v3VnSJ0
ちなみに幕府の施策が従来言われていたように幕府による貿易独占を目指してはいなかったこと、
諸藩との情報共有もそれなりになされていたこと、開港条件に際してもかなり粘っていることは、
今日学界ではほぼ周知なんだがお前らどこの大学?

516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:36:38.05 bal8aVMP0
士分と庶民の袖印で区分があり、守らなかったら処刑された話とか知らないんだね
東京招魂社も大村益次郎が「屠卒」は除外してるけど、
その先例は下関の桜山招魂場の「門閥の習弊を矯め、暫く穢多の者を除くの外、士庶不問」
と言う高杉の布告にあることも知らないんだろうか

517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:43:09.30 tgpzSxq60
幕府ってのは徳川家の為の政権なんで国内が統一できない
だから日本の政権、誰もが認める天皇を頂点とした政権を作ろうと尊王論がでるわけね

518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:49:32.66 Zr7U7H+50
>>516
それは怪しいんだよなあ。東京招魂社で屠卒に関する論争があったのは事実だが、
真偽不明じゃないか?だいたい良民の部隊に入隊を許可された時点で良民扱いでしょ
仮にそういう事例があったとしても、どうして分かるのかと言う問題がある

高杉のその発言は入隊時に「エタの者を除くのほか」と門前払いした奴が混同されてるんじゃない
まあそっちのほうがさらに酷いけどさ…

519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:14:56.06 /9JaFnBq0
>宮内を迂回攻撃されて大野からも撤退してる。

これもしかして8月7日の戦闘じゃないの?
とすれば本荘停戦交渉や紀州の総督辞任騒動と全く関係ないけどw

7月末からの幕長双方の戦闘は相当の激戦になってるが、
28日には幕府歩兵が宮内に進出して占拠、紀州・彦根・幕府歩兵が大野に進撃、
長州は高所からこれを銃撃すると言う全く同じパターン。幕府海軍と紀州海軍が砲撃を加えたことで大苦戦に陥るが、
日没になったので幕府軍は引き揚げ。こっちは海軍の援護射撃つきだから普通に引き揚げ。

第2回の攻勢も幕軍からで、この2回の戦いで彦根藩は奮戦して幕軍は陣地まで構築して事実上占拠に成功したが、
やはり日没を迎えて長州藩兵が後ろに回る懸念があるからと、戦わせてくれと言う彦根藩を引きずるようにして退陣している。

第3回攻勢は連敗に危機感を覚えた長州藩軍が大攻勢を仕掛けたんだが、
台風が襲来して幕軍が凄まじい逆風に晒され視界がほとんど効かなかったために接近に成功している
ここでも奇襲にも関わらず幕軍がどんどん増援に駆け付け、見事に敗退している。
ところが明石を通って宮内の本拠を攻めた部隊は風雨で幕兵の視界が効かないのが幸いして
ここを制圧するのに成功し、せっかく大野にいた幕軍も後ろを取られたから引き上げざるを得なくなっている

一連の戦闘で長州も彦根藩の善戦を第一に挙げて評価しており、
緒戦の戦闘で相手との戦い方が分かった彦根藩は素早く軍装について指示を出し、
以後は旧式装備で、しかも高所を扼されると言う不利な状況でも対等に戦ってるんだよな。


520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:20:23.07 /9JaFnBq0
芸州藩がこの段階で廿日市の幕軍と長州の間に入ったのも、
長州藩の領内乱入を警戒したと言うか、主に幕軍を止めてるんだよな。

と言うのはこの時は慶喜が陣頭指揮の意向を紀州藩に伝えたので、
早めに休戦状態を確定してしまわないと、慶喜出陣を控えてまた幕軍が出撃しかねないから

521:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:40:14.69 /9JaFnBq0
あとこれが残ってるか。
>>492
>そうだよ。だけど長州の場合は部落も農民も志願兵でしょ。

上述したけど、志願兵ではない。基本的に村方や非常民の纏め役に対して兵賦差出を命じ、
一定の集落に対して差し出すべき定員を示す。その上で志願のあったものを選抜するわけ。
もちろん「志願」は願い出で充足されればよいが、充足されない場合も多いため
その場合は代人を立てることになる。まあどこの幕藩でも行っていた方法だよ
例えば願い出によって身分上昇を期待する傾向が強かった非常民集落に対しては
「○○名以上の入隊は認めない」と言うように強く制限している(被差別民だけの部隊であっても)

>じゃなぜ弾左衛門が幕府や政府に繰り返し身分解放、醜名除去の確認を求めているのか説明してくれや。

>幕府のケースであって長州とは関係ないなそれ。
>ていうかそいつ代々続く部落利権のドンだろ、今で言えば松本や野中のようなゴミくず。
>そして彼らの主張は革製品や刑務などの独占産業を維持したまま、身分上げろというものでしかないな。
>そいつの血筋もサラブレッド。

だから、なぜ皮革業において独占的権益を持ち、幕府の機構の一部として「役所」と言う地位にすらあった大富豪が
自分の譜代之家来65名の平民取立、「手下の者」の醜名除去まで願い出てるのかと聞いてるんだよ。
弾左衛門は与力格で、松本良順も普通に先代を診察に行ってるくらい重んじられたが、
それほど政治的、経済的地位の高い弾左衛門が銃隊を創設してまで身分上昇にこだわったのはなぜだ?

どうでもいいけど明治政府は兵部省が皮革を納品する必要上、弾内記(弾左衛門)の力を借りざるを得ず
彼の要求をほぼ通してたんだよw ほぼ弾左衛門の代弁者みたいなもんだな



522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:44:51.75 /9JaFnBq0
弾左衛門の要求は明らかに身分差別を前提としてしか考えられない要求だよ。
江戸で1,2を争う大富豪が身分引上を要求したのは、社会的差別を前提にしてしか考えられない
いくら事実上、浅草御役所と言う実態にあっても身分引上げが切実な望みだったんだよ。

523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:25:14.90 /9JaFnBq0
茶筅隊事件は、3つの証拠が全て「第二奇兵隊二被召捕茶洗金作、富蔵ニ関スル史料」
に所収されているもので、確実なのは金作が上方に出奔していたことだけ。
ところがここで新撰組から入隊許可を貰ったと言う文書にはおかしな点があり、
慶応元年4月14日の日付と新撰組隊士の名前があるが、
このうち村井善三郎は隊士と確認できる史料がない。尾関弥四郎は文書中に言う摂津難波の屯所万福寺にはいない。
新撰組側の史料にも金作の存在はない。この村井善三郎が易者だと言うんだが、
この人物は隊士ではなく、隊士募集の取り次ぎをしていたか、もしくは実在しなかった人物。
この時期は新撰組が隊士の大拡張を行っていた時期だから、上方で身分上昇の機会を求めて出奔した金作が声をかけられるのは
特段珍しい事情でもない。

ところが金作は結局これに興味を示さず帰郷している。
金作自身が述べる通り「格外出精」が第一目的である以上、郷里の長州で屠勇隊結成が始まったので
新撰組に加わる動機が既にない。よって彼は慶応元年11月に隊結成を許可され隊則を作っている。
結成当初17名だった茶筅隊は4か月で40名に急膨張した。ここで第二奇兵隊が28名を一斉逮捕している。
この規模は明らかに首謀だけでなく、茶筅隊と言う隊そのものを狙い撃ちしたもの。

金作が目を付けられたのは、この「格外出精」=身分上昇を説いて隊を結成した点だな。

524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:44:37.88 O3fnDde00
なお慶応年間には長州藩は文久年間と異なり、諸隊の設立の許可を厳しくする方向に転じている。
例えば桂は「みだりに諸都へまかりこし、勝手に農商兵を引き立てるのは厳重に禁止する」と言っており、
また藩令も「銃砲その他の技芸の師弟関係などにより私的に農商兵を取り立てる」ことも禁じている。

これがストレートに出たのが、自主的徴募を行い数百人と言われた小郡宰判の佐分利隊に対して
「軍制改正があったから農兵隊の結成は許可しない」と藩が通達し、布地を渡して解散させている。
軍制改革によって諸隊の自主性が著しく奪われ、それまで私的募集の追認があった庶民兵取立が厳しく制限されている

525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 05:58:25.26 bAi1WHNO0
濡れ衣着せて暗殺 
テロリスト長州藩の面目躍如

526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 06:33:01.52 HLUiAhP00
つまり6月19日、25日の戦闘では幕府軍が長州藩を撃退したがその後に茂承の辞任騒動で1回撤退
7月28日から再会した戦闘では幕軍はその間に大野を占拠した長州に対する攻撃
2回目3回目の戦闘では宮内、大野から長州藩を一貫して押しまくり、駆逐してるんだよな
台風に紛れて宮内への奇襲が成功するまでは

527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 06:39:42.17 HLUiAhP00
あと19日の戦闘は高所から銃撃できた長州藩にも大きな被害が出て
幕府艦隊の砲撃におびえながら徹底してるのに対して、
28日から始まった幕府軍の攻勢は海軍の援護に守られてじわじわ長州側を消耗させている
8月7日の長州藩兵の攻勢も、暴風雨が幕府軍に吹き付ける形で接近に気づかれなかったからで
明石から進撃した部隊だけが攻撃に成功したために幕府軍が撤退せざるを得なくなった

この方面では緒戦でこそ負けたが、長期戦になるにつれ長州兵の戦い方に慣れて次第に幕軍が優勢になってる
幕府歩兵はこの一連の戦闘で飛躍的に強くなってる

528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 07:08:57.90 HLUiAhP00
幕軍は7月上旬には紀州藩が一時撤兵状態になり、7月20日には家茂が逝去。
紀州藩と幕閣の対立も家茂に大きなストレスを与えたようで、
停戦交渉を聞いた9日に激怒し、翌日10日は食事を受け付けない状態になってしまい
病状が急速に悪化している。家茂逝去もかなり急な出来事で、この時点で征長戦は事実上終わっていたと言える

慶喜は宗家相続直後の27日に親征の意思を表明しているので、前線にいつそれが伝わったかは疑わしいが、
芸州口の幕軍の7月下旬の攻勢もあまり準備期間が取れないものになっている。
幕軍は8月20日頃に慶喜が芸州に到着して陣頭指揮を執る予定だった
(紀州藩の主攻は石州口へと変わり、慶喜自らが新補の部隊を率いて到着する)
ので、幕軍も攻勢には出たが、その頃の総攻撃を予定してあまり無理しなかったと思われる。

ところが幕軍が攻勢に出る直前の7月27日、小倉攻撃で熊本藩の来援要請を幕府海軍、小倉藩、
千人隊などが傍観したのが原因で激怒した熊本藩が解兵。小笠原が必死に諸藩を引き留めるが、
久留米、柳川、唐津すら撤兵してしまい、さらに小笠原に家茂逝去の急報が齎されて彼は急きょ上坂、
これに絶望した小倉藩が8月1日、城を自焼

小笠原から諸藩の解兵状況を聞かされた慶喜は一転して出陣を取りやめ、
芸州口の幕軍は予定していた第2次攻勢をすっぽかされてしまった。

529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 07:45:33.81 HLUiAhP00
ちなみに薩摩藩は27日に「急に態度を変えたら面目が立たなくなるので出兵はできない」
と言う懸命の上申を行っているため、慶喜の親征表明は家茂病没後、27日までの間になされたと思われる
薩摩藩内部でもさすがに徳川宗家当主=次期将軍予定者 の親征と言う事態に際して、
出兵に抵抗するのはどうかと言う保守派の主張もあり、大久保らが懸命に抑えたらしい

慶喜の親征に対して7月29日の朝議で薩摩藩の建言を受けて正親町三条実愛が反対論を主張したのに対し
孝明天皇がこれを一喝し、両者が激論する一幕もあった。
薩摩藩としては朝議で慶喜を引き留めてもらいたかったらしいが、結果的に征討令が出て動揺したことは確か。

530:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 08:08:44.78 CDgHAKjVO
>>520 528 529
出陣しても家茂が死去したから、どちらにしても挽回は無理ですね。

暗殺されていたらそれでも、ひきさがったでしょうか。

531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:10:53.53 ZWr9Z24c0
孝明天皇はほんまに長州が嫌いやったんやな。
あの朝議で天皇が諸卿の反対を押し切って慶喜に征長令を出すとか前代未聞やわ

532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:19:19.71 CDgHAKjVO
鉄砲を打ち込まれたから、そうなるでしょう

533:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:49:31.04 ZWr9Z24c0
慶応2年の長州征討令の話やで、孝明天皇だけが征長軍解散に反対した
慶喜が解散を奏上してもなかなか許さなかった

534:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:56:58.91 CDgHAKjVO
うそでしょ

535:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:24:05.10 XQOsSCmc0
>>496
長く書けば(以下略w
薩摩が上陸戦を行わないなら無視していればいいだけ、上陸兵乗せて遊弋するならただのアホ。
食料や衛生環境やら、砲弾打ち込まれたらどうするのとかあるのでありえんw

>また石州口や小倉口に関しても薩摩海軍が出没することで進撃が困難になる

ならない、大島は幕府海軍がいたが普通に奪還。芸州のほうも幕府の艦隊がいて砲撃したが、
普通に長州が買っている。小倉も幕府の艦隊がウロウロしていたけど、通行の邪魔になってない。
薩摩の艦隊がきても同じ事。薩摩が幕府の私戦に死力を尽くして戦い。艦隊を全部沈めていいくらい頑張れば別だが。
ありえんよw

>この時期長州藩の財源はかなりの部分通商に依存していたから荷を止めるだけでも大打撃

無理、したで他の人も言っているが、そんなことしたら日本の物流が止まって大変な事になる。
>>500
馬関戦争の時に普通に破壊された砲台は翌日には修復されて打ち返している。
また下関に協定で置けなくても、萩には置ける。
また下関に砲撃は出来ない。連合艦隊でも出来なかった。
ここは各藩の御用商人の倉庫街になっており、ここを吹き飛ばす勇気はないよw
長州だってここで戦争したくなかったから、渡航攻撃なんて無茶したんだし。

>おやおや、幕長戦争の長州側の最大の強みは下関の流通が止まったからと言う家近説を頭から否定していたのに

誰にレスをしているのだお前は?
長州征伐で物流が滞ったのは、江戸大阪の物価高騰の要因の一つ。

>また薩摩藩の参加で主攻である萩口が実現した場合、体面上も紀州、熊本の撤退はなくなる。

面子じゃなくて被害の問題なので、熊本藩は援軍遣さない限りかえるよ。
なんで薩摩ごときが参戦したからといって戦う義理があるのかわからん。

536:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:30:46.63 XQOsSCmc0
>>498
何を言っているんだ?大野の撤退は浅野との政治的な妥協もあり、
無理をするところじゃなかったから、この方面の死者は100人を切っており。
それ以上の被害が出ても突っ込んだ小倉などと比べてもやらなかっただけに過ぎない。

>それとお前は本荘の交渉が「25日」に開始されていたことを前提とするが、

そんなことは言った覚えはない。また20までで大敗をすでに喫している。
長州はお前がマンセーする芸州のほうですら、
この方面は防御の予定で川の向こうで渡河を防ぐ予定だったのにだ。
それにそもそも交渉?降伏しろとか言っているだけだったろw


537:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:40:45.39 XQOsSCmc0
>>501
>石州口の惨敗が本荘の交渉に影響を与えたと主張しているんだから、

ンな事は言っていない。
ていうか薩摩が参加してくれれば、交渉する必要がなかったとかいう主張?
仮定に仮定を重ねて何がいいたいのだお前は。
ここでの論点は、大将が弱気になって停戦を申し込んだから、士気が下がって戦えなかったというお前の主張を、
その時点でもう大勢は決していると言っているだけだよ。

そしてそこの内容は仮定と妄想の産物であり、水掛け論にしかならん。
薩摩が参加してもやる気になるかどうか疑問であるし、
薩摩が参加しても普通にまけるだろうし、他藩がさらにあっさり負ける事もある。
お前の主張に根拠が伴わないので意味がない。

>かなり差がある。長州藩兵と薩摩藩兵の動員力だけでも比較してみるといい

長州の動員兵力は二万を超える。薩摩が戊辰戦争で遠征した軍は8000弱だが、
長州はそれくらいは動員しているからね。
最も薩摩は西南戦争で二万くらい動員しているから、二万くらいは動員可能だろうな。
戊辰戦争で長州が保有した洋式銃も二万を軽く超えていた。
長州の当時の実高は100万石はある。薩摩の実高は実はそれほどでもなくて70万石ほど。(どちらも支藩含む)
これを一万石250人に当てはめると、(400から500は戦国時代でも動員可能といわれているが)
長州の最大動員兵力は25000になる。
また財政もかなり上だな。長州は戊辰戦争では薩摩と違って一度も外国から借金はしていない。
それでいて藩を潰したときには100万両の備蓄があった。
当時数千で戦ったのは洋式銃の数と錬度の問題。

538:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:46:50.81 XQOsSCmc0
>>502
小倉の陥落はかわらんよ。芸州口を幕府が打ち破るのは不可能。
長州の戦略は事前の計画はこの方面は防衛であり、侵攻までする必要はないからね。
援軍をこっちに割く必要性がない。
大島の部隊はそのまま小倉にいく。史実に変化はない。石見方面がなくなるだけ。
その石見方面にしても萩までくれば、蹴散らされるだけ。

そしてなんで薩摩が参加したら、熊本が撤退できなくなるんだかw
史実同様長州の突撃を単独で防ぎ続けて、幕府が援軍送らなければ帰るよ。
まだ薩摩が小倉防衛に入るとか妄想してくれよ。それなら流石に長州も抜けないだろうがな。

で、今から出るから、後で残りはかえそう。

539:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 12:01:20.18 CDgHAKjVO
榎本がいたらと、思ってしまいます

540:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 13:06:51.36 XQOsSCmc0
>>504
>存在する。小郡宰判や幕長戦争の時の私刑は奇兵隊日記にも書いてある。

なら奇兵隊日記の何巻の何項なのか書けるよね。
まさかそいつ庄屋とか嘘ついて入隊してないよね?

>ある。非常民は選抜入隊制(定数制限あり)だったが入隊した時は平民取立、苗字帯刀も許されてる。

ないよ。維新団にしても元の身分のまま参加している。

>それ以外の在地の移動を認めていない。「穢兵」を藩が認めることなどあり得ない。

屠勇隊にしても維新団にしても、名字帯刀などしていない人珍しくないんだが?
奇兵隊の名前にも苗字のない名前は珍しくない、利吉とかそんなの普通あるよ。



541:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 13:49:42.50 XQOsSCmc0
>>505
>金作
金作が長州から家族を連れて出奔して、新撰組へ入隊志願した事実がバレタから、
急遽奇兵隊が出動して、強制解散させられ、捕まっただけ。
同時期にある維新団は誰も捕まっていない、一新組もな。

金作の口述書がおかしいというが、金作と富蔵二人の口書が食い違っており、
二人に議論させたら、金作は最初は威勢よく議論していたが、後に黙ったと記されている。
自殺したのはその日の晩。ただたんに嘘がばれたので、自分の口を封じただけでしょ。工作員だよこいつは。
金作の口書は家族が帰りたいとかいうから、占師に占ってもらった。それが新撰組だったとかいう内容だよ。
拷問の末の捏造にはみえねーよw検察ストーリーもびっくりの内容だ。
適当に嘘並べたら、つじつまが合わなくなったんだろ。
ただ具体的な名前があっているので、実際新撰組と接触したのは確かだろうな。
ちなみに富蔵によりと、金作自らが新撰組を尋ねたとある。

100歩譲って金作が無実だとしても。家族連れて出奔して、いきなり帰ってきて隊を結成。
その時新撰組に入隊したという噂が流れた。これは否定できない事実だろう。
そりゃ逮捕するわ。
>>506
前段の上関の件がまず嘘の上に、それらの内容にも史料により裏づけがない、お前の妄想としか言いようがないな。
前線で活躍したのは否定せんが、芸州口が圧勝であった為か、死者も少なくたった二人。
井上は高杉よりも上の身分だが、伊藤が有人であるようにそういう拘りは少ない。
実際その働きをほめる事をしている。

542:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:03:38.27 XQOsSCmc0
>>507
そもそも維新団をはじめ部落の人達も郷土防衛に立ち上がった者達であり、
前線に出るのは当然だろう。
それをお前らが、彼らにはそういった公の為に戦ったわけじゃない、
ただ自分の身分向上の為と貶めているから、そんな変な解釈になるんだよ。
郷土の為に戦ったから、士分取立ても断って、戦争終わったら引退したわけ。

>長州藩ではこれ以前にも領民(士分も含む)による非常民の集団リンチ殺人が多発してるから、

そりゃ彼らは下っ端官吏だからね、民を支配する体制側の人間だ。
そして武士のように守られているわけじゃない。その不満の捌け口にされたとしてもおかしくないが。
それが何の関係があるんだ?
>維新団側も、士分取立とは言っても生活保障や事後のリンチを警戒したのかも知れない。

士分になったものにそんな事できるわけねーだろwそういったリンチなどがなかったから、身分の向上を断ったと見るべきだな。
そもそもそのままの生活を選んだだけの話。
>>508
文久に攘夷やるってんで、海防の為におのおのが諸隊を作ることが認めらているんだよ。
元治に馬関戦争があって、高杉のクーデターがあり、色々あって方針が変わり、
作られた諸隊を合併編成して奇兵隊などの少数の隊にまとめたわけ。
上関茶筅隊が潰されたのは新撰組との内通疑惑。上代の茶筅隊は普通に存続している。

>何で全国で最も優遇された大富豪の非常民である弾左衛門が「身分取立、醜名除去」を強く要請しているのか

山口の事例とは全く関係がないな。そもそも彼らは利権を独占して超え太っていたもの。
ちなみに防長一揆では、彼らの解体業の人間への不満もあったとされている。

543:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:08:45.09 XQOsSCmc0
>>510
彦島租借に限らず、賠償金も突っぱねている。幕府に聞けとね。
そして幕府は下関の開港は利権独占が崩されるのでいやだった。
兵庫の開港もいやだった。なので賠償金払うと約束したんだけど、
幕府は賠償金をさっぱり払えず、結局開港することになり。
借金の支払い延長の変わりに、関税を20%から5%に下げることになりましたとさ。
へタレな上に馬鹿ですね。外交能力0といっていい。
ちなみにこの借金は明治政府が期限前倒しで返済できたもの。幕府がどれだけ腐っていたかよく分かる事例。
>>515
誰だよんな馬鹿な事言っている奴は、晒していいよ。
石井せんせーもそこまで耄碌してないだろ。

544:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:24:15.95 uVtDbkbz0
長州は朝敵であるから滅ぼされて当然と論ずる

545:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:27:33.75 XQOsSCmc0
まあこういった歴史の新解釈は良くある事だけどね。
無能な研究家が従来の研究結果をなぞるだけなのが嫌なので、
新発見、新説を作りたがる。
結果常軌を逸した珍説が出来上がってしまう。
もしこのお前の発言が事実なら、そういう事だ。史学には良くある事なので気にすんなw
>>519
かなり間違っているな。
28日は幕府軍が攻撃を仕掛けたのを長州軍が防いだ事例。
紀州の軍は中山峠の山上、つまり高所から攻撃を仕掛けたが長州軍を抜けず敗退。
本道からの幕府歩兵や彦根も長州は守りぬきやっぱり敗退。
八月二日 今度は大野村に侵攻した。海上からの砲撃に苦戦するが、そのまま夜まで守りぬき幕府は撤退。
六日 広沢実臣と芸州藩との停戦交渉が実ったので幕府軍に最後の打撃を与えて撤退する方針が固まる。
嵐に乗じて奇襲を行う。ただ幕府軍は察知していたのかなんとか防ぐ。
七日 早朝から長州は反撃を行いそのまま奇襲を成功させ撃破。
幕府側は雨が続いたことにより火薬が湿って使い物にならなくなっていた。彦根高田と崩壊する。
結果幕府軍が包囲殲滅される憂き目にあい、あわてて陣屋に火をかけて逃走した。
これが史実だよ。なんだその脚色しまくりの歴史小説はw
>>520
幕府軍のほうが酷かったからね。長州は最初荒らしていたものがいたけど、
そういうものは処刑すると触れをだし。また米などを炊き出しをして人身掌握をしていたが。
幕府は勝手に使って、すき放題暴れて略奪は当然する、最後には火をつけて逃げ出すと、
盗賊みたいなものだった。

546:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:38:19.70 XQOsSCmc0
>>521
以前書いたように志願兵。
当時の長州は各地で攘夷決行のためかどうかしらんが、砲撃するともに。
各地で武装させている。
それら多くの志願兵を、ある程度まとめたのが慶応になってから。

>だから、なぜ皮革業において独占的権益を持ち、幕府の機構の一部として「役所」と言う地位にすらあった大富豪が
>522
金を持っているものが次にほしいのは名誉だから。つまり武士になりたかっただけ。

>どうでもいいけど明治政府は兵部省が皮革を納品する必要上、弾内記(弾左衛門)の力を借りざるを得ず

そうだよ、今度は明治政府の軍部と結託して利権を維持しようとしただけ。
だが明治政府が牛馬の解体権を自由化した、牛馬の死体は部落の物ではなくなり。
かわりに部落が牛馬の解体をする。つまり「穢れ」た仕事をする義務がなくなったんだよ。
でこれに強行に反対して、軍部にも反対しろと迫っていたのがこいつ。
つまり彼らは、身分や仕事の平等化には興味がなかった。ただ利権屋だった事が分かる。
彼らが真の平等を求めていたなら、政府の牛馬の解体を部落に「押し付けていた」
差別的な行動の撤廃を賛美していたはずだ、だがその構造の維持の為に最後まで抵抗している。
どういう人間かよくわかるケースだな。
彼らの先代も非人との利権争い。芸事などがエタから脱却するのを邪魔していたりと、ほんと酷い連中だよ。

547:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 15:13:11.17 CDgHAKjVO
戦争に略奪がつきものですからね

548:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:27:22.98 nnU1MpND0
>>519
484で>天狗党にコテンパンにされた幕府歩兵も善戦して以後は全く進めなくなっている
と書いてるから反論したのよ。469で本荘をあげたのは和平工作による混乱前に
守勢にまわってるってのを示しただけで、他で本荘あげている奴と俺は別人よ。

>第3回攻勢は連敗に危機感を覚えた長州藩軍が大攻勢を仕掛けたんだが、
>台風が襲来して幕軍が凄まじい逆風に晒され視界がほとんど効かなかったために接近に成功している
>ここでも奇襲にも関わらず幕軍がどんどん増援に駆け付け、見事に敗退している。
>ところが明石を通って宮内の本拠を攻めた部隊は風雨で幕兵の視界が効かないのが幸いして
>ここを制圧するのに成功し、せっかく大野にいた幕軍も後ろを取られたから引き上げざるを得なくなっている

>一連の戦闘で長州も彦根藩の善戦を第一に挙げて評価しており、
>緒戦の戦闘で相手との戦い方が分かった彦根藩は素早く軍装について指示を出し、
>以後は旧式装備で、しかも高所を扼されると言う不利な状況でも対等に戦ってるんだよな。

彦根藩を過大評価しすぎだわw確かに長州側の記録でも彦根の奮戦は確認できるけど
旧式部隊の奮戦は下関戦争での矢兵や鳥羽伏見の会津槍兵でも散見されるけど
結局戦況を挽回できてない。数が多い側が高所を扼されてる時点で戦術眼が無い。
というか鳥羽伏見でも迂回攻撃されて弱体な部隊を突かれて包囲という状況は
あるから、兵制を統一できてない幕府軍の通弊だ。新政府みたいにライフル以外
もってくるなと命令すれば良かったのに、弓は勝手しだいと深く諸藩の軍制に介入
しなかったのが致命的だった。

549:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:28:00.35 oqTmoFxU0
>>509
丸々頂いたって、被差別民部隊設立は吉田稔麿が提出した屠勇取立の意見書が大元なんだけど。
その結果、有志であることを重視し、「其の名を何とか改め、其格を本格より一層高くし目覚敷派手に装はせ、給金相応にあてがう」
「穢多之名目被差除、平常一刀胴腹(服)」の被差別民部隊が誕生した。

あと解散後の論功行賞については、身分上昇と出征か土地の保有かで後者を選んだって事実しか分からないんだから、
どちらの立場からしても水掛け論にしかならないと思われ。

>>508
根本的な勘違いがあると思うんだが、大村益次郎による軍制改革の前後で状況が全く違う。

軍制改革後は、軍備と士官数など考慮して既存の部隊は全て精選されてるし、勝手に志願者を部隊に入れるなと複数回触書も出てる。
新しく志願者部隊を結成しても、これは小郡の農民による志願隊の例だが
「此度軍制改正被仰出、諸郡一統之御規則一一茂拘里、無余儀次第一一付不被差免候」
と言って解散させている。
ここで重視されているのは、藩の内情ではなく軍制であり藩の戦略だよ。
藩政の指導者自体が違うんだから、許可なんか出さなきゃ良かったってのは無茶振りもいい所だよ。

>>521
因みに、部隊を解散させただとか精選したこと自体が、長州藩に志願兵が多かったってことの傍証になってるよね。

550:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:40:34.64 nnU1MpND0
>>510
砲艦外交での開国である以上粘っても武威は傷つく
経済的混乱、疫病の流入で仁政も揺らぎ
勅許を得られないことで尊王もダメ
これだけ幕府の正当性を弱体化させれば、幕政が混乱するのも必然よ。


551:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:44:01.98 nnU1MpND0
>>537
戦国時代の軍役を幕末に当てはめるのは無茶だわw
戊辰の時だと薩長両方とも動員兵力は1万1千で同じね。

552:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:49:54.46 ltSI0+H50
>>540
無知も甚だしい。維新団は茶筅隊の解散を受けて「身分を相弁え」ることを重視して作られた官製部隊。
被差別民だけで結成された部隊だから、当然、身分は被差別民のまま。
隊則も知らないのか?

また奇兵隊は誰かが言ってるように高杉の「エタの者を除くのほか」に見られるように、
事実上、被差別部落出身者を排除している。入隊時は許可制か、または身分を隠すほかない。
奇兵隊日記や諸隊の証言などを突き合わせると、しばしばその問題でリンチがあったのは確実。

553:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:58:25.74 ++yrG9C70
超天才エリートの高杉東行に初めから勝てるはず無いじゃ

554:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:59:14.11 ltSI0+H50
>>それ以外の在地の移動を認めていない。「穢兵」を藩が認めることなどあり得ない。
>屠勇隊にしても維新団にしても、名字帯刀などしていない人珍しくないんだが?
>奇兵隊の名前にも苗字のない名前は珍しくない、利吉とかそんなの普通あるよ。

元治元年6月24日から7月の一連の布告に見られるように、奇兵隊では身分を示す袖印の着用を義務付け、
苗字帯刀許可者以外は姓を書くことを禁じる峻厳な軍律を出している。違反した場合は処刑するとも言っている。
これは良く指摘されるように、私称を隊内に持ち込んでいた違反者が相当数存在したことを意味する。
苗字がない=部落民 ではないんだがそんなことくらいは分かるよな

ちなみにこの布告が短期間に再度出されていることから、最初の達しでも庶民出身者隊士はこれを嫌がったことを意味している。
これ1つ取っても奇兵隊は身分差別のない志願兵だったなんて言えない。
比較的締め付けが緩やかな文久年間ですらこうだったんだから



555:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:01:51.20 ltSI0+H50
違反者と言っても当時の民衆は普通に姓を私称していたんだから、
身分上昇を期待して入隊したらそれを使うなと言われるほうが驚きだったに違いない。

>>534
7月29日の朝議では孝明天皇は「征長の事解兵は相成らず」と厳命してますよ

556:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:12:42.24 ltSI0+H50
>>541
もちろん対決審問くらいは知ってるが、金作と富蔵に関する史料は全て長州藩側のもので、恐らく拷問が加えられており、
その信憑性じたいが疑わしい。金作と富蔵の言い分が食い違うこと自体はちっとも変じゃないよ。
富蔵による反駁証言=つまり金作を誣告する人間 が出てきた段階で金作の有罪はほぼ確定なのだから、
真偽に関わらず彼の処刑はこの段階で決定している。自殺したからと言って彼が新撰組に入隊志願したなどと言う事実は認定できない
それと彼らの証言で研究者が重視するのは新撰組云々より「格外出精」の部分。
現に口供に対応する新撰組側の人物は確認できないか、もしくはその場にいない。
さらに金作が家族を連れて上方に出奔した人物なのは慶応元年11月時点で周知の事実だった
(わずか半年前の出来事)なのに、茶筅隊は普通に結成を許可されて活動している。
なぜ慶応2年3月になって隊が形を整えた所で突然逮捕されるのかがそもそも不明。

お前はソース重視のようだから、もちろん新撰組と金作の結びつきを示す驚きの新証拠を挙げられるんだろうな?
茶筅隊と維新団は早くから研究対象になってたから、後世の聞き書きじゃ話にならないよ。

557:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:26:57.35 ltSI0+H50
職権主義のお白洲で対決審問をすると言ったら普通は有罪判決のための布石。
少なくとも裁判官が強い嫌疑を抱いていることの徴表になる。富蔵の反駁証言で金作の有罪が決せられたわけではない。
それは拘束者の数が隊士の7割にのぼる28人と言う異常な多さであることで明らか。
当然、当初血盟した者ばかりでなくその後の徴募に応じた者が一網打尽にされてるんだが。
隊そのものを狙ったとしか考えられない。

>前線で活躍したのは否定せんが、芸州口が圧勝であった為か、死者も少なくたった二人。
>井上は高杉よりも上の身分だが、伊藤が有人であるようにそういう拘りは少ない。
>実際その働きをほめる事をしている。

働きを褒めるのは当たり前だろw
と言うか維新団は幕軍の記録にもあるほど目立った部隊で
(もちろん穢兵であることを示す黒ずくめの軍服を着てたせいもあるが)
維新団の結成が慶応2年の対幕戦前の比較的遅い時期であったことを考えると
(隊則の日付が5月、実戦が6月、この間わずか1か月)
前線に出る確率が非常に高いのは否定しようもない。
また戦死者2名だから軽微な損害だとか寝ぼけたことを言ってるが、
当時の戦闘は数名も戦死者が出れば激戦。負傷者12名が少なくとも確認されている
(正確な数は分かっていない)



558:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:27:22.41 XQOsSCmc0
>>552
維新団は別に解散を受けて作られたわけじゃない。
上関の部隊が突如捕縛解散になったのは慶応二年3月4日、
維新団はその前年の冬には既に存在していた。
ちなみに志願兵。
また身分はそのままと言っている。
誰にレスしてんの?


559:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:37:46.16 XQOsSCmc0
>>552
>また奇兵隊は誰かが言ってるように高杉の「エタの者を除くのほか」に見られるように、

なんか問題がおきて一時的に入れなかった時期があるだけ。だから「暫く」はなんだけど。
>>551
別におかしくはないな。そのくらいは余裕で可能。洋船などで補給している場合はもっと可能だろう。
ちなみに国許にも多数の兵士がいて、戦争中も逐次結成されているのでそのくらいの兵力は保有している。
その全部が前線に送られていないだけ。
薩摩もそのあとの西南戦争をみると本気を出せばそんくらいはいける。
補給の関係もあるから全力でいけるのはせいぜい九州程度だろうがね。

>これ1つ取っても奇兵隊は身分差別のない志願兵だったなんて言えない。

身分区別があった志願兵だったというだけ。それが何か?

560:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:47:13.59 ltSI0+H50
山代茶筅中は8月9日までに44人従軍、2名戦死、12名負傷だから実に損耗率3割に達する。

身分差別を示すのは維新団の黒服や前線での出戦率だけじゃない。
藩に提出した軍監の報告書には戦死者氏名・階級・死傷した場所の記載が克明にあるんだが
維新団に関しては「外に維新団7人大野手負」としか記されていない。被害報告に関しても明らかに人外の扱い。

さらに文久3年の屠勇取立令では「エタの名目被差除」と醜名除去だけは約束されていたが、
維新団の公式呼称を見る限り、これはまったく守られていない。屠卒と記されて厳しく区別されている。
(「維新団」と言う呼称も、報告書中では隊ではなく身分の呼称として使われている)

>そもそも維新団をはじめ部落の人達も郷土防衛に立ち上がった者達であり、
>前線に出るのは当然だろう。
>それをお前らが、彼らにはそういった公の為に戦ったわけじゃない、
>ただ自分の身分向上の為と貶めているから、そんな変な解釈になるんだよ。
>郷土の為に戦ったから、士分取立ても断って、戦争終わったら引退したわけ。

おかしいじゃん。諸隊は士庶平等の志願兵だったはずだろう。
だったら兵士のプライドの問題として身分上昇を求めてもちっともおかしくない。
長州藩部隊に刺激されて芸州藩でも「かわた」の兵士登用が始まっているし、
文久の達しの通り醜名除去や平民への身分引上げくらいの願い出はあって当然。
しかし実際はその後、在所で山林利用権などを与えられただけで、隊は活動を停止している。
これは他の歴戦の諸隊が一時リストラにあっても再び出戦したのを考えるとやはり異例。
現に弾左衛門は銃隊創設の見返りとして手下の者の「醜名除去」を何度も要求している。
何でここまで議論が進んできて、いきなり身分差別を肯定する従順な官兵になるんだ。

…お前の主張って、あのブログの言い分そっくりだな。付け焼刃で知識仕入れてね?

561:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:48:46.09 ltSI0+H50
>>559
なんか問題が起きて…この時期の奇兵隊は問題だらけ。
なんかとは何ぞや?史料プリーズ。

562:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:52:47.99 ltSI0+H50
つうかねこの長州おたくバカバカしいからいちいち反論する気なくなるんだけど、

かりに新撰組が金作の入隊志願を受け付けていたとしたら、
新撰組のほうが醜名除去も済ませず「身分を相弁えろ」とか言ってる長州藩諸隊より
はるかに先進的で開かれた志士集団だったことになるんだがw
これはこれで矛盾が生じるな

もっとも甲陽鎮撫隊では近藤は普通に弾左衛門の配下を受け入れいてるし、
特に問題が起きた様子もないから新撰組のほうが開かれてたかも知れんね。

563:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:59:34.58 ltSI0+H50
では反論の続きを開始すると
>>542
>>維新団側も、士分取立とは言っても生活保障や事後のリンチを警戒したのかも知れない。
>士分になったものにそんな事できるわけねーだろw
>そういったリンチなどがなかったから、身分の向上を断ったと見るべきだな。
>そもそもそのままの生活を選んだだけの話。

なぜ?天保の大一揆では打毀し件数741軒中171軒がエタ部落の家だよ。
その記憶もまだ新しいのに、士分取立を辞退するほうがおかしい。
さらに幕長戦争に輸卒を出した弾左衛門は「家族の生活保障」を幕府に求め、
幕府もこれを承諾している。士分扱いとなっても芸州口の激戦のような場所を引きずり回されたら、
家族の生活保障も明確になされていない中では事実上の辞退勧告と同じ。
生計の道が断たれるんだから


564:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:08:06.37 XQOsSCmc0
>>554-555
そうだね。実際奇兵隊にも無視して姓を名乗って、そのまま別段問題なく終わっている人もいる。
つまり違反者は普通におり、ばれなければ問題ないものであり。
場合によっては形式だけだったと見るべきだろう。

>>556
拷問があったらそう書かれていると思うが。当時は拷問なんて珍しくないし。
ただまあ拷問の結果の口述調書は信じられないというのはわからなくもない。
新撰組の拷問で、ありもしない事を認めさせられ、京都焼き討ち計画とか捏造されたからな。

>現に口供に対応する新撰組側の人物は確認できないか、もしくはその場にいない。

人の記憶はあいまいなもの。人物名が必ずしも合っているとは限らないし、記憶違いもある。
これは新撰組側の記録にも当然当てはまる。名前や場所が史料と違っている場合は珍しくない。
だが新撰組の固有名詞が一致しており、こういう偶然はないだろう。
それもマイナーな名前であり、尾関弥四郎が実際に隊士勧誘をしているので符号している。
村井は彼の従者とかじゃないかね。

>さらに金作が家族を連れて上方に出奔した人物なのは慶応元年11月時点で周知の事実だった
そこに疑問があるんだか。そもそもその時点で知っていたかどうかによる。
またそこで知らなかったとしても、その後新撰組との接触の密告があったのは確かだろうな。
でないと動くわけがない。


>少なくとも裁判官が強い嫌疑を抱いていることの徴表になる。富蔵の反駁証言で金作の有罪が決せられたわけではない。

だから少なくとも新撰組と繋がっていると強く疑われているという事だよ。
隊の大半が捕縛だよ。解散させられた隊はほかにもあるが。
こんな事例はない。つまりよっぽどの事であり。
新撰組との内通を疑われたのは事実だろう。
ほんとに内通していたかどうかまでは確定事項ではないがね。

最も俺はかなり疑っているが。つか真っ黒だろう。富蔵のほうに部があると見る。

565:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:15:06.02 XQOsSCmc0
>>557
兵士は170人、隊の名簿によると140人。
そのうち負傷が10、戦死が2 損耗率は一割以下。死亡率はさらに低い。
小倉口では一割以上が戦死しているし、芸州口でも8%ほどが死亡率だ。
それに比べれば、せいぜい平均レベルといったところ。
奮戦そのものは否定せんが、その被害は程度だよ。
ちなみに訓練は隊規が始まる前から行われている。

566:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:19:41.67 ltSI0+H50
>>543
彦島租借はソースが伊藤の後年の回顧談しかないよ。
交渉に立ち会ったサトウ日記には正使=高杉は全ての要求を何の留保もなく受け入れたと記してあり、
これには伊藤の働きが大きかったようだと感想を述べている。
現に下関条約5ヶ条に租借問題は入っておらず、今日では本交渉での租借打診の存在は疑問視されている
(実は幕軍もこの段階で保障占領を恐れて態度を急転させて長州に進発する姿勢を見せており、
英国も早く長州との話を纏めないと幕軍に妨害される可能性があった)

また償金問題だが、下関条約5ヶ条では①外国船下関通行の際の安全、②薪炭食料「その他入用の品」の給与、
③航海困難な条件の時は「障りなく」寄港許可、④台場の設置禁止、
⑤長州側からの発砲によって「焼失に及ぶべきの所焼かざるの故」その償金を出すべきこと
そのほかに軍の雑費を出すこと
となっている。⑤の償金の趣旨説明を見たら分かる通り、明らかに長州藩の砲撃の違法性を前提として
「当然下関を焼くべきところを焼かなかった対価として」償金を差し出すのであり、
戦費負担まで押しつけられている。これは明瞭な「賠償金」。しかも完全降伏に近い講和条件。

現にこの⑤を意識して、英国は幕府との交渉の際に「償金」が支払われるまでは下関を保障占領する、
と恫喝を加えている。長州側が苦し紛れに約定を交わしたのは明らか。

567:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:34:07.32 XQOsSCmc0
>>560
>維新団の公式呼称を見る限り、これはまったく守られていない。屠卒と記されて厳しく区別されている。

つまりこれは取り立てが条件としてあったわけでもなく、参加したものが一時的にでも身分が変わるわけでもなく。
彼らも身分が目当てではなかった事を示しているわけだが?

>だったら兵士のプライドの問題として身分上昇を求めてもちっともおかしくない。
>文久の達しの通り醜名除去や平民への身分引上げくらいの願い出はあって当然。

そもそも平民が部落より上だったか疑問なのだがな。部落は職人集団であり同時に特権階級でもある。
そしてなにより利権集団だ。武家の庇護のもと独占した活動ができる。
特に茶筅は牛馬解体などの「穢れ」た仕事ではなくて、ただの下っ端公務員なので、納税の義務がある農民らになりたかったか疑問であるな。

そして幕府の例は何度もいうように関係ない。部落の問題など藩ごとに違い。
またそいつはエタ頭で大富豪。例にするようなケースではない。
さらに当時の長州は郷土防衛の為に一致団結して盛り上がっている藩であり。
他藩とはそもそも空気が違う。
>>561
名前や身分偽ると犯罪者まで逃げ込む恐れがあるからだろ。
慶応に入ってからの言葉が残されているだけで、それ以前にまで徹底していたか疑問。

>>562
そもそも新撰組は金作が部落だとは知らなかっただけじゃないのかね。
富蔵の証言によると、金作は長州のものとも言っておらず、宮島のものと偽ったようだが。

568:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:34:53.69 ltSI0+H50
>そして幕府は下関の開港は利権独占が崩されるのでいやだった。
>兵庫の開港もいやだった。なので賠償金払うと約束したんだけど、

前述の通り、賠償金としての性格を規定したのは下関条約。
防長回天史にきちんと載ってる超有名史料だから長州オタなら見ておけよ。

>幕府は賠償金をさっぱり払えず、結局開港することになり。

幕府が9月に結んだ協定では
・長州藩処分は「大君政府の職務」であると規定して、事後の開港強要を制限している。
・償い金のうちには今まで長州藩がやってきた暴行の一切合切を含める=支払上限の決定
・しかし各国が金銭を要求する趣旨は「日本と交際を厚くせんがためなり」
 =賠償金としての性格の払拭、幕府が自主的に支払う性格のものとする
・履行が続く限り開港強要の禁止=下関の自由港化は白紙撤回…ただし長州藩が勝手に開港した

これだけ大きく性格を変えている。
幕府は四半期ごとに50万両、計6回の支払を約束していたが、
第1回の支払は慶応元年7月に始まり、11月に第2回、慶応2年4月に第3回を支払っている。
幕府はわずか1年足らずで半額を返済している計算になる。ここまで延滞なし。
第4回の支払は長州戦争による多額の戦費出費に伴い明治2年に予定されていた。
明治政府の完済は明治7年だから、幕府よりはるかに遅いペースでの支払になる上、
アメリカは友好協力金的性格であることを考慮し、受領した上で78万ドルを返還している。
よって明治政府の実質負担は幕府が頑張ったことで極めて軽くなっている。

最初の長州案であれば賠償金だから、アメリカとしては返還によって長州の砲撃の違法性を否定することになり、
法理上の解釈がきわめて難しくなっていた。要は友好協力金なんだから、それが確認できれば返してもいいよね、
と言う判断が働いたのは間違いない。


569:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:45:10.62 XQOsSCmc0
>>563
というかそもそもエタは統治機構の最下層なんだよ。
それらが平民になったとて、偏見や恨みが消えるわけではない。
なら平民よりも庇護下であるエタのままのほうが良いと判断しただけだろう。
そして士分取立てを断ったのは、戦争に従軍してまで武士として戦うのが嫌になっただけかもしれんよ。
目的であった彼等が願った郷土の防衛は達成されたのだから。

>>566
伊藤は通訳として実際に会談に居合わせたもの。
そして嘘をつくような必要性も皆無。偽証の可能性はほぼないよ。
そして伊藤は別に高杉に厚遇されていたわけでもなく、むしろ身分が低い事で酷い扱いをされていた人間。
高杉を称える為に嘘までつく理由はない。
つまり提案があったけど一蹴したと見るのが妥当。
それらが受け入れられなかったので、サトウのほうには記されなかっただけ。

そして5は幕府が払うのならであり長州が払う義務はない。
下関の占領が幕府に言っているだけで、長州に行っているわけではなく。
そして言っていたとしても、伊藤の回顧談にあるように高杉が却下しただけと分かる。
実際に占領はできても、それを維持するのは不可能。
当時の長州は大砲を造る為に、村々から金属を自主的に持ち寄り大砲を作っており、
領民全てで支えているのであり、折れる事はありえないね。

570:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:47:15.33 ltSI0+H50
>>567
屠卒と記しているのは「軍監」であって維新団ではないよ。頭だいじょぶ?

>そもそも平民が部落より上だったか疑問なのだがな。

部落民の平民差別はなかったが、平民の部落民差別は横行していた。
身分「引上」と言う表現が使われていることに関してはどう説明する。
お前がどう強弁しようが、非常民は常民の下の序列に置かれていたことは間違いない。
先の報告書の体裁を見てみろ。

>そして幕府の例は何度もいうように関係ない。部落の問題など藩ごとに違い。
>またそいつはエタ頭で大富豪。例にするようなケースではない。

だから全国有数の大富豪であり、幕府機構の一員ですらあった弾左衛門ですら
「身分引上、手下の者の醜名除去」を求めているのはどう説明するんだよ。
彼らは天保年間の長州と異なり、平民にリンチを受けるような心配は全くない。
それでも弾左衛門は身分引上、醜名除去に懸命に拘って、そのために銃隊創設まで言上している。
政治的にも経済的にも何不自由ない人間が身分引上げを求めているとしたら、
その動機は「社会的不名誉の払拭」以外に考えられない。

571:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:00:45.08 ltSI0+H50
>名前や身分偽ると犯罪者まで逃げ込む恐れがあるからだろ。
>慶応に入ってからの言葉が残されているだけで、それ以前にまで徹底していたか疑問。

屠勇取立令に醜名除去が入っていた文久年間ですらそんなもの現実には実施されてない。
奇兵隊内では身分を示す袖印の着用が義務付けられ、姓の私的な使用は禁止。
これ全部文久年間の話だよ。先のお達しをどう説明する。

>そもそも新撰組は金作が部落だとは知らなかっただけじゃないのかね。
>富蔵の証言によると、金作は長州のものとも言っておらず、宮島のものと偽ったようだが。

金作証言では新撰組は身元を疑っているようだが、別段深く詮索せず放免している。
と言うことは被差別民であっても偽名を用いることで入隊が可能だったことの証左になる。

572:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:05:50.66 ltSI0+H50
少なくとも新撰組は袖印の着用を義務付けていたとはついぞ聞かないな。
それと富蔵も信用が置けないのは、8月にこの件を打ち明けたと金作は言ってるんだが、
彼その段階で何もアクション起こしてないでしょ。
首謀者どうしが罪を軽くしたいがために取調官に有利な証言をしあう中で、
自ずと証言の信ぴょう性は疑わしくなってくる。藩の取調と結果がきちんと対応する史料がないんだから

何度も繰り返すが、茶筅隊が藩に目を付けられた直接原因は、
近隣村落を説いて回って結成したこと、格別出精を前面に出していたことが、
藩中枢にとっては警戒の対象になったから。新撰組との関係なんぞ拷問の末出てきた後付け。

573:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:11:05.80 ltSI0+H50
>伊藤は通訳として実際に会談に居合わせたもの。
>そして嘘をつくような必要性も皆無。偽証の可能性はほぼないよ。

伊藤は通訳と言っても長州藩側の人間で、しかも高杉の講和の席にも挙兵の際に同調した数少ない人間。
高杉を称賛することは間接的に自分を賞揚することだから、嘘をつく必要性は充分にある
さらにサトウ日記と、数十年が経過した後の伊藤の後年の回顧談では史料価値が大きく違う。
サトウ日記の観察はおおむね正確であり、高杉の「最初は傲然とした様子」をきちんと描写しているし、
租借は戦勝国の当然の要求だからそれこそ隠す必要はない。
いま一部で言われているのは、予備交渉の段階では租借の話が出たかも知れないが、
本交渉では出なかったと言う説だね。サトウの長州藩に対する記述はおおむね冷静だよ。
それでなきゃサトウ日記があれほど史料として引用されたりしない。

574:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:12:43.52 ltSI0+H50
とりあえず、伊藤の回顧談には全く裏付け史料がないどころか、
全く相反する、より史料価値の高い陪席者の証言があるわけだ。
どっちを信用するか、少なくとも伊藤の回顧談を無条件に採用してもいいのかは
当然、史料批判で叩きこまれる所だと思うが、違うかね?

575:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:14:29.10 XQOsSCmc0
>>568
>前述の通り、賠償金としての性格を規定したのは下関条約。

上で答えているように長州に賠償金を支払う気はない。
長州に払えといっていたなら、戦争継続だろうな。
長州が認めた講和条件は、難破船の避難を認め。補給を許し。
その後攻撃を加えないというもので、賠償金などといったものも、租借も断固として拒否している。

>防長回天史にきちんと載ってる超有名史料だから長州オタなら見ておけよ。

そんな事実はだから存在しないよ。つか回天史や奇兵隊日誌だとかいっているけど。
実際にその史料は一切例示しない人だねお前は。
奇兵隊日記の何巻の何項に、部落というだけでリンチ処刑されたのかいい加減書いて欲しいものだが。
会津オタの捏造にはつきあえんのだよ。

>幕府は四半期ごとに50万両、計6回の支払を約束していたが、

300万ドルだよ。

>幕府はわずか1年足らずで半額を返済している計算になる。ここまで延滞なし。

そりゃそういう約束だからね。そしてその金は御用金と欧米からの借款でまかなわれた。
フランスに生糸の独占購入権を認め、(相場の半額)その代わりに100万ドルの借款をしたように。
借金の借り換えでしかない。御用金も長州征伐とあわせて1000万両をこえるほど徴収している。
支払い能力などなく。面子で行ってしまっただけで、開港すればよかったのにほんと馬鹿。

>よって明治政府の実質負担は幕府が頑張ったことで極めて軽くなっている。
明治政府が支払った、幕府から継承した対外債務は600万ドルだよ。
借り換えの自転車操業で借金が雪だるまなんだが。何を言っているんだ?

なお返済が長引いたのは、そもそも明治政府は支払いたくなかったから、
それの交渉をしていたから。岩倉使節団が帰るまで返答できないとかいって、のらりくらりとかわしている。
そして英国などは日本国内の移動の制限の撤廃の変わりに支払い免除などで交渉しており、
それで支払うかどうかが長引いたから。



576:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:18:50.15 ltSI0+H50
>>564
>つまり違反者は普通におり、ばれなければ問題ないものであり。
>場合によっては形式だけだったと見るべきだろう。

形式だけなら、6月24日に1回袖印着用と私称の禁止が出た直後、7月2日
と言う短期間に2回目の触れが出て、さらに袖印無着用の場合の処分まで警告する必然性がない。
定期にお触れを出すだけで済む。1回目の触れに対して不満が多かったため、
短期間に締め付けを強めたのは明らか。

577:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:23:24.59 XQOsSCmc0
>>573
長州の人間ではあっても、それからかなりたっている。その頃わざわざ捏造して、
厚遇してくれたわけでもない高杉をわざわざ、立てる必要性などない。
立場を考えれば売名目的で法螺をふく必要性もない。信憑性は高いよ。


そしてサトウが記述しなかったのは、求めたけど拒否されたので成立しなかったので記さなかっただけだろう。
成立しなかったものをわざわざ記述する必要はない。

>>574
そもそも伊藤がそこに居合わせた人物なんだが?
アーネストサトウが英国側の通訳なら、伊藤は長州側の通訳。
どちらも双方の立場で記述しているだけ。
求めたが拒絶されたケースを書く必要はない。書かなかったとして別に信用性は落ちないだろう。
別に矛盾した内容にもならない。

578:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:29:34.06 ltSI0+H50
>だから少なくとも新撰組と繋がっていると強く疑われているという事だよ。
>隊の大半が捕縛だよ。解散させられた隊はほかにもあるが。
>こんな事例はない。つまりよっぽどの事であり。
>新撰組との内通を疑われたのは事実だろう。

金作の出奔歴は普通に知られており、この時期は戦争前夜だから藩外に出て上方に行ったと言うだけで
当然、疑いの対象になる。新撰組うんぬんはお前が新史料を呈示しない限り嫌疑の段階に留まる。
ところで不思議なのは、なぜそのような履歴のある周知の人物なのに、隊結成を慶応元年11月段階では1回は許可しておきながら、
隊が膨れ上がった慶応2年3月になって突然逮捕と言う強硬手段に出たのかだよ。
この間、茶筅隊は通敵行動など一切していない。
自分が言った「裁判官の嫌疑」とは、要は予断のことだよ。
金作の自白が得られなかったために富蔵と対決させ、これで処分に持っていきたかったと言う意図だよ。
新撰組との関係への警戒感は多少はあっただろうが、
慶応元年段階では庶民が新選組が大募集を行っていた上方で声をかけられるのは珍しくない
長州藩側の史料しか残っていない以上、それに照応する史料がなければならないが
今の所それに照応するものが外部にない。

>ほんとに内通していたかどうかまでは確定事項ではないがね。

はい、ソースなしと言う自白が成立しました。

>最も俺はかなり疑っているが。つか真っ黒だろう。富蔵のほうに部があると見る。

その富蔵も首謀の一部であり、罪をどっちに擦り付けるかの局面になってる上に、
何しろ新撰組側で担当した隊士の所在場所も違えば、隊士の存在すら確認されてないんですな。
富蔵が全く無関係の第三者ならともかく、彼も首謀として厳罰に処せられる可能性が高かった以上、
8月時点で打ち明けられていたのに隊の結成に参加した者の証言も、
充分信憑性が薄い。

579:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:35:23.67 ltSI0+H50
>>577
すべてお前の勝手な史料解釈だよ。呆れかえってものが言えない。
かなりたってから言った発言だから同時代人の史料より劣るんじゃないか。
裁判でも後になって思い出しましたなんて証言は記憶の曖昧さを片っ端から突っ込まれるぞ。
後にも先にも彦島租借要求をめぐる伊藤証言はそれしかない。

さらにサトウも立場としては伊藤と全く同じ陪席者であり、租借要求を隠す理由がない。
長州藩の下関条約はほぼアヘン戦争後の講和条件と同じ形式であり、
彦島租借は関門海峡通行の安全を保障するためなのは明白なのだから、
何か後ろ暗いことをしているわけでも何でもない。現に下関条約では砲台撤去が条項に入っている。
ちなみにサトウ日記は英国公使についても批判を加えたりしていて、
極めて冷静で観察力の高いものであるのは周知のこと。
史料価値が全く違う。

580:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:37:28.72 ltSI0+H50
攘夷戦争をめぐるサトウ日記を見ていても、
前後に不審な記述はほとんどないんだな。記述は極めて正確で、
例えば幕府に対して要求を持ち出したが拒絶された、さすが○○だね
みたいな記述はしょっちゅうある。

581:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:40:49.20 XQOsSCmc0
>>570
身分の引き上げは武士への取立てなのだから当然の事。
そしてあっても農工商で農が上程度の身分差だろ。

>お前がどう強弁しようが、非常民は常民の下の序列に置かれていたことは間違いない。

序列になんの意味があるというんだね?
彼等の生活の実態が農民などと比べてよかったか悪かったかが問題なんだよ。
序列が上でも貧乏ならなんの意味もない。維新団も身分より土地をほしがった。

>だから全国有数の大富豪であり、幕府機構の一員ですらあった弾左衛門ですら

何度もいうば幕府のケースは関係ない。
序列よりも生活向上にメリットおいたのが大多数の部落であったが、
大富豪であったこいつは、次は名誉がほしくなり武士として威張って歩きたかったんだろ。
別にそういうケースは否定せんよ。欧米で台頭した富豪が貴族や勲章をうらやましがったのと同じ。

582:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:48:54.72 ltSI0+H50
>>575
しつこい奴だな。じゃ防長回天史から下関5ヶ条を引用してやるよ
そのかわり、この史料に反駁できなかったら
「防長回天史」にないと言い張ったお前は嘘つきでこれからの記述の信用性は一気に落ちるぞ。

防長回天史・文久元治記第19章より
(中略)
一、馬関町より始めて外国艦に発砲せしによって、此度焼失に及ぶべきの所焼かざる故、
その償金を出す事。その外に軍の雑費を出す事の二ヶ条、江戸に於て…決定するの段、承知致す事。

この条文に書かれている内容
・最初に発砲したのは下関砲台側である…違法性の所在
・焼失に及ぶべきの所焼かざる故…下関を焼失させるべき所(連合艦隊が)それを行わなかったため
・償金を出すこと

賠償金であるのは明らか。

583:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:52:03.30 ltSI0+H50
>>581
いや、もうお前は最初の主張から完全に外れてグダグダになってるよ。
長州藩諸隊は士庶平等の志願兵だったと言う主張が、
今や身分差別を肯定していたことに何の反駁も出来ていないどころか、
「分限を弁える」のが当たり前だと開き直るまでになっている。

だから諸隊志願の動機が「郷土防衛」まで下がってしまっているだろ。
だったら諸藩が徴募した農兵商兵と何の変りもないわけだが。


584:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:56:43.61 CDgHAKjVO
>>555
本当ですか。

だったらどうして錦の御旗を、さずけなかった

585:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:02:21.78 XQOsSCmc0
>>571
>これ全部文久年間の話だよ。先のお達しをどう説明する。

ん?俺の話と別に矛盾する内容ではないが?

>金作証言では新撰組は身元を疑っているようだが、別段深く詮索せず放免している。

内諾だからな、きちんと身元を調べたわけではないだろう。
実際富蔵の証言によると妻子がいるかどうかの確認と、それらを近くに置くこと、
(人質かね?)それで内諾だけもらって帰ったとある。
新撰組が改める前だろどうみても。
>>572
後つけであるなら奇兵隊が最初から動き、全員を捕縛する事などない。
当時村々に募集をして回った庄屋は珍しくない。だが誰もそんな事にはなっていない。
新撰組との内通を疑われたからに決まっているだろう。それ以外理由がない。
隊内で吹聴して、誰かが通報したと考えるが普通だね。

>ところで不思議なのは、なぜそのような履歴のある周知の人物なのに、隊結成を慶応元年11月段階では1回は許可しておきながら、

だからその後に新撰組の件が漏れたんだろ。それをお前が否定したいから史料の無理な解釈になっているんだよ。

>はい、ソースなしと言う自白が成立しました。

長州藩が動いた理由だよ。確信がないけど疑わしいから捕らえて取り調べしているんだろ。
俺はその後言っているように、ほぼ確実だと判断している。
新撰組と全く接触していないなら、固有名詞が一致するわけがない。
ましてやそれが偶然にも勧誘を当時行っていたとかになるとね。

586:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:02:49.74 ltSI0+H50
真面目に相手していても馬鹿らしいし、
こいつは部落関係で指摘されて反論できない箇所には一切反論してないんで、
最後に大事な所だけ指摘しておくわ。

>>558
隊則が定められた日付は5月。維新団の性格が規定されたのがその頃だよ
そしてこれは茶筅隊の拘束・解散とほぼ同時期。
ちなみに強制解散の事例はないと言うが、佐分利隊の解散は藩の通達にしっかり
「農兵隊の結成は許可できない」と書いてある。

隊則を読めば、維新団に対する藩の警戒心の強さがうかがえる。
何より茶筅隊に比べて細かいしね。服装も笠まで黒を強制され、
それがために「穢兵」の部隊までいると幕軍に驚きを与えている。
維新団の戦死傷者報告に見る出自、及び報告内容の差別的取り扱いは前述の通り

587:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:09:05.62 ltSI0+H50
>>585
矛盾している。慶応年間は文久年間に比べて諸隊の自主性が軍制改革の結果奪われていく時期。
よって高杉が慶応年間にエタ除外発言をしたからそれ以前は自由だったと言う論法に対して、
文久年間ですら奇兵隊の内情はこうだったと反駁しているのだから当然、矛盾。

>>金作証言では新撰組は身元を疑っているようだが、別段深く詮索せず放免している。
>内諾だからな、きちんと身元を調べたわけではないだろう。
>実際富蔵の証言によると妻子がいるかどうかの確認と、それらを近くに置くこと、
>(人質かね?)それで内諾だけもらって帰ったとある。
>新撰組が改める前だろどうみても

おやおや。内諾であって新撰組との正式接触がなかったと言う自白が成立しました。
新撰組隊士以外の、どういう関係かも分からない易者の内諾じゃ仕方ないですな。
と言うかね、いまお前と語ってるのはあくまで金作と富蔵の供述に任意性が担保されてることを前提としてるんだが、
拘束された段階で既に富蔵は結成当初からの幹部だから、厳罰の恐れがある対象に入ってるわけだよ。
富蔵が対決審問を望むのは偽証してでも自身の刑の減免に預かりたいからに他ならない。
これが当事者主義的構造なら反対尋問権が保障されないといけないはず。

588:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:17:00.63 ltSI0+H50
>>ところで不思議なのは、なぜそのような履歴のある周知の人物なのに、隊結成を慶応元年11月段階では1回は許可しておきながら、
>だからその後に新撰組の件が漏れたんだろ。それをお前が否定したいから史料の無理な解釈になっているんだよ。

それはおかしい。金作の上方出奔は異例の事態だし、藩秩序の壊乱だから当然糾問があって然るべき行為。
ところが隊設立の段階ではその周知の事実が不問に付され、隊の規模が膨れ上がった数か月後に、
当初血盟した隊士以外も拘束の対象になっていると言うのはおかしすぎる。
なぜなら彼らは金作の出奔の事情を知らず、隊公認後に参加しているのだから。

>>はい、ソースなしと言う自白が成立しました。
>長州藩が動いた理由だよ。確信がないけど疑わしいから捕らえて取り調べしているんだろ。
>俺はその後言っているように、ほぼ確実だと判断している。
>新撰組と全く接触していないなら、固有名詞が一致するわけがない。
>ましてやそれが偶然にも勧誘を当時行っていたとかになると

いや、慶応元年に金作が接触を受けたとされる段階では、
実際、新撰組は江戸、京阪などで大規模な隊士の徴募を行っており(もちろん審査があるが)
諸藩の脱藩者や庶民で少し興味のある者は取次を通してスカウトされて何もおかしくない。
だからスカウトされたなら当然、隊士の氏名を知っているはずだが、
彼は新撰組に実在しない隊士と、屯所にいなかった隊士の名前を挙げている。
これはどういうことだ?新撰組側の史料を突き合わせると、そんな隊士の配置はないんだが。

589:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:18:18.57 XQOsSCmc0
>>579
サトウは伊藤と交友関係もあり、伊藤がそれを発言した後も存命である。
だがサトウがそれを否定した発言はない。
回顧録だからというのを笑える話だね。サトウのも回顧録だよ。
それも書かれたのは、数十年たってから、完成したのって伊藤が死んだ後だったろ確か。

また伊藤とサトウには立場として大差などないよ。お前が言っているとおりね。
どちらも捏造などする事はないだろう。
ただたんにサトウが記述しなかっただけだろ。
英国の通訳という立場を考えれば別におかしな話でもない。

ていうか伊藤が捏造する理由が何処にあるのか聞きたいね。
彼に高杉を庇う理由などない。

590:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:23:15.27 91u786Su0
というかサトウは外交官なってるしね
わざわざ不名誉な記録残すとも思えない

591:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:31:14.23 ltSI0+H50
何か徒労感を覚えてきたからこれだけ言っておこう。ばいばいさるさんが出てきたから

>誰だよんな馬鹿な事言っている奴は、晒していいよ。
>石井せんせーもそこまで耄碌してないだろ。

手元の本で恐縮だが
家近良樹は「孝明天皇と一会桑」第2章「70年代以降の研究動向」において
「幕府の対外政策がそれなりに主体的で柔軟な姿勢のもとに展開されたことや、
改革を実施するに当たって幕府が諸藩や世間に対して閉鎖的でなかった
(改革の成果を独占しようとしたわけではなかった)ことなど、
幕府に好意的な評価を下す論稿が多くなったことも近年の特徴」
「それまでの幕府の評価はとにかく低かったとしか言いようがない」
「ここに我々は明治維新を薩長の維新だとする視点を乗り越え、複眼的な視点から
総合的に明治維新を見つめることが可能になりつつあると言えよう」
とはっきり述べてスタンスを明らかにしている。

また井上勝生は長州の対外政策そのものに批判的で、
幕府の開港交渉をめぐる努力を多く発掘している。

孝明天皇毒殺を信じないで喧嘩やらかした石井孝を持ち出してどうすんの、おじいちゃん

592:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:32:06.74 ltSI0+H50
×孝明天皇毒殺を信じないで
○孝明天皇毒殺を信じ込んで

石井孝もそりゃ名著だけど、いかにせん今の維新史にはちょっとついてけてない

593:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:34:04.67 ltSI0+H50
何か田中彰もろくに知らないような奴の話が続いて疲れた。
芸州口の問題は物凄い捻じ曲げがあるんだけど、また今度にしよう。

594:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:38:07.55 XQOsSCmc0
強がりが過ぎるなw必死だなと答えておこう。
自分の知識の浅さと持論の強引差を俺が突っ込んでいるだけだろうにw
対象にレッテルをはって勝った気にだけでもなりたいのはわかるよw
>>586
あら嘘をついていたのを自白されるのかねw
お前は552で解散をうけて結成されたといっている。だが実際は解散前にすでに何度も集まり訓練している。
隊規の時が前後するとか抗弁必死としかいいようがないな。
集って訓練をするという時点で、もう募集がされて性格が決定つけられているのだから。
勧誘する時にどういう文句を勧誘をして、どういう動機で集ったと思っているのやら。

ちなみに明らかに間違っている所以外は、わざわざ指摘せんよ。

>ちなみに強制解散の事例はないと言うが、佐分利隊の解散は藩の通達にしっかり

へえそこが奇兵隊が出動して、ほぼ全員逮捕したというのかw
新事実発見だなwおいw

>維新団の戦死傷者報告に見る出自、及び報告内容の差別的取り扱いは前述の通り

維新団として別個に計上された事と、彼等がそれを不満に思い解消したいと思っていたかどうかは別の話。
>>583
>長州藩諸隊は士庶平等の志願兵だったと言う主張が、

俺がいつそんな事いった、俺は最初から長州藩は尊皇攘夷を叩き込まれているから、
士気が高いといっている。
志願兵だから士気が高いといっている。
四民平等だから士気が高いなどといった覚えはない。勝手に発言を捏造するな。
脳内で作り上げた妄想にレスしてどうするんだよ。

>>582
それのどこが長州がその賠償金を払うという内容なんだ?
>その償金を出す事。その外に軍の雑費を出す事の二ヶ条、江戸に於て…決定するの段、承知致す事
お前が書いているように長州が賠償金を払うという話ではない。
自爆かね?

595:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:40:14.93 ltSI0+H50
>>589
伊藤の回顧を知らなかっただけだろう。伊藤も余興で語っただけだからね。
もし隠さないと都合が悪いものであるならば、
サトウが知っていたとしたら当然そんな事実はないと日記に記すはず。
日記にそもそも記されていないのが、サトウが租借問題について全く関心を払っていなかった証拠。
まあ予備交渉の段階で海峡の安全航行のために彦島が必要だと言う話になった程度だろう。
オールコックの関心は下関開港であり、砲台撤去とあわせて充分目的は達成されている。
彦島租借にこだわる客観情況はまったくない。

596:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:42:16.91 XQOsSCmc0
>>591
最近のアレな人の代表人物じゃないかw
こういう人達は今までの史観を変える事で、
俺すげええと思い込みたい痛い子の代表。

597:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:42:22.44 91u786Su0
>>595

事実だからそんな事実は無いと日記に書かなかった
彦島に拘れないから言い出してみたものを拒否され撤回した
とも取れるね

598:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:43:20.31 ltSI0+H50
>>594
償金の性格を規定している。文章も読めないの?
・最初の発砲は長州からのもの
・下関を焼尽させるところ、それは勘弁してやった
・そこで償金をだし、軍の雑費を出すことの2ヶ条 を長州側は認め
それを「江戸において」決定する、すなわち幕府の責任だと言ってるんだ。
賠償金としての性格付けは明らか。江戸幕府はこれを友好協力のための補償金に転換させている。

さて防長回天史も知らなかった長州オタよ、お前は嘘つきなのが確定したわけだが、
どうするね?



599:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:45:35.98 91u786Su0
攘夷を中断したのは幕府の責任なんだから
当然幕府に責任あるよな

600:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:45:39.52 ltSI0+H50
>>596
最近のアレな人が維新史を引っ張ってるんだから仕方ないなあ。
まあもっと詳しい論文集とかあるから、著者名をずらずら挙げていってもいいけど
防長回天史をちゃんと読みこなさないと、アレな人にすら勝てないですよw

ちなみに長州藩側の差別や強制徴募については一坂太郎も触れてるが。

601:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:49:23.61 ltSI0+H50
>>584
節刀を賜ってるよ。8月8日に。

602:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:51:24.28 91u786Su0
攘夷が成功してれば違った形の明治維新になったかもなあ
不平等条約も改正できたかもしれない

603:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:51:26.63 XQOsSCmc0
>>595
自分でアヘン戦争と同じと言っているだろ。
実際提案されていてもおかしくなどないよ。

伊藤はそこで実際に強行に提案されたら断れなかったのではないかと、むしろ長州を卑下する内容であり。
高杉本人を自慢する内容としても、伊藤が高杉をマンセーするような動機もない。
ていうかむしろ恨んでいてもおかしくないくらい、酷い扱いを受けている。

サトウを信用しないわけじゃないけど、別にサトウが書かなくても別におかしくないよね。
これはサトウの回顧録なわけで、日記ない事は自分の記憶を頼りに書いているとしている。
書かれていないから、伊藤の記述は信用できないというのは無理がある。

604:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 22:55:54.30 XQOsSCmc0
>>598
だからそれは長州が賠償金を払う事を認めた内容ではない。
>上で答えているように長州に賠償金を支払う気はない。
というのを否定するものではない、さあ回天史のどこに長州が賠償金を支払うと言ったのか記せよ。
いいかげん誤魔化すのはなしだぞ。

長州の変わりに幕府が払うのなら別に長州に損はないどころが、
幕府を弱める事ができるので、むしろ二重の意味でラッキーだろうが。

605:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:02:42.20 ltSI0+H50
>俺がいつそんな事いった、俺は最初から長州藩は尊皇攘夷を叩き込まれているから、
>士気が高いといっている。
>志願兵だから士気が高いといっている。
>四民平等だから士気が高いなどといった覚えはない。勝手に発言を捏造するな。
>脳内で作り上げた妄想にレスしてどうするんだよ。

他の諸藩とさほど違った徴募方式じゃないと何度言えば分かるのかねこの男は。
現に被差別部落には1つの集落から○名までと言う定数制限がついてそれ以外の取立は禁じられてたし、
もともと被差別部落諸隊の本格的結成は俗論派の藩命により開始されてそれを正義派が引き継いでいる。
慶応改革の結果、佐分利隊のような既存の諸隊にすら藩命で解散の勧告が出ている

それはともかく、ここで
「長州諸隊は士庶平等ではなく、あくまで身分差別を前提とした藩秩序の中の諸隊だった」
との自白が成立しましたw

>>604
明らかだろ?「最初の発砲は長州側からであって、本来なら下関を焼き尽くすべき所、
焼き尽くさなかったのだから償金を求める」と言う趣旨なんだから違法性を前提にしている
これに対して幕府の協約ではきちんと支払う金員の性格について但書があり
「あくまでも友好関係維持のため」と規定されている。

長州藩が賠償金を支払っていないとかトンデモ理論を主張してる学者名と著書をプリーズ。

606:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:07:11.01 ltSI0+H50
まあ必死ですなこの長州オタ君は。何しろ防長回天史にそんなこと書いてない
と言ってみたもののあっさり証拠突き付けられてんだから

慶応年間の諸隊の取立を厳重に制限する藩命や、
佐分利隊の解散と言ったきちんと史料が残ってる事例に関しても全く反論がないし、
彦島租借は存在が疑問視されてるのにサトウを否定して伊藤の回顧談を採用するとか
どんだけめちゃくちゃな大学で習ってんだよ。

つうか気持ち悪くなってきたんだけど。長州オタってこんな奴ばっかりなのか?

607:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:12:30.58 ltSI0+H50
>>603
アヘン戦争と異なり、彦島の租借は関門海峡の自由航行を担保するためのもの。
仮に彦島租借を長州が飲んだとしても、幕府が絶対に承知しない。
オールコックとしては下関の砲台撤去…非武装地帯の創設と、下関への事実上の自由入港を勝ち取れば、
関門海峡の安全は確保できるどころか、従前、幕府が商業地を限ってきた前例を破って無条件開港を勝ち取れる。

だから300万ドルを吹っ掛けて下関開港の既成事実化を狙ったんだが、
これに対して幕府が米蘭仏に対して働きかけることでオールコックも尻すぼみになった。
ちなみにこの下関からの砲台撤去は幕長戦争で長州藩内が困ってしまい、
桂は砲台の設置を認められないか打診しているが、英国側に却下されている。
情けないね。

608:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:12:58.36 XQOsSCmc0
>>605
>他の諸藩とさほど違った徴募方式じゃないと何度言えば分かるのかねこの男は。

だから他の諸藩と違って基本志願制。
定数制限があった?それだけ人気だったというだけ。
ていうか部落の人間は普通に仕事があるわけで、それをほっぽって参加が増えるのは、
そりゃ困り者だろ。

>「長州諸隊は士庶平等ではなく、あくまで身分差別を前提とした藩秩序の中の諸隊だった」

分かってないな、長州は武士が鉄砲足軽をやり、農民もやった。
身分が違っても同じ職務を行った事に意味があるんだよ。
幕府は旗本連中は鉄砲うつなんて、足軽の仕事やりたくねーといって、
そういうのは江戸で募集した、博徒やら火消しやらにやらせた。
平等というのは職務が平等って事なんだよ。身分が違っても同じ事をしていた。
そこがすごいのさ。そしてそれが出来なかった幕府が滅んだわけ。

>明らかだろ?「最初の発砲は長州側からであって、本来なら下関を焼き尽くすべき所、
>焼き尽くさなかったのだから償金を求める」と言う趣旨なんだから違法性を前提にしている

文盲か?それのなにが長州が賠償金を支払う事を認めた内容になるんだよ。

>長州藩が賠償金を支払っていないとかトンデモ理論を主張してる学者名と著書をプリーズ。

え、300万ドルを長州が支払ったと思っているんですかwwww


609:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:15:06.13 ltSI0+H50
とにかく長州オタって独善的すぎるんだよ。
幕長戦争の全貌を知ろうとするのではなく、ひたすら長州マンセーなんだから
段々こっちも相手するのが気持ち悪くなってくる。

610:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:15:12.08 XQOsSCmc0
>>606
>まあ必死ですなこの長州オタ君は。何しろ防長回天史にそんなこと書いてない

だからどこに書かれているんだよ、まだ一度も明記されてないぞ。
さあ早く、長州が賠償金を支払った記述を探してくるのだwないものはないけどな。www

>つうか気持ち悪くなってきたんだけど。長州オタってこんな奴ばっかりなのか?

気が合うな、幕府信者が狂っているのだけは理解できたよ。
もう来るなよw


611:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:16:53.15 ltSI0+H50
>>608
賠償金を認めたのは長州。普通に候文が読めれば一点の疑義もない文章。
しかも出典は防長回天史。知ったかぶりしたことでお前が嘘つきなのは確定したんだから諦めろ。

早くこれを否定する論者の著書を出せよ。

612:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:20:00.95 ltSI0+H50
>>610
はあ?防長回天史の協約第5条を見たら長州が自らの違法行為を認め、
下関への攻撃を免除してもらった代償としての賠償金支払を認めた上で、
決定方法=支払を江戸幕府に丸投げしたのはこれ以上ないほど明らかだろ。

こっちも心底驚いたわ。しかしお前は間違いを認めてないから、
きちんとさせるまではちょくちょく参りますよ。


613:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:21:04.22 XQOsSCmc0
>>611
だから賠償金を「長州が」支払う事を認めたものだよ。
どこにもないじゃないか。

614:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:23:29.83 ltSI0+H50
>>608
>だから他の諸藩と違って基本志願制。

文久年間ですら兵員不足を補うために差出を命ずる仰せ付けがかなりのウェイトで存在していたのに
慶応軍制改革以降は解散を命じられる隊が出現しており、自由な引立ては前述の通り藩命で禁じられている。
どんなに贔屓目に見ても幕長戦争の段階では諸藩と同じ。

615:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:25:55.23 ltSI0+H50
>>613
だからどこで長州が「賠償金支払約束」を否定しているんだよ。
賠償金支払を約したのは長州、その弁済に関しては幕府に丸投げ
これが下関条約第5条から明瞭に読み取れる解釈。

616:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:26:02.66 XQOsSCmc0
>>612
認めないのはお前だろ。いいかげんにしろ流石に腹がたってきた。
長州の主張は砲撃は幕府の命令なんで、って言うものなんだから、
それをお前が長州が支払うと言ったと主張している。
だがその例示はない。
575で記したように、長州に賠償金を支払う気があったというものを記せよ。


617:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:26:54.41 ltSI0+H50
ほんと嘘つきは必死だね…

618:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:30:01.67 ltSI0+H50
>>616
もう1回、防長回天史から引用してやる。
防長回天史・文久元治記第19章より
(中略)
一、馬関町より始めて外国艦に発砲せしによって、此度焼失に及ぶべきの所焼かざる故、
その償金を出す事。その外に軍の雑費を出す事の二ヶ条、江戸に於て…決定するの段、承知致す事。

この条文に書かれている内容
・最初に発砲したのは下関砲台側である…違法性の所在
・焼失に及ぶべきの所焼かざる故…下関を焼失させるべき所(連合艦隊が)それを行わなかったため
・償金を出すこと

賠償金であるのは明らか。長州が賠償金の性格を規定し、支払約束を行い、
江戸において決定すべきなのはその具体的内容ね。
もし長州が賠償金支払約束をしていないなら、そもそも江戸において決定するものは何もない。

619:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:33:00.11 XQOsSCmc0
>>614
長州征伐の時に、志願兵が集っていた藩なんてどっかにあったっけ?
新説だな。w
幕府は志願兵を長州征伐に投入していたんだなw

>文久年間ですら兵員不足を補うために差出を命ずる仰せ付けがかなりのウェイトで存在していたのに

やっと文久と慶応の違いが分かってきたようだな。少しは調べたのかね?
そしてここが間違いだな。多くの隊は自発的に庄屋などが集めたもの。
彼等の募集に応じて集っており志願って言っているわけ。
藩が徴兵をかして集めたものではない。
維新団にしても志願とあり、強制性は薄い。

そしてお前が以前言っていたように、兵士が足りないのに解散しまくっていたわけではないw
文久と慶応の改革が分かってなかったから、こんなトンチキな事を言ったんだろうなw

620:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:37:21.52 XQOsSCmc0
>>618
だからそれは幕府が対応する事を認めた事であって、
賠償金を支払う事を認めたものではない。

>もし長州が賠償金支払約束をしていないなら、そもそも江戸において決定するものは何もない。

長州が支払う約束などはしていないね、どうみても。

621:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 23:46:07.44 XQOsSCmc0
>上で答えているように長州に賠償金を支払う気はない。
>長州に払えといっていたなら、戦争継続だろうな。
>長州が認めた講和条件は、難破船の避難を認め。補給を許し。
>その後攻撃を加えないというもので、賠償金などといったものも、租借も断固として拒否している。

えーと君の知能だと。この文を読んでどういう解釈になったのかな?
正直国語のテストをまず君に課したくなったよ。
賠償金と租借を長州に請求するかどうかを問題にしているのにね。

幕府に払わせる事を長州が認めた、これがその証拠だ!
とか言われてもw幕府が賠償金を支払った事を否定する内容だとでも思ったんだろうか。

揚げ足取りでしか勝てないとふんでの事かね?
史料の曲解と妄想の人なんて仕方ないのかな。

622:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 00:05:51.79 Dv9OnGHJ0
彦島租借の件は司馬の創作だろ

さすがにアーネスト・サトウ日記の改竄とかついていけんわ

623:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 00:08:23.68 4UIw2rHZ0
828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 23:36:46.45 ID:ltSI0+H50
つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 23:48:03.30 ID:ltSI0+H50
>>619
嘘をつきなさい。町方村方の徴募は基本的に願い出と言う形式になる。
この徴募方法はどこの藩でも変わらない。
それでも足りずに藩が員数を定めて賦役を命じた「仰せ付け」
が文久年間にあったことは明らか。これも諸藩と変わらない。
さらに維新団は志願とは言い条、隊則を見ると茶筅隊のような自主性の強い隊とは全く異なり
黒ずくめの服装を強制されたり、身分を弁えることを隊則で強調されている。
そもそも元治内戦の際に被差別民諸隊の設立は藩命によってなされている。
正義党政権はそれを引き継いだだけ。
控え目に見てもとちゃんと断ってあるが、お前は読めんのか?

>>620
違う。償金の支払と、その性格の規定は全て下関協約第5条でなされている。
もし長州藩が償金支払約束をしていないなら、当然、幕府においても支払義務は発生しない。
だいたい償金支払を拒絶したなら
誰がどこで「長州藩が償金支払約束を拒絶した」と言っている?
さっきから聞いているが全く答えがないじゃないか。近現代史の人間に聞かせたらみなびっくりするぞ。

お前の主張が真実なら、長州藩は一切賠償金支払約束をしていないにも関わらず、
なぜか己の砲撃の違法性を認め、下関を焼き尽くされる所を焼き尽くさなかったので償金は支払うべきですね
などと勝手な性格付けを与えた上で約束を拒絶したことになり、
江戸幕府は長州藩が償金支払を拒絶したにも関わらず願い出て支払った意味不明な政府と言うことになるが、
そんなことを唱えている学者は全国でどこにもいない。

つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。

奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部半世紀前には指摘されてることだが

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 23:56:04.08 ID:ltSI0+H50
サルさんが出てきて書き込めんからこっちに書いておいた。
お前の言うことが本当なら小中学校の教科書は書き換えなくちゃならんね

624:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 00:19:27.92 Jku6o0PD0
長州ファンはちょっと興奮しすぎだな

幕長戦争スレは長州の自慢話を聞くスレじゃないし

せっかくの部落民問題の具体的な指摘にも感情的になってちゃんと答えてない

625:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 00:21:12.77 Jku6o0PD0
あと口のきき方が汚すぎるわ

会津信者とまったく変わらないじゃん

626:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/03 00:25:18.04 rz+4lsAJ0
>>622
司馬なんて話に出てない。伊藤の回顧としてでているもの。
サトウの晩年の回顧によるとそういう話は記されていない。
伊藤が捏造したか、サトウが書いてないかのどっちか、伊藤が捏造する理由がないので、
サトウが書いてないだけだろうと判断している。
>>623
基地外はお前だけどな、お前の一方的かつ独善的で、さらにいうと複数の解釈が存在するものや。
そもそも別に有利でもなんでもないものすら、書き方による印象操作などを使って、
おかしな記述になっている。大野関係の四境戦争の話もそう。
また幕府側に不利な話や、比較対象としてあげられた場合はスルーして、
長州の一部の例だけ挙げている、はっきりいうとお前の文章は公平性を著しくかいており見る価値もない。


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