11/10/29 20:32:30.01 D0k71tU/0
その程度の当たり前のこと偉そうにいわんでもw
たしかに長州マンセーが行きすぎるのはキモいが、
このスレの主旨からいっても長州側の勝因をいろいろ語るのは当然
幕府側に敗因があるってのはわかってるから
人の意見叩き潰して悦にいるよりも
どうしたら幕府側が勝てたのか語れば?
443:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 20:35:25.92 ZSEv1Dc1O
圧倒的な海軍力を活かすために、榎本が帰国するまで延期かな?
444:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 21:57:36.08 S8xJEH5u0
>>437
>お前、結局、家近の換骨奪胎による反論は諦めて軍事力万能論に転換したと言うことだろ?
初めから軍事的失敗とくにシステムと言ってるだろーが。家近氏をだしたのは
あなたが家近氏を引用しているのに
>幕府にとっては勝敗がクリティカルではなかった戦争と言わざるを得ない
何て言ったからだよ。
>薩摩藩しか同盟藩って、薩摩藩が参戦しなかったから萩直行便を免れて助かったんだろう
>お前は圧倒的な維新の主役である薩摩藩に対する感謝の念が足りない。
>参戦した大藩がどのような状態だったかは小倉口に象徴される通りだ。
>先鋒総督を出した紀州藩ですら茂承が7月初めに辞任を言い出す騒ぎになっている
>これでどう戦意が騰がるんだよ。幕軍は政治解決が失敗して進撃せざるを得なくなったツケが出て、
>開戦後わずか半月で長州と交渉を始めてるんだが。
>どうでもいいが薩摩藩の協力の成果を認めたと言うことは1人で10人を破ったとかいうアホ伝説は信じなくなったわけだな
感謝ってなんだよw感謝ってwwアホな伝説も何も動員兵力差を比べれば間違ってねーだろ。
>前に見たように幕軍の敗北の原因は装備もあるが、最大原因は指揮の不徹底。
装備といより幕府の兵制だと原則諸藩の軍事編成に口出しできないのよ。
>つまり言いだしっぺの一橋慶喜が直属兵力である会津藩兵を投入すればいくら犠牲が多くても征長令が出ている以上、
>政治的効果は絶大なんだよ。紀州の辞任騒動も、雄藩の引き上げもその瞬間になくなる。
>慶喜の最大の弱点は、手持ちの兵力のなさだからね。会津藩兵投入は局面を大きく打開する可能性が高かった
いくら征長令が出ていても虎の子の軍事力を使ってもそれを実行する力が無ければ、ますます政治的失墜が
酷くなるだろ、普通に考えれば。
445:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 22:12:00.97 RRE+BJGq0
>>440
偶然でないな海軍奪ってるし
幕府海軍にも奇襲成功させてる
だから高杉は天才といわれてるんだよ
446:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/29 22:36:20.76 ZSEv1Dc1O
長生きしていたら奇兵隊の反乱に、参加しましたかね。
447:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 07:34:03.71 hnSZwhR7O
長生きしてたら井上コース
旧士族の決起に同情するような性格ではないだろう
ただ、高杉が死ななかったら前原が活躍することもなく、
萩の乱は前原が関わらない違う形になったかもね
448:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 09:03:11.45 1olvxQqYO
この時代の幕府の最大兵隊動員って、どれくらいできたの?30万くらい?
449:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 12:14:32.85 wMoHXPsO0
>>437
>どうでもいいが薩摩藩の協力の成果を認めたと言うことは1人で10人を破ったとかいうアホ伝説は信じなくなったわけだな
間違っているな、長州は一人で30人くらいを破った計算になる。
>先鋒総督を出した紀州藩ですら茂承が7月初めに辞任を言い出す騒ぎになっている
>開戦後わずか半月で長州と交渉を始めてるんだが。
その時点ではもう三方面でボロ負けじゃないか。
小倉でもボコボコにされている最中。そりゃ勝てないとなるよ。
>つまり言いだしっぺの一橋慶喜が直属兵力である会津藩兵を投入すればいくら犠牲が多くても征長令が出ている以上、
会津藩の兵がきても勝てるわけねーだろwつかあいつら戊辰戦争でも何したんだよw
後で略奪してただけだろうが。そんなの来ても鎧袖一触で蹴散らされるだけ。
つかんなこというなら、萩口に幕府自らこいよw
一番大変で危険な萩口を薩摩に投げて、薩摩が動けば勝てたはずとかw
そりゃ薩摩だってそんな被害が出そうな所に進撃したくないに決まっているだろ。
幕府が上陸作戦で萩占拠とかやればよかっただろw薩摩でもそんなの絶対に無理だが。
上陸作戦という難しいもので、お膝元を占領とかできるわけがない。
ただでさえそこには大村がいたってのに。
450:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 12:48:57.72 wMoHXPsO0
>>438
>まともな正規軍であれば秩序と規律が重視されるから、アナキスト民兵のように即決処刑や虐殺なんてそうそう起きない
長州の規律ある奇兵隊と違って、会津の正規軍は滅茶苦茶だろ。
略奪徴用のオンパレード、おまけに街道に火を放って焦土作戦。
>奇兵隊日記やその他の郷土の史料に登場する凄まじい数の粛清やリンチは、
ならその史料をだせよ。具体的にな。
>入口が志願であっても途中で国家の戦争機械化しないと使えないと言うのは分かるな?
訓練その他は当然あるだろうな。でそれが何か?彼らが志願兵で士気が高く、
幕府の大軍を蹴散らしたのはかわらんよ。
451:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 16:31:13.70 XfNSN6zP0
>>442
その当たり前のことをまるで分かってないじゃん。
長州戦争において重要なファクターはほぼ幕軍で起きてるんだが
なぜ長州征伐において、長州藩兵側からの戦闘の経過記述しかないの?
防長回天史を引き写してた時代と全く変わらない古色蒼然たる人間ばっかり集ってるんだけど
452:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 17:07:16.48 SGNHUlA80
>>445
白石が暴挙と記したのは三田尻襲撃の後だよ
>>450
ただの訓練ではない。日本軍では軍法会議によらない私刑による殺人は横行していない。
ましてや出自が判明しただけで殺された例など…
薩摩藩や会津藩ですらこんな例は聞いたことがない
それと幕府の大軍、幕府の大軍と言うけど幕軍の内情は右の通り
453:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 17:09:10.93 SGNHUlA80
と言うか「幕府の大軍を蹴散らす」と言う発想そのものが固定観念なのだけどな
なぜなら幕府は開戦直後に休戦交渉を始めているから(これが原因で紀州藩の総督辞任騒動が起きている)
この時期の戦争は政治プロセスの延長だから、幕長戦争そのものが政治の誤算で開始された戦争
幕府海軍も連携より船の損傷を恐れている状態なんだから全く戦意がない
幕府軍は何を目標にしていいのか分からないのだから、戦略的勝利などあり得ないんではないかな
第1次征長戦から1年半も経過した以上、無駄な戦争を避けることが勝利の方法だった。
ただし、これを幕府内部から見ると無駄と言い切れない面が出てくる
長州戦争は幕府の統制力の問題と言うより、ひとえに「予定にない戦争」だったんだよ
幕閣内部はこの時期に京と江戸の政権が曲がりなりにも一体化している
454:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 17:14:38.63 SGNHUlA80
まあベトナムが米軍に勝ったからベトナムはアメリカより強いと思ってるような時代には、
長州藩が民衆パワーで幕軍を蹴散らしたと言う発想が相性が良かったのかも知れないな
455:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 17:22:12.94 SGNHUlA80
>>449
ちなみに
>幕府が上陸作戦で萩占拠とかやればよかっただろw薩摩でもそんなの絶対に無理だが。
>上陸作戦という難しいもので、お膝元を占領とかできるわけがない。
連合艦隊は上陸して長州藩の民衆の協力を経て砲台を撤去してますが何か?
萩口が実現していれば長州藩は守備兵力を大幅にそちらに向けざるを得ないから、
時間差で芸州→石州→小倉と各個撃破していった作戦が完全に狂うことになる
薩摩藩が参戦していても(第1次征長戦の初期の西郷の構想ではまさに長州滅藩だったわけだが)
長州が勝てたとかどれだけ戦況を楽観視してるのかと。
456:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 19:06:19.62 wMoHXPsO0
>>452
そもそもそれがフィクションだろ。
もしそんな例があるなら示せ。
部落民まで隊に入れることを認め屠勇隊が結成が許され、
さらには諸隊の中には参加を許されたのは長州くらいのもんだろう。
他藩の扱いと比べても雲泥の差だな。
他藩で彼らへの武装の許可などできるわけがない。
457:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:35:20.98 88ve4Qix0
>>454
ベトナムに限らず戦争形態や独立戦争全てそうだっての
ナポレオンがなぜ強かったかというと国民軍を率いたから
当時欧州諸国は金で雇う傭兵
ナポレオンはヨーロッパを制覇したが、諸外国に模範されて勝てなくなった
458:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 20:56:10.60 zqQmehL+0
ナポレオンの国民軍と比べて奇兵隊の凄まじいところは
奇兵隊以外の全世界を敵にまわしたところだね
459:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 21:41:18.41 l4qF5XO40
そもそもベトナム戦争は戦場では米軍が圧倒していたのだから
長州征討とは状況が全然違うな
460:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 21:44:55.64 88ve4Qix0
フランス革命時ヨーロッパは戦争は傭兵がよいとされた
しかし兵を集めるには金がかかる
ヨーロッパ全土を敵にしたフランスは滅亡に直面し兵を集める為に徴兵制を断行
民衆を集めて四方から殺到して来る職業軍人の連合軍に対抗
革命で生じた体制軍制の変化を新しい戦略で運用したのがナポレオン
ナポレオンは諸国と対等のことをやったのではなく、諸国とシステムが違う体制戦略を活用した
ナポレオンにボロカスにやられ、その体制を諸外国も模範した
以後ナポレオンは戦争に勝てなくなる
461:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/30 22:08:11.48 l4qF5XO40
>>453
戦略的勝利は幕府自信があげているように長州処分の執行だろ。
勅許と台命という当時の最高意志をえているにそれを貫徹できなければ
既存のシステムへの正当性が喪失する。
462:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:49:20.39 5vlTrL1X0
>>459
ベトナム戦争では現地の最高司令官が開戦直後に休戦を申し出たりはしてないし、
米軍部隊が離反して帰国したりもしてないな。長州征討のほうがはるかに大変だ
>>461
勅許がなかなか出ないから大変だったんだけど。
463:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 03:59:08.13 5vlTrL1X0
>>456
小郡宰判出身兵が奇兵隊に入隊し、即座に処刑された事例は超有名
論文でも奇兵隊の性格を論ずる際に触れられる
>>457
ナポレオンが率いたのは「徴兵制によって徴募した兵士」ですよw
464:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 04:07:28.22 5vlTrL1X0
だいたい芸州口の緒戦で活躍した維新団も慶応2年5月に藩命によって組織されたもので、
服はおろか笠まで黒ずくめの服装をするよう規則で命じられていた。もちろん正規軍にはカウントされてない。
事前の風当たりが非常に強かったのが窺える。被差別部落出身兵を別組織にしたい思惑が明らか。
被差別部落側も身分解放への希望を繋いで奮戦したんだけどね
465:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 04:19:14.20 5vlTrL1X0
あと上関茶筅隊の強制解散も有名。
部落解放史ではやかましい論争があるんだが、
少なくとも出身地を離れて自主的に結成の動きを示した賤民については
長州藩はこれを徹底的に弾圧している。あくまで藩命に従って結成されたもののみ公認。
466:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 04:33:52.10 5vlTrL1X0
何というのか、諸隊はあくまで入隊許可制、設立許可制であって
屠勇隊も明らかに攘夷戦争の際の戦力不足を補うために賤民を動員したもの
藩秩序を守るのが目的だから良民の隊と一緒にする考えは最初からない
動員令に触発されて良民の隊に紛れ込んだ兵は容赦なく処刑されたんだけどね
467:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 07:57:01.76 NxzZ2FKo0
>>453
開戦直後から負けまくりだろ、そりゃ適わないとみて停戦交渉するのは当たり前。
>>455
連合艦隊?あれアヘン戦争並の戦力だぞ、17隻の艦隊数百の砲門と2000の海兵隊からなる大軍だ。
それでも長州よりも死傷者が多かったくらい損害が出ている。
それと同じ事をどこがやるんだよw
>時間差で芸州→石州→小倉と各個撃破していった作戦が完全に狂うことになる
時間差じゃないな。そもそも芸州口と石見口と小倉口は同時に行われている。
大島が少し速く始まっているが、大島の戦闘が終わる前に他の方面が戦争を開始している。
萩に上陸していれば石見口の侵攻作戦がなくなるだけ。
468:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 08:49:36.89 NxzZ2FKo0
>>465
それ集めた奴が新撰組と繋がっている可能性があったから解散させられただけ。
んな胡散臭い奴等を認めるわけないだろうが。
それ以外の隊はたいてい認められているのと比べて、何故解散させられたのかくらい思考しろよ。
そもそもこの事例が上の464はお前の意見を否定しているな。
つまり当時の長州では自主的に多くの隊があちこちで結成されたという事だよ。
その後藩に認められただけの話。
藩命に従って結成されたもののみ公認されたわけじゃない。
自主的に多くの隊が当時長州では作られていた、そしてその多くが隊として正規軍として認められたという事だ。
一部敵と通じている疑惑のあったところは解散させられたが当然の事だろう。
また奇兵隊にも部落民の入隊は許されているよ。
>被差別部落側も身分解放への希望を繋いで奮戦したんだけどね
そもそもこれがフィクション、藩はそんな約束してないし、
彼らもその為に戦ったわけじゃないだろ。まあそんな奴がいないとまではいわんけどね。
維新団にしても功績が良かったので士分取立てを提案されたが、その分金や土地くれと言った者ばかりだったし。
また奇兵隊にも部落民は入隊しているだろ。
つか部落なんて大半は今で言えば、下っ端役人なわけで、
獄吏とか警邏、処刑とかやっていたわけで、警察や刑務みたいな事やっていたんだよ。
ただ武士の手先となり農民を支配し、彼らが対処するわけだから当然大多数の農民から恨まれる。
間接統治のクッションの役割に近い。戦争の時の徴用されるのは別におかしくないだろ。
つかね部落差別なんて、明治以降作られた幻想みたいなもんだがな。
農民の不満を抑える為に、身分的に士農工商の下においただけで、
実際は武士の命令で農民を支配する手伝いしていただけなんだよ。
469:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 17:35:20.08 ZhjHBlcG0
>>462
ベトナム戦争とは過程も時代も違うのにどちらが大変かなんて
比べられんよ。
和平交渉もそもそも、本荘が宍戸と小田村を解放した6月25日時点で
既に芸州口は撃退、逆襲され、大島は奪還され、石州口では益田が失陥、
大敗をきっしている。たとえ本荘が和平工作をしなくても結果は変わらないよ。
470:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 18:26:17.40 Dmml4gC2O
萩に上陸するのでなく、艦砲射撃はどうかな。
その前に日本海で決戦ですね。
471:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:26:52.12 W5NwjSpw0
>>467
>開戦直後から負けまくりだろ、そりゃ適わないとみて停戦交渉するのは当たり前。
6月20日過ぎに「負けまくり」で休戦を申し入れる理由がない。事前の政治交渉の延長
この段階では芸州口は紀州藩の参戦で長州藩の大野攻略が失敗しているし、
小倉口も石州口もまだ戦闘が開始されて数日に過ぎない
慶喜が8月に陣頭指揮を1回は決意していることを考えたら、明らかに幕閣内部での対長州方針の混乱を示すもの
>連合艦隊?あれアヘン戦争並の戦力だぞ、17隻の艦隊数百の砲門と2000の海兵隊からなる大軍だ。
>それでも長州よりも死傷者が多かったくらい損害が出ている。
連合艦隊はあくまでも関門海峡の安全航行の保障が目的で、深追いする意図がなかったから
長州は講和程度で助かっている。上陸戦の際、
またアヘン戦争の場合、艦隊が北京の外港の天津沖に出現したから内訌が発生し、
僅か2000人の兵で進撃を許すのはむしろ異常事態
たとえば元寇の際、鎌倉幕府軍の前線は数千程度だったが1日で数万の元軍を撃退している
(上陸後に)
高杉が萩の沖合で空砲をぶっ放しただけで鎮静会が出て来たように、
薩摩藩が萩口に参戦したらまず他の3つの方面で攻勢に出られない。勝利の帰趨は決定的。
薩摩より長州が上とか何の根拠があって思い込んでるんだ
472:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:31:19.80 W5NwjSpw0
>時間差じゃないな。そもそも芸州口と石見口と小倉口は同時に行われている。
開戦は同時だが、幕軍は完全にバラバラに戦ってるし戦況もまちまち。
戦闘の経過が良好な所から膠着状況の所へ兵を向けられる。結果的に時間差になってるんだよ。
長州藩側の史料でも石州口で大勝した余剰兵力を他の口に振り向けたのは明らか。
しかし萩口が実現した場合、余剰兵力の移動そのものが難しくなる上に、
熊本藩・紀州藩が体面上撤兵できなくなり、小倉方面でも長州は劣勢に回る。
473:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:37:26.89 W5NwjSpw0
>>468
>それ集めた奴が新撰組と繋がっている可能性があったから解散させられただけ。
>んな胡散臭い奴等を認めるわけないだろうが。
>それ以外の隊はたいてい認められているのと比べて、何故解散させられたのかくらい思考しろよ。
それは粛清の際の口実ね。被差別民出身諸隊は在地を離れたものは強制解散されられている。
お前は被差別民が在地を離れて庶民と共に戦うと言うのがどう言うことか分かってないだろ。
志願さえすれば自由に身分移動を許されるわけだから、士分からなる藩権力にとっては異常事態
だから小郡宰判の兵が「志願兵制」であるはずの奇兵隊でたちまち殺されてるんだよ
しかもこの段階では比較的被差別民に理解のあった吉田利麿や赤根武人がおらず、
保守的な高杉だったから一層弾圧が酷くなった
474:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:42:27.03 W5NwjSpw0
>そもそもこの事例が上の464はお前の意見を否定しているな。
>つまり当時の長州では自主的に多くの隊があちこちで結成されたという事だよ。
>その後藩に認められただけの話。
自主的に作られた隊が藩に潰されたと言う証拠しか出てこないけど?
>藩命に従って結成されたもののみ公認されたわけじゃない。
>自主的に多くの隊が当時長州では作られていた、そしてその多くが隊として正規軍として認められたという事だ。
>一部敵と通じている疑惑のあったところは解散させられたが当然の事だろう。
いや、だから諸隊は藩公認制だっつの…
藩が公認しない隊設立あんてあり得ない
お前は自由な隊の設立と言うのが藩権力にとっては危機だと言うのが分からないの?
>また奇兵隊にも部落民の入隊は許されているよ。
それは身分移動を藩が認めた場合ね。その対価は藩の要求する労務や金品の提供
江戸幕府だって労務の提供を行った弾左衛門以下を平民に取り立てている
別段珍しいことじゃない
475:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:48:13.12 W5NwjSpw0
>>468
>>被差別部落側も身分解放への希望を繋いで奮戦したんだけどね
>そもそもこれがフィクション、藩はそんな約束してないし、
お前、適当にググってあそこの部落問題のサイト見てきたんだろw
あれはあくまで想像
維新団は士分取立を断ってるがそれは生計の道が断たれるから、土地利用権のほうが切実な問題だったから
藩にとってもそっちのが都合がよかったんだよ。
被差別身分の兵でも、例えば奇兵隊に入隊した小郡宰判の兵は明らかに在地の部落から離れた身分移動を求めている
長州藩の被差別部落民が身分解放を求めていなかったなんて超絶理論を打ち立てるとはね。
知ったかぶりはするなよ
476:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:54:44.18 W5NwjSpw0
>つか部落なんて大半は今で言えば、下っ端役人なわけで、
>獄吏とか警邏、処刑とかやっていたわけで、警察や刑務みたいな事やっていたんだよ。
>ただ武士の手先となり農民を支配し、彼らが対処するわけだから当然大多数の農民から恨まれる。
>間接統治のクッションの役割に近い。戦争の時の徴用されるのは別におかしくないだろ。
農民だって戦時徴用は別におかしくないよ。
おかしくないから徴用はされて当然だとか言い出したら、
理想に燃えた志願兵たる諸隊の意義を自己否定することになるが構わんのか?w
幕府と違って雇い兵やら徴兵じゃなく、あくまで志願兵だから長州藩の諸隊は優秀だったんだろw
>つかね部落差別なんて、明治以降作られた幻想みたいなもんだがな。
>農民の不満を抑える為に、身分的に士農工商の下においただけで、
>実際は武士の命令で農民を支配する手伝いしていただけなんだよ。
じゃなぜ弾左衛門が幕府や政府に繰り返し身分解放、醜名除去の確認を求めているのか説明してくれや。
弾左衛門は大富豪だから経済的差別なんて存在しないよ。残るのは社会的差別だけだろ。
477:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 19:59:05.48 W5NwjSpw0
>和平交渉もそもそも、本荘が宍戸と小田村を解放した6月25日時点で
>既に芸州口は撃退、逆襲され、大島は奪還され、石州口では益田が失陥、
>大敗をきっしている。たとえ本荘が和平工作をしなくても結果は変わらないよ。
は?芸州口では長州藩はこの時点で2度にわたって大野奪取に失敗しているし、
小倉口も最初の戦闘があっただけ
パークス小笠原会談が行われたのは26日だからまだこの段階では下関への攻撃の芽は残っている
それと本荘が停戦を求めたのは「25日以前」 であって25日じゃないよ
478:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 20:09:15.67 W5NwjSpw0
身分引上と醜名除去
URLリンク(ritsumeikeizai.koj.jp)
一応参考までにこれ弾左衛門の事例ね。明らかに身分移動を求めているし、
幕府は弾左衛門以下60余名の身分引上、および「手下の者」の醜名除去を認めている
まあ弾左衛門に関しては長州戦争以前から幕府の引立てがあったのだけど
479:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 20:18:37.80 W5NwjSpw0
幕府軍は既にこの段階で1年も京阪に滞留して多大な乱費を余儀なくされた上に、
直前に薩摩藩が正式に不参加を通達し、芸州や佐賀ら他の諸藩も右へ倣えでアフガンの治安維持よりはるかに酷い状態
士気が著しく下がってるから幕府海軍も艦隊温存を第一にして出撃しなかったんだよ
だから開戦直後から本荘が見切り発車してるの
480:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 20:27:13.37 W5NwjSpw0
あと長州オタはよく「死傷者は連合艦隊のほうが多かった」と言うけど、本当に印象操作だね。
薩英戦争の薩摩藩は死傷者数や士官の犠牲で比べたらイギリス艦隊に圧勝。
481:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 21:42:43.08 W5NwjSpw0
長州藩が粛清の大義名分に新撰組を使うと言うのは周知の事実だと思ってたけど、
まだ間違える奴がいるんだね…驚いた
この時期の長州藩の粛清事例を見ると、新撰組は長州藩に1万人くらい工作員を潜伏させてたみたいだけどねw
482:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 22:26:08.55 ZhjHBlcG0
>>477
大野が攻撃を受けているから逆襲されていると評したんだよw
それに下関攻撃もパークスの圧力が無くてもできたか疑問。
幕府海軍は戊辰戦争を見る限り練度が高くない。
>>479
アフガンではソ連もアメリカも正規戦では勝ってたけど。
幕府は正規戦で大敗しているから、アフガンとも状況は違うな。
483:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/31 23:33:01.44 wdDGKr2r0
国民国家を形成した国ほど強い国は無いわけ
幕府が弱く長州が強いのは当然だね
植民地化された国は全部形成できなかった国
独立した国は形成できた国
日本は植民地にされる前に自力で形成した世界でも珍しい国だね
484:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 00:59:36.65 eVQZHs1+0
>>482
大野の奪取を2回も失敗してるじゃん
幕府海軍と言うより、この時期の海軍は命中精度は低いよ。
阿波沖海戦でも薩摩海軍と幕府海軍が撃ち合ってほとんど当たってない
それでも阿波沖海戦で幕府海軍は薩摩海軍を追っ払ってるけどね
日本海海戦のように練度が高い方がむしろ異常
ロシア太平洋艦隊もウラジオ艦隊は捕捉されなかったが、彼らは石炭代も惜しんで演習もできないありさまだった
薩摩海軍ですらしかり、にわか仕立ての長州海軍は奇襲くらいしかできない
あと長州と交戦した諸藩は小倉口では小倉藩、
芸州口では急きょ先鋒に繰り上がって武装の指示も受けてない高田、彦根藩
石州口では益田、浜田に旧式装備の紀州藩兵と言った弱兵のみ
芸州口では緒戦の勝利に乗じて攻めかかったら相手が紀州藩の洋式部隊に入れ替わり、
天狗党にコテンパンにされた幕府歩兵も善戦して以後は全く進めなくなっている
あとアメリカはアフガンの軍閥を懐柔して初期に支配を広げてるから、
正規戦で打ち破ってるわけではない。
内乱国家のアフガンと曲がりなりにも権力が藩に一元化されてる長州と一緒にする時点でちょっとね
485:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 01:02:03.61 eVQZHs1+0
長州オタもここまでかな。だんだん勢いがなくなってきたぜw
486:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 01:08:12.03 eVQZHs1+0
天狗党>>>幕府歩兵=長州諸隊 これが真実w
>>483
攘夷戦争での長州の講和条件はアヘン戦争とそっくりだよ。
幕府も米国船来航の兆候はモリソン号の前から把握していたが、
江戸~大阪間の航路が遮断されたらアヘン戦争の二の舞になると判断、
開港を前提に予備交渉で突っぱねてみせ、最も大事な国内商人の保護を図るという落としどころで纏めている
これが全く理解できなかったのが尊攘激派。単に幕府が異国に屈したと見た
現在では幕府の対応は鎖国攘夷の成功に味をしめて大きなしっぺ返しを食った朝鮮と比較して
「およそ考えうる限りもっとも理想的」と言う海外の学究の評価すらある
特に慶喜は個人的魅力で諸外国公使からの信任が厚く、パークスも慶喜追討に関して強く反対している
487:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 01:16:32.37 eVQZHs1+0
幕府オタと思われるのも何だから一言言っておくと、
幕府の意思決定はセーフティだったが遅かった。行政実務はきちんとしていたが政治的決定ができない
文久年間に幕閣首脳部が京と江戸、復古派と改革派、旧南紀派と尊攘派などに細かく分裂した段階で、既に幕府は役割を終え
あとは新しい公儀政体をどう作っていくかの政局に入っていた。
立場的には同輩中の首席に過ぎない徳川家が大政を委任されて単独でやっていくことはもはや不可能だった
なぜなら大政を委任されている以上、徳川家の内部問題が日本の政策問題に直結するから、これは解消するほかない
ここまでは慶喜も含めて全員一致。
だから文久以前の幕府体制のままで近代日本を担えたとは幕臣ですら思ってないわけだが、
(幕権派は幕権派で従来の幕府と違う枠組みを模索していた)それと長州戦争の評価は全く別なんだわな
488:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 08:23:45.03 AUJ9hcXD0
>>470
艦隊が沈められるだけ。480にもよくわかってない馬鹿がいるが、
当時は陸上からの砲撃が圧倒的に有利。いや今でもかな?
馬関戦争でも英国は旗艦に砲撃を食らい、艦長を含む士官が何人も死傷している。
薩英戦争の薩摩も同じく艦長以下を殺傷している。
当時の砲の制度で数メートル程度しかない砲に命中させる事はまず不可能。
たまたま偶然当たるのを待つだけ。
だが陸上からの砲撃の場合は、巨大な艦艇に当てればいいだけなのでけっこう当たる。
だから上陸戦が必須になる。
>6月20日過ぎに「負けまくり」で休戦を申し入れる理由がない。
何言っているの?負けまくりだから休戦を申し込むしかないわけ。だって勝ち目ないからね。
もうこの時点で岩国に侵攻してきた幕府軍は撃退されている。
その後逆激をこうむり10キロだったかな?逆に侵攻している。
あまりに前進しており、また戦場が広島になってしまい。
友誼を結んでいた浅野から、うちでこれ以上やらないでくれといわれて進撃を止めたくらい。
元々この方面は河川を利用して守備に徹する構えだったのにこの始末。
石見方面ももう益田にいる幕府軍は壊滅しているだろ。
大島ももう既に奪還し終わっている頃。もう幕府は詰んでいるんだよすでにね。
大島方面と石見方面から援軍が来る状況になっている。
>僅か2000人の兵で進撃を許すのはむしろ異常事態
連合艦隊の上陸した部隊は砲台を破壊したら、即座に撤退して沖に逃げているが?
長州はそれを修復して砲撃をやり返している。
>薩摩藩が萩口に参戦したらまず他の3つの方面で攻勢に出られない。勝利の帰趨は決定的。
石見方面で攻勢に出られないだけで、他の方面の戦闘結果は変わらんよ。
大島も奪還されるし、芸州方面も大敗して逃げ散って、何とか防いでいる状態。
小倉も大島の援軍が着たら、詰みだな。史実どおりに進む。
石見方面の戦闘がないだけ。
まあ石見方面の軍が萩に来ても結果はかわらんだろうさ。
>薩摩より長州が上とか何の根拠があって思い込んでるんだ
軍の質に大差はない、なら当時の輸送力の上陸戦になる。
補給すら間々ならない状態で城攻めとかw
無理に決まっているだろ。長州よりも小勢で上陸して勝ち目があるわけないだろ。
489:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 08:27:40.72 2H62kQSD0
大島口ぇ・・・・
490:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 08:46:36.06 AUJ9hcXD0
>>472
小倉方面は第二奇兵隊、つまり大島を奪還した部隊が回っている。
石見方面の軍は岩国に回っている。つまり小倉陥落は変わらん。
>だから小郡宰判の兵が「志願兵制」であるはずの奇兵隊でたちまち殺されてるんだよ
そういえばこれ初耳なんだがw有名って誰が言っているんだ?
部落民だから処刑されたとか言っているが。そんなケースは存在しないよ。奇兵隊にはね。
命令を無視して勝手に隊から離れた奴が処刑されたケースはあったが。まさかその事じゃあるまい?
>それは粛清の際の口実ね。被差別民出身諸隊は在地を離れたものは強制解散されられている。
口実?ここ以外で第二奇兵などが出てきて強制解散させたケースなんてないよ。
解散させたケースでも、よくやったと集めた人には、お褒めの言葉と金一封などが下賜されて、兵士はどっかの隊に吸収されるだけ。
そしてこの集めた人は新撰組と実際にあっており、入隊許可などをしていた人。
んな胡散臭い奴が集めた隊を解散させるのは当然の事。
>志願さえすれば自由に身分移動を許されるわけだから、士分からなる藩権力にとっては異常事態
は?身分移動なんてないよ。何言っているの?
491:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 09:43:25.61 AUJ9hcXD0
>>474
>自主的に作られた隊が藩に潰されたと言う証拠しか出てこないけど?
おいおい、当時の長州では志願兵が殺到し、自主的に多くの隊が結成されていたという事だろ。
それが藩に認められて正規軍になったという事だよ。
当時の長州ではそういった諸隊は200くらいは合ったとされている。
その後統廃合されて正規軍として出発するんだよ。
ていうかお前の言っている事と矛盾するじゃないか、お前は長州は兵士がいなかったから、
村に言いつけて、徴兵していたといっていた。
だが史実としては長州の各地で隊を自主的に作っており、全くの逆だ。
お前の言っている事が事実なら、当時の長州は各地で自主的に隊が作られていたが、
藩はそれら志願兵の部隊を強制的に解散した、そして長州藩は今度はむらむらに徴兵を化し、
兵士を無理やり集めたとなるんだがw正気で言っているのかい?
志願者が自主的に隊を作っていたのが事実なのか?それとも藩の命令で徴兵されていたのか?w
>いや、だから諸隊は藩公認制だっつの… 藩が公認しない隊設立あんてあり得ない
違うな、「公認」ではなくて「追認」
自主的に兵を招集して隊を作っていた。藩が公認しない隊なんてそこらにあったんだよ。
その後正規軍として認められた隊と、そうでない隊がいただけの話。
隊号などが藩に認められなかった隊も珍しくない。解散させられた隊も中にはある、
大半は合併でなくなっているがね。
>それは身分移動を藩が認めた場合ね。その対価は藩の要求する労務や金品の提供
そんな条件はないよ。
>お前、適当にググってあそこの部落問題のサイト見てきたんだろw
どのサイトだよ。維新団の話をみても義兵が集結に条件を出していたなんて話出てこないぞ。
>被差別身分の兵でも、例えば奇兵隊に入隊した小郡宰判の兵は明らかに在地の部落から離れた身分移動を求めている
だからそいつ誰だよ?ていうかお前言っている事変わってないか?
お前は463と言っているようだが?入ったら即座に処刑されたんじゃないのか?
>長州藩の被差別部落民が身分解放を求めていなかったなんて超絶理論を打ち立てるとはね。
常識なんだが?そもそも部落差別がーとか言うのは明治以降身分が平等になってから言われだしたこと。
江戸時代は武士の下っ端として、農民の迫害を直接やっていたのが彼らなんだよ。
武士の変わりに汚れ仕事といってもいいかな?
むしろ彼らの身分と安全を保証していたのが武士。既得権益に守られた仕事を世襲していた人達なんだよ。
後は人や動物の死体の処理や、解体業務の人達。処刑とかは刑務系になり、
動物の死体にしても皮剥いだりして、色々作るわけ。
刑務も革製品もどちらも武家の下っ端なので、彼らの庇護下にあるわけよ。
ただ刑務系は農民や町民からすれば当然嫌われるし、「穢れ」である死体の処理をするものは、
生理的に嫌悪される、これは温暖多湿で腐りやすい日本では仕方ない。
こういうのは今で言えば、専門職や官吏の仕事なわけでこれを辞めて、
明日から農民や町民やれといわれても、普通困るだろwどうやって生活するんだよ。
身分開放の為に戦ったとか、当時の参加者が誰か言っているのかい?
勿論中には仕事が嫌で辞めたい人とかいただろうけど、それは別の農民や町民だってそうだからね。
家業を世襲する身分社会が江戸時代なんだから、それを抜け出すには、
その身分を金で買うしかない。
492:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 10:39:49.76 AUJ9hcXD0
>>476
>農民だって戦時徴用は別におかしくないよ。
そうだよ。だけど長州の場合は部落も農民も志願兵でしょ。
>じゃなぜ弾左衛門が幕府や政府に繰り返し身分解放、醜名除去の確認を求めているのか説明してくれや。
幕府のケースであって長州とは関係ないなそれ。
ていうかそいつ代々続く部落利権のドンだろ、今で言えば松本や野中のようなゴミくず。
そして彼らの主張は革製品や刑務などの独占産業を維持したまま、身分上げろというものでしかないな。
そいつの血筋もサラブレッド。
>>477
もう大島でも石見でも大勢は決している、芸州にしても長州の反転攻勢を必死に防いでいるだけ
そして長州としてはこれ以上の進軍は芸州藩が嫌がるので辞めておきたいところ。
>>479
テスト結果が酷かったから、昨日勉強してなかったからだもん、
本気を出さなかっただけとか言い出す餓鬼みたいだなw
つまり外交で失敗して、戦略でも失敗して、戦術でも失敗しただけだろ。
長州が西国の有力大名に根回しをして、出兵をやめてもらうように工作をして、
交渉を長引かせて、その間十分な準備をして、
領民に藩の行為の正統性を宣伝し、多くの志願者をえて高い士気を保ち、訓練の行き届いた兵士を用意したのに比べたら、
幕府はほんと馬鹿だなw
493:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 11:01:12.90 AUJ9hcXD0
>>481
まーたフィクションですかw
ていうか金作が無実だったとか思っているとはおめでたい奴だなw
あと見つけた。URLリンク(eigaku.cocolog-nifty.com)
ここの事か。
部落のやっている事を歴史として知っていれば、普通に分かる事ではあるんだけどな。
明治以降差別ダーとか言い出したのは。元々偏見がある職業。
江戸期は武士の変わりに農民と対立、明治期に解体業の独占を禁止された事。
革製品などを大量に作る必要が生じたため。
彼らの特権が奪われたので、生活が苦しくなったから。
彼らの身分差別というのは武士階級下の最下層的な身分であって、
農民とかとは別系統なんだけどね。まあ不満をそらす意味で農民より下とは位置づけられただろうが。
実質差などない。
494:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 11:22:49.18 AUJ9hcXD0
>>486
長州なんか馬関戦争でも突っぱねているのに。幕府はあっさり屈服した馬鹿だよ。
列強にしても開港して貿易できればよかったのに、開港よりも賠償金を選んで、
結局払えなくなって、開港する始末。
長州が断固として断ったのと比べるとへタレとしか言いようがない。
幕府には貿易利権の独占というのが目的であり、それを他藩に譲りたくなかったから、
開港する場所は極力押さえたかった。
そして無計画に開港、金の流出、国内産業の保護をやらなかったから、
国内の物価が高騰して大変な事になった。生糸が安く買い叩かれた事で、
国内の生糸げ欠乏して、高騰した結果綿製品を作っていたものは大打撃、
そいて国内製品は舶来物に駆逐され、またまた綿製品を作っていたものは大打撃。
国内商人の保護?一部の輸出で儲けた特権商人だけだろw
さらに幕府がやらなくてもいい長州征伐などやっちゃったから、米の買占めと投機が起こり、
米価は八倍にも急騰。打ちこわしが多発。
>これが全く理解できなかったのが尊攘激派。単に幕府が異国に屈したと見た
明治政府が実際に上手く立ち回っているのをみれば幕府が屈しただけなのがよく分かる。
495:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 17:54:52.91 iX+XzQ8y0
>>484
攻め込んだ征長軍が芸州で防戦している時点でダメじゃないか。
それに全く進めなくなるは言いすぎだぞ。宮内を迂回攻撃されて
大野からも撤退してる。
日本海海戦の頃と幕末の海軍を練度だけで命中率比べるのは
不適切よ。当時の海軍は日進月歩だから。
アフガンに関しては状況が全く違うのに比較対象として出した479
に言ってくれ。
496:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:00:55.20 j5v3VnSJ0
>>488
長く書けば反論になるってもんじゃないぜw
>艦隊が沈められるだけ
じゃ何で高杉の海軍奪取がクリティカルだったんだよ?それと同じこった
薩摩海軍は上陸戦を必ずしも行う必要はない。下関に砲台設置を禁じられている長州船舶を拿捕し、
萩近辺に軍事的重圧をかければ長州藩内で高杉の時と同じことが起きる。
また石州口や小倉口に関しても薩摩海軍が出没することで進撃が困難になる
この時期長州藩の財源はかなりの部分通商に依存していたから荷を止めるだけでも大打撃
どっちにしても萩口の実現が決定的なのは間違いない
497:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:28:23.16 cGfISQhnO
下関封鎖?馬鹿がいるなそんな事したら日本の物流が止まる。
江戸大阪の物価が更に上がり、幕府崩壊だよ。
498:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:40:56.28 j5v3VnSJ0
>6月20日過ぎに「負けまくり」で休戦を申し入れる理由がない。
長州藩は19日に水野忠幹率いる新宮藩兵および幕府歩兵隊1個大隊を相手に
山上を占拠して攻撃を加えた。この時点で長州藩は大野奪取を固く決意し勝利を確信していた。
ところが不利な位置に陣取る両軍が前回をはるかに上回る銃撃にも頑強に抵抗し、
長州藩兵に多大な損害が出て20日についに敗退している。
守る紀州藩兵のほうは長州が高所から加える銃撃に対して遺体収容も出来ないほど不利な状態だが、
それでも抜けなかったんだよ。
さらに撤退も困難を極めた。幕府海軍の砲撃を恐れて迂回撤退を行っている。
長州藩はこの戦いで現場指揮官クラスを多く失っており、以後攻勢に出るのが困難となった。
25日に再度攻撃をかけたがまたも撃退されたのは前述の通り。
さらにお前が書いてる通り、芸州藩がこの段階で長州に「何でうちの領内でやるんだ」
とクレームをつけて長州は芸州藩内に押し込むのが難しくなっている。
石州口は津和野の中立で益田までは進んでるが、
それとお前は本荘の交渉が「25日」に開始されていたことを前提とするが、
本荘は「25日より前」に交渉を開始して、それが判明したのが25日なんだよ
また本荘はこの後呼び返されるんだが、彼の上申書の内容を見ると
「長州藩内が激徒に固められており、英薩がこれに協力して蒸気船を貸し出したり、
薩摩藩兵が一緒に抗戦している」だとか「西国諸藩や芸州が後備兵を出さす兵糧供給も難儀している」
とか、風聞や幕軍の内情をかなり悲観視して奏上しているのが分かる。
戦闘経過はその補足なんだよ。
彼が「穢兵」の存在を認識していること、またミニエー銃を長州藩兵が全員装備している、
などと語っていることから、芸州口の彦根・高田両藩と維新団の戦闘までは知っていた可能性がある。
とすると、当然小倉口の最初の戦闘での幕軍の内紛も知っていたと思われる。
しかし彼は「佐賀藩、薩摩藩、幕府歩兵」は長州藩に劣らない装備を持っていると認識している。
これを書いた状況からして、おそらく彼は芸州口の新宮藩兵の装備を知らない。
あと「フランスに30隻ほど汽船を借りてくれば絶対に勝てる」などとたわけたことを言っていて、
べつに「敗戦」を予想して停戦交渉を始めたわけではなく
本荘は現地で見聞した内情によって「いまの前線部隊では」勝算なしと判断して、
幕軍を強化して大規模攻勢をかけるほかなし、さもなくば停戦をと要請しているんだよ。
つまり彼は戦闘経過を見てこれを書いたのではなく、開戦前夜の状況からほぼ継続して
交渉を開始してるんだわ。
499:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:43:09.42 j5v3VnSJ0
なお本荘は彼自身「浅見にて」と断っており、戦闘経過や幕軍の内情は後付けに過ぎず、
彼自身の意見が先にあったことは明らか。
500:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:51:24.50 j5v3VnSJ0
>>496
>連合艦隊の上陸した部隊は砲台を破壊したら、即座に撤退して沖に逃げているが?
>長州はそれを修復して砲撃をやり返している。
だってもともと砲台破壊が目的だものw 砲撃をやり返すって、いつの攘夷戦争の話してんだ?
しかも下関条約で砲台撤去を約束しちゃったから長州戦争の時も桂がイギリスにお伺い立ててる有様だろう。
イギリスは許さなかったけどね
>>497
おやおや、幕長戦争の長州側の最大の強みは下関の流通が止まったからと言う家近説を頭から否定していたのに、
今になって「関門海峡を止めたら大坂が大騒ぎになって戦争継続不可能」ですか。
お前ら本当に都合の良い所で他説を引用するね。
薩摩海軍は日本海岸に艦砲射撃を加えるだけで充分軍事的重圧を加えられる。
また薩摩藩の参加で主攻である萩口が実現した場合、体面上も紀州、熊本の撤退はなくなる。
さらに関門海峡を渡海攻撃していた長州海軍は、薩摩海軍と幕府海軍の挟撃にあったら一瞬で制海権を失う。
501:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 20:58:54.43 j5v3VnSJ0
>>496
>石見方面で攻勢に出られないだけで、他の方面の戦闘結果は変わらんよ。
>大島も奪還されるし、芸州方面も大敗して逃げ散って、何とか防いでいる状態。
>小倉も大島の援軍が着たら、詰みだな。史実どおりに進む。
>石見方面の戦闘がないだけ。
面倒だからお前の言い分で反論してやろう。
石州口の惨敗が本荘の交渉に影響を与えたと主張しているんだから、
石州口で攻勢に出られなくなっただけで停戦の必要性は半減するじゃんか。
芸州口では紀州と幕府歩兵が長州藩を返り討ちにしてるんだし。
それと小倉に関しては上述の通り、退守していた幕府海軍が薩摩海軍の回航で出てくるから、
こちらも関門海峡にまず出てこれない。さらに石州口の兵力が萩に釘付けになるから、
史実では石州口から徐々に回ってきた余剰兵力が7月以降攻勢に出るのも困難になる。
>軍の質に大差はない、なら当時の輸送力の上陸戦になる。
かなり差がある。長州藩兵と薩摩藩兵の動員力だけでも比較してみるといい
薩摩藩は軽く数千は動かせる。戦時体制でもその程度の長州藩のほうが財政的に干上がるよ。
502:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:06:05.32 j5v3VnSJ0
×>>496
○>>488
>>490
>小倉方面は第二奇兵隊、つまり大島を奪還した部隊が回っている。
>石見方面の軍は岩国に回っている。つまり小倉陥落は変わらん。
だからそれは主攻の萩口が存在しないと言う前提で組み立てられた作戦だからだろ。
薩摩が参戦しないと言う言質を与えてるんだから。
石州口の軍を岩国に回せたから第二奇兵隊が小倉にいられたんだよ。
薩摩海軍が萩の沖合から関門海峡近辺まで遊弋するような状況では兵力の配置が一気に変わってくる
さらに何度も繰り返すけど、大手軍である萩口が実現したら、熊本藩は勝手に撤兵できなくなる。
小倉が陥落したのは熊本藩が終始非協力的で、さらに解兵したことが決定的要因なんだから
503:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:14:01.11 T9+1xdQSO
熊本にもアームストロング砲が、あったのは意外だ。
504:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:30:09.66 j5v3VnSJ0
>>だから小郡宰判の兵が「志願兵制」であるはずの奇兵隊でたちまち殺されてるんだよ
>そういえばこれ初耳なんだがw有名って誰が言っているんだ?
>部落民だから処刑されたとか言っているが。そんなケースは存在しないよ。奇兵隊にはね。
>命令を無視して勝手に隊から離れた奴が処刑されたケースはあったが。まさかその事じゃあるまい?
存在する。小郡宰判や幕長戦争の時の私刑は奇兵隊日記にも書いてある。
無許可離隊が処刑されるのは当然で、そんなケースをわざわざ研究者は取り上げたりしない。
長州の部落解放史で30年くらい前には少なくとも確認されてるし、
それこそ遠山や田中彰の時代から普通に被差別部落民への長州藩の待遇は記されている。
知らないのが信じられない。
>>それは粛清の際の口実ね。被差別民出身諸隊は在地を離れたものは強制解散されられている。
>口
>>志願さえすれば自由に身分移動を許されるわけだから、士分からなる藩権力にとっては異常事態
>は?身分移動なんてないよ。何言っているの?
ある。非常民は選抜入隊制(定数制限あり)だったが入隊した時は平民取立、苗字帯刀も許されてる。
自分で書いていたことを良く思い出せよ。被差別民、非常民は刑吏邏卒の役割をしてたんだろ。
それが在地を離れて勝手に志願してそれを認めたらどうなるんだ。
非常民を集落ごと管理することが不可能になり、つまり非常民と言う身分そのものが事実上消滅する。
それはどういうことか。良民と非常民が一緒くたに扱われることになる。
となると非常民を良民の監視に当たらせる藩構造が不可能になるばかりか、
良民出身の兵が差別撤廃に強く抵抗する。実際、解放令を出すのが難しかったのはこれがあるから。
だから長州藩は藩が身分移動を許可した兵(弾左衛門と同じく限られた階層だね)のみ入隊を許可し、
それ以外の在地の移動を認めていない。「穢兵」を藩が認めることなどあり得ない。
505:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:49:44.66 j5v3VnSJ0
上関茶筅隊で「金作」をはじめとする茶筅を第二奇兵隊が逮捕した一件は、
「金作」が大野を出奔した=在地を離れた人物であり、
さらに他の被差別部落諸隊とは明らかに違う隊中規則を定めたりしたことが藩の警戒感を買ったもので、
新撰組への入隊志願歴は後付けの理由に過ぎない。ましてや「敵との通謀」に至っては完全に事実無根。
そもそも入隊を志願したかどうかも実際には分かっていない。
残っているのは金作の自白だけだが、彼は取調中に恐らく拷問を受けて自殺している。
そもそも慶応元年の結成時点で金作の上方出奔履歴は知られていながら隊結成が許可されているのに、
慶応2年3月に至って突然逮捕されると言うのがおかしいし、茶筅隊の具体的な通敵行動もない。
普通に吉見隊へ付属させられて訓練に励んでいるが、外敵との通謀の兆候など一切ない。
ではなぜ慶応2年段階で粛清の対象になったかと言えば、
慶応軍制改革の結果、諸隊を藩が再編統一する過程で中央集権性が重視されたからに他ならない。
独自の隊規を有する茶筅隊は真っ先に目を付けられたと言うのがいまの有力な見解。
茶筅隊の解散と維新団の結成はほぼ時期を前後しているが、
維新団の隊規を見ると明らかに茶筅隊と異なり、隊士が「分限を弁えること」を強調している。
これは官製の被差別民諸隊に共通する隊規の傾向。
506:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 21:54:45.34 j5v3VnSJ0
論者によっては維新団が前線に出される確率が異常に高かったことを
「忠誠心を試す意図があった」と見て、維新団が士分取立を辞退したのは
この茶筅隊の粛清で隊士たちが警戒したと言う説もあるくらいだよ。
つまり士分取立にうっかり賛成してしまうと、茶筅隊と同様に粛清の対象になりかねないと。
実際、井上も維新団が辞退するのを見越して士分取立を言っている可能性が強い。
脅迫したのか、経済的実利のほうを選ぶだろうと思っていたのかは定かではないけどね
507:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:02:57.93 j5v3VnSJ0
長州藩ではこれ以前にも領民(士分も含む)による非常民の集団リンチ殺人が多発してるから、
維新団側も、士分取立とは言っても生活保障や事後のリンチを警戒したのかも知れない。
ちなみにこの時期、幕府も弾左衛門に命じて長州戦争での人足差出をさせているが、
まず前線で戦わせるような危険なことはさせてないし、家族の生活保障にも応じている。
幕府が人権を尊重したわけじゃなくて、一応、非常民は幕府が委託した業務を行うお役人的側面もあり、
皮革業は軍需物資調達の面でも貴重だから、無茶はさせられなかったのね。
維新団が前線に出されたのは確かに異常。
あとはなんだ、下関条約か。それもとっくに反論が出てるんで後で書こう。
508:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:14:57.09 j5v3VnSJ0
>>491
お前の書いてることはぜんぶ主観じゃないか。
「公認制だよ」「いや追認だ」どっちも許可制には変わりない
酷いのは、最初から隊設立を許可しなければいいのに許可した後に
藩の内情で茶筅隊みたいにどんどん潰していくんだよ
被差別部落民の組織は実は俗論派が慶応元年初めから開始して諸隊討伐に当たらせようとしてるんだよ
この段階では当然、藩の「命令」ね。
509:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:20:40.79 j5v3VnSJ0
で、正義党政権はそれをそっくり戴いた。ところが慶応2年段階になって突然粛清を始めてる
>>493
と言うかお前、金作の口供(それも拷問に耐えかねて自殺)しか残ってないのに、
なぜ無実じゃないとか分かるんだよ。金作と新撰組の関係を断定できたものなんてないよ
それと長州藩でその前に良民による被差別民のリンチ殺人がたびたび発生していることをどう説明する?
確かに被差別民は「家業」を独占した状態で、良民とは別建ての人たちだったことは確かだが、
社会的差別が厳然として残っていたのは事実なんだが。
何で全国で最も優遇された大富豪の非常民である弾左衛門が「身分取立、醜名除去」を強く要請しているのか
お前はちゃんと説明すべきだな。
だったら解放令なんて出す必要はないじゃん。
510:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:30:50.79 j5v3VnSJ0
>>494
長州が下関条約でどう突っぱねてる?
高杉が租借を拒絶したなんて話は伊藤の回顧録に出てくるだけで、
サトウの記録には一切出てこない。
長州が下関開港を勝手に認め、砲台撤去に応じ、償金支払の約束まで応じたのは
アヘン戦争の諸条項と全く同じだぞ。
しかし幸いなことに、米蘭仏はオールコックと異なり、問題への深入りに消極的だった
幕府はそこを衝いて交渉を重ね、事後に「賠償」ではなく「友好関係維持のための補償」
とすることに成功し、同時に長州への懲罰は「大君政府の職務」として勝手な長州攻撃や開港の強要を禁じている。
償金も6回ローンで3回分の支払は慶応2年までに滞りなく済ませている。
明治政府になってからのほうが支払に時間がかかってる
幕府の開港交渉は長州戦争とはスレ違いになるが、
幕府は「開港拒絶→落としどころを探る→最終的には開港を許可した上で商業範囲を限定する」
と言う限定開国を目指してたことは明らか。交渉の主眼は開港の是非でなく開港条件。
ところが内情を知らない尊攘激派には「幕府が譲歩した」と見えたと言うのが実情。
薩摩藩なんかは阿部からこれを伝えられてる
511:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:38:35.94 tgpzSxq60
幕府が結んだ条約自体が阿片戦争と同じだよ
だから攘夷論が起きて倒幕に行ったんでしょ
しかも攘夷を約束しながら国内を騙しやらなかったからね
だから倒幕されたんだよ
512:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:40:14.03 j5v3VnSJ0
>>495
>宮内を迂回攻撃されて大野からも撤退してる。
それいつの話だ?
もともと幕軍が「出張っていた」前線が大野で、総督辞任騒動が起きてからは大野を放棄してるよ
7月末からの攻勢では幕軍は宮内を通過してるし
513:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:40:58.11 j5v3VnSJ0
>>511
アヘン戦争と同じと言われるのは下関条約のほうだよ。租借がないだけで。
514:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 22:44:37.65 j5v3VnSJ0
何か反論このくらいかね。拍子抜けだわ。
515:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:08:59.30 j5v3VnSJ0
ちなみに幕府の施策が従来言われていたように幕府による貿易独占を目指してはいなかったこと、
諸藩との情報共有もそれなりになされていたこと、開港条件に際してもかなり粘っていることは、
今日学界ではほぼ周知なんだがお前らどこの大学?
516:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:36:38.05 bal8aVMP0
士分と庶民の袖印で区分があり、守らなかったら処刑された話とか知らないんだね
東京招魂社も大村益次郎が「屠卒」は除外してるけど、
その先例は下関の桜山招魂場の「門閥の習弊を矯め、暫く穢多の者を除くの外、士庶不問」
と言う高杉の布告にあることも知らないんだろうか
517:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:43:09.30 tgpzSxq60
幕府ってのは徳川家の為の政権なんで国内が統一できない
だから日本の政権、誰もが認める天皇を頂点とした政権を作ろうと尊王論がでるわけね
518:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/01 23:49:32.66 Zr7U7H+50
>>516
それは怪しいんだよなあ。東京招魂社で屠卒に関する論争があったのは事実だが、
真偽不明じゃないか?だいたい良民の部隊に入隊を許可された時点で良民扱いでしょ
仮にそういう事例があったとしても、どうして分かるのかと言う問題がある
高杉のその発言は入隊時に「エタの者を除くのほか」と門前払いした奴が混同されてるんじゃない
まあそっちのほうがさらに酷いけどさ…
519:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:14:56.06 /9JaFnBq0
>宮内を迂回攻撃されて大野からも撤退してる。
これもしかして8月7日の戦闘じゃないの?
とすれば本荘停戦交渉や紀州の総督辞任騒動と全く関係ないけどw
7月末からの幕長双方の戦闘は相当の激戦になってるが、
28日には幕府歩兵が宮内に進出して占拠、紀州・彦根・幕府歩兵が大野に進撃、
長州は高所からこれを銃撃すると言う全く同じパターン。幕府海軍と紀州海軍が砲撃を加えたことで大苦戦に陥るが、
日没になったので幕府軍は引き揚げ。こっちは海軍の援護射撃つきだから普通に引き揚げ。
第2回の攻勢も幕軍からで、この2回の戦いで彦根藩は奮戦して幕軍は陣地まで構築して事実上占拠に成功したが、
やはり日没を迎えて長州藩兵が後ろに回る懸念があるからと、戦わせてくれと言う彦根藩を引きずるようにして退陣している。
第3回攻勢は連敗に危機感を覚えた長州藩軍が大攻勢を仕掛けたんだが、
台風が襲来して幕軍が凄まじい逆風に晒され視界がほとんど効かなかったために接近に成功している
ここでも奇襲にも関わらず幕軍がどんどん増援に駆け付け、見事に敗退している。
ところが明石を通って宮内の本拠を攻めた部隊は風雨で幕兵の視界が効かないのが幸いして
ここを制圧するのに成功し、せっかく大野にいた幕軍も後ろを取られたから引き上げざるを得なくなっている
一連の戦闘で長州も彦根藩の善戦を第一に挙げて評価しており、
緒戦の戦闘で相手との戦い方が分かった彦根藩は素早く軍装について指示を出し、
以後は旧式装備で、しかも高所を扼されると言う不利な状況でも対等に戦ってるんだよな。
520:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:20:23.07 /9JaFnBq0
芸州藩がこの段階で廿日市の幕軍と長州の間に入ったのも、
長州藩の領内乱入を警戒したと言うか、主に幕軍を止めてるんだよな。
と言うのはこの時は慶喜が陣頭指揮の意向を紀州藩に伝えたので、
早めに休戦状態を確定してしまわないと、慶喜出陣を控えてまた幕軍が出撃しかねないから
521:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:40:14.69 /9JaFnBq0
あとこれが残ってるか。
>>492
>そうだよ。だけど長州の場合は部落も農民も志願兵でしょ。
上述したけど、志願兵ではない。基本的に村方や非常民の纏め役に対して兵賦差出を命じ、
一定の集落に対して差し出すべき定員を示す。その上で志願のあったものを選抜するわけ。
もちろん「志願」は願い出で充足されればよいが、充足されない場合も多いため
その場合は代人を立てることになる。まあどこの幕藩でも行っていた方法だよ
例えば願い出によって身分上昇を期待する傾向が強かった非常民集落に対しては
「○○名以上の入隊は認めない」と言うように強く制限している(被差別民だけの部隊であっても)
>じゃなぜ弾左衛門が幕府や政府に繰り返し身分解放、醜名除去の確認を求めているのか説明してくれや。
>幕府のケースであって長州とは関係ないなそれ。
>ていうかそいつ代々続く部落利権のドンだろ、今で言えば松本や野中のようなゴミくず。
>そして彼らの主張は革製品や刑務などの独占産業を維持したまま、身分上げろというものでしかないな。
>そいつの血筋もサラブレッド。
だから、なぜ皮革業において独占的権益を持ち、幕府の機構の一部として「役所」と言う地位にすらあった大富豪が
自分の譜代之家来65名の平民取立、「手下の者」の醜名除去まで願い出てるのかと聞いてるんだよ。
弾左衛門は与力格で、松本良順も普通に先代を診察に行ってるくらい重んじられたが、
それほど政治的、経済的地位の高い弾左衛門が銃隊を創設してまで身分上昇にこだわったのはなぜだ?
どうでもいいけど明治政府は兵部省が皮革を納品する必要上、弾内記(弾左衛門)の力を借りざるを得ず
彼の要求をほぼ通してたんだよw ほぼ弾左衛門の代弁者みたいなもんだな
522:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 00:44:51.75 /9JaFnBq0
弾左衛門の要求は明らかに身分差別を前提としてしか考えられない要求だよ。
江戸で1,2を争う大富豪が身分引上を要求したのは、社会的差別を前提にしてしか考えられない
いくら事実上、浅草御役所と言う実態にあっても身分引上げが切実な望みだったんだよ。
523:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:25:14.90 /9JaFnBq0
茶筅隊事件は、3つの証拠が全て「第二奇兵隊二被召捕茶洗金作、富蔵ニ関スル史料」
に所収されているもので、確実なのは金作が上方に出奔していたことだけ。
ところがここで新撰組から入隊許可を貰ったと言う文書にはおかしな点があり、
慶応元年4月14日の日付と新撰組隊士の名前があるが、
このうち村井善三郎は隊士と確認できる史料がない。尾関弥四郎は文書中に言う摂津難波の屯所万福寺にはいない。
新撰組側の史料にも金作の存在はない。この村井善三郎が易者だと言うんだが、
この人物は隊士ではなく、隊士募集の取り次ぎをしていたか、もしくは実在しなかった人物。
この時期は新撰組が隊士の大拡張を行っていた時期だから、上方で身分上昇の機会を求めて出奔した金作が声をかけられるのは
特段珍しい事情でもない。
ところが金作は結局これに興味を示さず帰郷している。
金作自身が述べる通り「格外出精」が第一目的である以上、郷里の長州で屠勇隊結成が始まったので
新撰組に加わる動機が既にない。よって彼は慶応元年11月に隊結成を許可され隊則を作っている。
結成当初17名だった茶筅隊は4か月で40名に急膨張した。ここで第二奇兵隊が28名を一斉逮捕している。
この規模は明らかに首謀だけでなく、茶筅隊と言う隊そのものを狙い撃ちしたもの。
金作が目を付けられたのは、この「格外出精」=身分上昇を説いて隊を結成した点だな。
524:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 01:44:37.88 O3fnDde00
なお慶応年間には長州藩は文久年間と異なり、諸隊の設立の許可を厳しくする方向に転じている。
例えば桂は「みだりに諸都へまかりこし、勝手に農商兵を引き立てるのは厳重に禁止する」と言っており、
また藩令も「銃砲その他の技芸の師弟関係などにより私的に農商兵を取り立てる」ことも禁じている。
これがストレートに出たのが、自主的徴募を行い数百人と言われた小郡宰判の佐分利隊に対して
「軍制改正があったから農兵隊の結成は許可しない」と藩が通達し、布地を渡して解散させている。
軍制改革によって諸隊の自主性が著しく奪われ、それまで私的募集の追認があった庶民兵取立が厳しく制限されている
525:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 05:58:25.26 bAi1WHNO0
濡れ衣着せて暗殺
テロリスト長州藩の面目躍如
526:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 06:33:01.52 HLUiAhP00
つまり6月19日、25日の戦闘では幕府軍が長州藩を撃退したがその後に茂承の辞任騒動で1回撤退
7月28日から再会した戦闘では幕軍はその間に大野を占拠した長州に対する攻撃
2回目3回目の戦闘では宮内、大野から長州藩を一貫して押しまくり、駆逐してるんだよな
台風に紛れて宮内への奇襲が成功するまでは
527:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 06:39:42.17 HLUiAhP00
あと19日の戦闘は高所から銃撃できた長州藩にも大きな被害が出て
幕府艦隊の砲撃におびえながら徹底してるのに対して、
28日から始まった幕府軍の攻勢は海軍の援護に守られてじわじわ長州側を消耗させている
8月7日の長州藩兵の攻勢も、暴風雨が幕府軍に吹き付ける形で接近に気づかれなかったからで
明石から進撃した部隊だけが攻撃に成功したために幕府軍が撤退せざるを得なくなった
この方面では緒戦でこそ負けたが、長期戦になるにつれ長州兵の戦い方に慣れて次第に幕軍が優勢になってる
幕府歩兵はこの一連の戦闘で飛躍的に強くなってる
528:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 07:08:57.90 HLUiAhP00
幕軍は7月上旬には紀州藩が一時撤兵状態になり、7月20日には家茂が逝去。
紀州藩と幕閣の対立も家茂に大きなストレスを与えたようで、
停戦交渉を聞いた9日に激怒し、翌日10日は食事を受け付けない状態になってしまい
病状が急速に悪化している。家茂逝去もかなり急な出来事で、この時点で征長戦は事実上終わっていたと言える
慶喜は宗家相続直後の27日に親征の意思を表明しているので、前線にいつそれが伝わったかは疑わしいが、
芸州口の幕軍の7月下旬の攻勢もあまり準備期間が取れないものになっている。
幕軍は8月20日頃に慶喜が芸州に到着して陣頭指揮を執る予定だった
(紀州藩の主攻は石州口へと変わり、慶喜自らが新補の部隊を率いて到着する)
ので、幕軍も攻勢には出たが、その頃の総攻撃を予定してあまり無理しなかったと思われる。
ところが幕軍が攻勢に出る直前の7月27日、小倉攻撃で熊本藩の来援要請を幕府海軍、小倉藩、
千人隊などが傍観したのが原因で激怒した熊本藩が解兵。小笠原が必死に諸藩を引き留めるが、
久留米、柳川、唐津すら撤兵してしまい、さらに小笠原に家茂逝去の急報が齎されて彼は急きょ上坂、
これに絶望した小倉藩が8月1日、城を自焼
小笠原から諸藩の解兵状況を聞かされた慶喜は一転して出陣を取りやめ、
芸州口の幕軍は予定していた第2次攻勢をすっぽかされてしまった。
529:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 07:45:33.81 HLUiAhP00
ちなみに薩摩藩は27日に「急に態度を変えたら面目が立たなくなるので出兵はできない」
と言う懸命の上申を行っているため、慶喜の親征表明は家茂病没後、27日までの間になされたと思われる
薩摩藩内部でもさすがに徳川宗家当主=次期将軍予定者 の親征と言う事態に際して、
出兵に抵抗するのはどうかと言う保守派の主張もあり、大久保らが懸命に抑えたらしい
慶喜の親征に対して7月29日の朝議で薩摩藩の建言を受けて正親町三条実愛が反対論を主張したのに対し
孝明天皇がこれを一喝し、両者が激論する一幕もあった。
薩摩藩としては朝議で慶喜を引き留めてもらいたかったらしいが、結果的に征討令が出て動揺したことは確か。
530:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 08:08:44.78 CDgHAKjVO
>>520 528 529
出陣しても家茂が死去したから、どちらにしても挽回は無理ですね。
暗殺されていたらそれでも、ひきさがったでしょうか。
531:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:10:53.53 ZWr9Z24c0
孝明天皇はほんまに長州が嫌いやったんやな。
あの朝議で天皇が諸卿の反対を押し切って慶喜に征長令を出すとか前代未聞やわ
532:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:19:19.71 CDgHAKjVO
鉄砲を打ち込まれたから、そうなるでしょう
533:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:49:31.04 ZWr9Z24c0
慶応2年の長州征討令の話やで、孝明天皇だけが征長軍解散に反対した
慶喜が解散を奏上してもなかなか許さなかった
534:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 09:56:58.91 CDgHAKjVO
うそでしょ
535:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:24:05.10 XQOsSCmc0
>>496
長く書けば(以下略w
薩摩が上陸戦を行わないなら無視していればいいだけ、上陸兵乗せて遊弋するならただのアホ。
食料や衛生環境やら、砲弾打ち込まれたらどうするのとかあるのでありえんw
>また石州口や小倉口に関しても薩摩海軍が出没することで進撃が困難になる
ならない、大島は幕府海軍がいたが普通に奪還。芸州のほうも幕府の艦隊がいて砲撃したが、
普通に長州が買っている。小倉も幕府の艦隊がウロウロしていたけど、通行の邪魔になってない。
薩摩の艦隊がきても同じ事。薩摩が幕府の私戦に死力を尽くして戦い。艦隊を全部沈めていいくらい頑張れば別だが。
ありえんよw
>この時期長州藩の財源はかなりの部分通商に依存していたから荷を止めるだけでも大打撃
無理、したで他の人も言っているが、そんなことしたら日本の物流が止まって大変な事になる。
>>500
馬関戦争の時に普通に破壊された砲台は翌日には修復されて打ち返している。
また下関に協定で置けなくても、萩には置ける。
また下関に砲撃は出来ない。連合艦隊でも出来なかった。
ここは各藩の御用商人の倉庫街になっており、ここを吹き飛ばす勇気はないよw
長州だってここで戦争したくなかったから、渡航攻撃なんて無茶したんだし。
>おやおや、幕長戦争の長州側の最大の強みは下関の流通が止まったからと言う家近説を頭から否定していたのに
誰にレスをしているのだお前は?
長州征伐で物流が滞ったのは、江戸大阪の物価高騰の要因の一つ。
>また薩摩藩の参加で主攻である萩口が実現した場合、体面上も紀州、熊本の撤退はなくなる。
面子じゃなくて被害の問題なので、熊本藩は援軍遣さない限りかえるよ。
なんで薩摩ごときが参戦したからといって戦う義理があるのかわからん。
536:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:30:46.63 XQOsSCmc0
>>498
何を言っているんだ?大野の撤退は浅野との政治的な妥協もあり、
無理をするところじゃなかったから、この方面の死者は100人を切っており。
それ以上の被害が出ても突っ込んだ小倉などと比べてもやらなかっただけに過ぎない。
>それとお前は本荘の交渉が「25日」に開始されていたことを前提とするが、
そんなことは言った覚えはない。また20までで大敗をすでに喫している。
長州はお前がマンセーする芸州のほうですら、
この方面は防御の予定で川の向こうで渡河を防ぐ予定だったのにだ。
それにそもそも交渉?降伏しろとか言っているだけだったろw
537:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:40:45.39 XQOsSCmc0
>>501
>石州口の惨敗が本荘の交渉に影響を与えたと主張しているんだから、
ンな事は言っていない。
ていうか薩摩が参加してくれれば、交渉する必要がなかったとかいう主張?
仮定に仮定を重ねて何がいいたいのだお前は。
ここでの論点は、大将が弱気になって停戦を申し込んだから、士気が下がって戦えなかったというお前の主張を、
その時点でもう大勢は決していると言っているだけだよ。
そしてそこの内容は仮定と妄想の産物であり、水掛け論にしかならん。
薩摩が参加してもやる気になるかどうか疑問であるし、
薩摩が参加しても普通にまけるだろうし、他藩がさらにあっさり負ける事もある。
お前の主張に根拠が伴わないので意味がない。
>かなり差がある。長州藩兵と薩摩藩兵の動員力だけでも比較してみるといい
長州の動員兵力は二万を超える。薩摩が戊辰戦争で遠征した軍は8000弱だが、
長州はそれくらいは動員しているからね。
最も薩摩は西南戦争で二万くらい動員しているから、二万くらいは動員可能だろうな。
戊辰戦争で長州が保有した洋式銃も二万を軽く超えていた。
長州の当時の実高は100万石はある。薩摩の実高は実はそれほどでもなくて70万石ほど。(どちらも支藩含む)
これを一万石250人に当てはめると、(400から500は戦国時代でも動員可能といわれているが)
長州の最大動員兵力は25000になる。
また財政もかなり上だな。長州は戊辰戦争では薩摩と違って一度も外国から借金はしていない。
それでいて藩を潰したときには100万両の備蓄があった。
当時数千で戦ったのは洋式銃の数と錬度の問題。
538:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 10:46:50.81 XQOsSCmc0
>>502
小倉の陥落はかわらんよ。芸州口を幕府が打ち破るのは不可能。
長州の戦略は事前の計画はこの方面は防衛であり、侵攻までする必要はないからね。
援軍をこっちに割く必要性がない。
大島の部隊はそのまま小倉にいく。史実に変化はない。石見方面がなくなるだけ。
その石見方面にしても萩までくれば、蹴散らされるだけ。
そしてなんで薩摩が参加したら、熊本が撤退できなくなるんだかw
史実同様長州の突撃を単独で防ぎ続けて、幕府が援軍送らなければ帰るよ。
まだ薩摩が小倉防衛に入るとか妄想してくれよ。それなら流石に長州も抜けないだろうがな。
で、今から出るから、後で残りはかえそう。
539:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 12:01:20.18 CDgHAKjVO
榎本がいたらと、思ってしまいます
540:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 13:06:51.36 XQOsSCmc0
>>504
>存在する。小郡宰判や幕長戦争の時の私刑は奇兵隊日記にも書いてある。
なら奇兵隊日記の何巻の何項なのか書けるよね。
まさかそいつ庄屋とか嘘ついて入隊してないよね?
>ある。非常民は選抜入隊制(定数制限あり)だったが入隊した時は平民取立、苗字帯刀も許されてる。
ないよ。維新団にしても元の身分のまま参加している。
>それ以外の在地の移動を認めていない。「穢兵」を藩が認めることなどあり得ない。
屠勇隊にしても維新団にしても、名字帯刀などしていない人珍しくないんだが?
奇兵隊の名前にも苗字のない名前は珍しくない、利吉とかそんなの普通あるよ。
541:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 13:49:42.50 XQOsSCmc0
>>505
>金作
金作が長州から家族を連れて出奔して、新撰組へ入隊志願した事実がバレタから、
急遽奇兵隊が出動して、強制解散させられ、捕まっただけ。
同時期にある維新団は誰も捕まっていない、一新組もな。
金作の口述書がおかしいというが、金作と富蔵二人の口書が食い違っており、
二人に議論させたら、金作は最初は威勢よく議論していたが、後に黙ったと記されている。
自殺したのはその日の晩。ただたんに嘘がばれたので、自分の口を封じただけでしょ。工作員だよこいつは。
金作の口書は家族が帰りたいとかいうから、占師に占ってもらった。それが新撰組だったとかいう内容だよ。
拷問の末の捏造にはみえねーよw検察ストーリーもびっくりの内容だ。
適当に嘘並べたら、つじつまが合わなくなったんだろ。
ただ具体的な名前があっているので、実際新撰組と接触したのは確かだろうな。
ちなみに富蔵によりと、金作自らが新撰組を尋ねたとある。
100歩譲って金作が無実だとしても。家族連れて出奔して、いきなり帰ってきて隊を結成。
その時新撰組に入隊したという噂が流れた。これは否定できない事実だろう。
そりゃ逮捕するわ。
>>506
前段の上関の件がまず嘘の上に、それらの内容にも史料により裏づけがない、お前の妄想としか言いようがないな。
前線で活躍したのは否定せんが、芸州口が圧勝であった為か、死者も少なくたった二人。
井上は高杉よりも上の身分だが、伊藤が有人であるようにそういう拘りは少ない。
実際その働きをほめる事をしている。
542:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:03:38.27 XQOsSCmc0
>>507
そもそも維新団をはじめ部落の人達も郷土防衛に立ち上がった者達であり、
前線に出るのは当然だろう。
それをお前らが、彼らにはそういった公の為に戦ったわけじゃない、
ただ自分の身分向上の為と貶めているから、そんな変な解釈になるんだよ。
郷土の為に戦ったから、士分取立ても断って、戦争終わったら引退したわけ。
>長州藩ではこれ以前にも領民(士分も含む)による非常民の集団リンチ殺人が多発してるから、
そりゃ彼らは下っ端官吏だからね、民を支配する体制側の人間だ。
そして武士のように守られているわけじゃない。その不満の捌け口にされたとしてもおかしくないが。
それが何の関係があるんだ?
>維新団側も、士分取立とは言っても生活保障や事後のリンチを警戒したのかも知れない。
士分になったものにそんな事できるわけねーだろwそういったリンチなどがなかったから、身分の向上を断ったと見るべきだな。
そもそもそのままの生活を選んだだけの話。
>>508
文久に攘夷やるってんで、海防の為におのおのが諸隊を作ることが認めらているんだよ。
元治に馬関戦争があって、高杉のクーデターがあり、色々あって方針が変わり、
作られた諸隊を合併編成して奇兵隊などの少数の隊にまとめたわけ。
上関茶筅隊が潰されたのは新撰組との内通疑惑。上代の茶筅隊は普通に存続している。
>何で全国で最も優遇された大富豪の非常民である弾左衛門が「身分取立、醜名除去」を強く要請しているのか
山口の事例とは全く関係がないな。そもそも彼らは利権を独占して超え太っていたもの。
ちなみに防長一揆では、彼らの解体業の人間への不満もあったとされている。
543:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:08:45.09 XQOsSCmc0
>>510
彦島租借に限らず、賠償金も突っぱねている。幕府に聞けとね。
そして幕府は下関の開港は利権独占が崩されるのでいやだった。
兵庫の開港もいやだった。なので賠償金払うと約束したんだけど、
幕府は賠償金をさっぱり払えず、結局開港することになり。
借金の支払い延長の変わりに、関税を20%から5%に下げることになりましたとさ。
へタレな上に馬鹿ですね。外交能力0といっていい。
ちなみにこの借金は明治政府が期限前倒しで返済できたもの。幕府がどれだけ腐っていたかよく分かる事例。
>>515
誰だよんな馬鹿な事言っている奴は、晒していいよ。
石井せんせーもそこまで耄碌してないだろ。
544:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:24:15.95 uVtDbkbz0
長州は朝敵であるから滅ぼされて当然と論ずる
545:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:27:33.75 XQOsSCmc0
まあこういった歴史の新解釈は良くある事だけどね。
無能な研究家が従来の研究結果をなぞるだけなのが嫌なので、
新発見、新説を作りたがる。
結果常軌を逸した珍説が出来上がってしまう。
もしこのお前の発言が事実なら、そういう事だ。史学には良くある事なので気にすんなw
>>519
かなり間違っているな。
28日は幕府軍が攻撃を仕掛けたのを長州軍が防いだ事例。
紀州の軍は中山峠の山上、つまり高所から攻撃を仕掛けたが長州軍を抜けず敗退。
本道からの幕府歩兵や彦根も長州は守りぬきやっぱり敗退。
八月二日 今度は大野村に侵攻した。海上からの砲撃に苦戦するが、そのまま夜まで守りぬき幕府は撤退。
六日 広沢実臣と芸州藩との停戦交渉が実ったので幕府軍に最後の打撃を与えて撤退する方針が固まる。
嵐に乗じて奇襲を行う。ただ幕府軍は察知していたのかなんとか防ぐ。
七日 早朝から長州は反撃を行いそのまま奇襲を成功させ撃破。
幕府側は雨が続いたことにより火薬が湿って使い物にならなくなっていた。彦根高田と崩壊する。
結果幕府軍が包囲殲滅される憂き目にあい、あわてて陣屋に火をかけて逃走した。
これが史実だよ。なんだその脚色しまくりの歴史小説はw
>>520
幕府軍のほうが酷かったからね。長州は最初荒らしていたものがいたけど、
そういうものは処刑すると触れをだし。また米などを炊き出しをして人身掌握をしていたが。
幕府は勝手に使って、すき放題暴れて略奪は当然する、最後には火をつけて逃げ出すと、
盗賊みたいなものだった。
546:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 14:38:19.70 XQOsSCmc0
>>521
以前書いたように志願兵。
当時の長州は各地で攘夷決行のためかどうかしらんが、砲撃するともに。
各地で武装させている。
それら多くの志願兵を、ある程度まとめたのが慶応になってから。
>だから、なぜ皮革業において独占的権益を持ち、幕府の機構の一部として「役所」と言う地位にすらあった大富豪が
>522
金を持っているものが次にほしいのは名誉だから。つまり武士になりたかっただけ。
>どうでもいいけど明治政府は兵部省が皮革を納品する必要上、弾内記(弾左衛門)の力を借りざるを得ず
そうだよ、今度は明治政府の軍部と結託して利権を維持しようとしただけ。
だが明治政府が牛馬の解体権を自由化した、牛馬の死体は部落の物ではなくなり。
かわりに部落が牛馬の解体をする。つまり「穢れ」た仕事をする義務がなくなったんだよ。
でこれに強行に反対して、軍部にも反対しろと迫っていたのがこいつ。
つまり彼らは、身分や仕事の平等化には興味がなかった。ただ利権屋だった事が分かる。
彼らが真の平等を求めていたなら、政府の牛馬の解体を部落に「押し付けていた」
差別的な行動の撤廃を賛美していたはずだ、だがその構造の維持の為に最後まで抵抗している。
どういう人間かよくわかるケースだな。
彼らの先代も非人との利権争い。芸事などがエタから脱却するのを邪魔していたりと、ほんと酷い連中だよ。
547:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 15:13:11.17 CDgHAKjVO
戦争に略奪がつきものですからね
548:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:27:22.98 nnU1MpND0
>>519
484で>天狗党にコテンパンにされた幕府歩兵も善戦して以後は全く進めなくなっている
と書いてるから反論したのよ。469で本荘をあげたのは和平工作による混乱前に
守勢にまわってるってのを示しただけで、他で本荘あげている奴と俺は別人よ。
>第3回攻勢は連敗に危機感を覚えた長州藩軍が大攻勢を仕掛けたんだが、
>台風が襲来して幕軍が凄まじい逆風に晒され視界がほとんど効かなかったために接近に成功している
>ここでも奇襲にも関わらず幕軍がどんどん増援に駆け付け、見事に敗退している。
>ところが明石を通って宮内の本拠を攻めた部隊は風雨で幕兵の視界が効かないのが幸いして
>ここを制圧するのに成功し、せっかく大野にいた幕軍も後ろを取られたから引き上げざるを得なくなっている
>一連の戦闘で長州も彦根藩の善戦を第一に挙げて評価しており、
>緒戦の戦闘で相手との戦い方が分かった彦根藩は素早く軍装について指示を出し、
>以後は旧式装備で、しかも高所を扼されると言う不利な状況でも対等に戦ってるんだよな。
彦根藩を過大評価しすぎだわw確かに長州側の記録でも彦根の奮戦は確認できるけど
旧式部隊の奮戦は下関戦争での矢兵や鳥羽伏見の会津槍兵でも散見されるけど
結局戦況を挽回できてない。数が多い側が高所を扼されてる時点で戦術眼が無い。
というか鳥羽伏見でも迂回攻撃されて弱体な部隊を突かれて包囲という状況は
あるから、兵制を統一できてない幕府軍の通弊だ。新政府みたいにライフル以外
もってくるなと命令すれば良かったのに、弓は勝手しだいと深く諸藩の軍制に介入
しなかったのが致命的だった。
549:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:28:00.35 oqTmoFxU0
>>509
丸々頂いたって、被差別民部隊設立は吉田稔麿が提出した屠勇取立の意見書が大元なんだけど。
その結果、有志であることを重視し、「其の名を何とか改め、其格を本格より一層高くし目覚敷派手に装はせ、給金相応にあてがう」
「穢多之名目被差除、平常一刀胴腹(服)」の被差別民部隊が誕生した。
あと解散後の論功行賞については、身分上昇と出征か土地の保有かで後者を選んだって事実しか分からないんだから、
どちらの立場からしても水掛け論にしかならないと思われ。
>>508
根本的な勘違いがあると思うんだが、大村益次郎による軍制改革の前後で状況が全く違う。
軍制改革後は、軍備と士官数など考慮して既存の部隊は全て精選されてるし、勝手に志願者を部隊に入れるなと複数回触書も出てる。
新しく志願者部隊を結成しても、これは小郡の農民による志願隊の例だが
「此度軍制改正被仰出、諸郡一統之御規則一一茂拘里、無余儀次第一一付不被差免候」
と言って解散させている。
ここで重視されているのは、藩の内情ではなく軍制であり藩の戦略だよ。
藩政の指導者自体が違うんだから、許可なんか出さなきゃ良かったってのは無茶振りもいい所だよ。
>>521
因みに、部隊を解散させただとか精選したこと自体が、長州藩に志願兵が多かったってことの傍証になってるよね。
550:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:40:34.64 nnU1MpND0
>>510
砲艦外交での開国である以上粘っても武威は傷つく
経済的混乱、疫病の流入で仁政も揺らぎ
勅許を得られないことで尊王もダメ
これだけ幕府の正当性を弱体化させれば、幕政が混乱するのも必然よ。
551:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:44:01.98 nnU1MpND0
>>537
戦国時代の軍役を幕末に当てはめるのは無茶だわw
戊辰の時だと薩長両方とも動員兵力は1万1千で同じね。
552:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:49:54.46 ltSI0+H50
>>540
無知も甚だしい。維新団は茶筅隊の解散を受けて「身分を相弁え」ることを重視して作られた官製部隊。
被差別民だけで結成された部隊だから、当然、身分は被差別民のまま。
隊則も知らないのか?
また奇兵隊は誰かが言ってるように高杉の「エタの者を除くのほか」に見られるように、
事実上、被差別部落出身者を排除している。入隊時は許可制か、または身分を隠すほかない。
奇兵隊日記や諸隊の証言などを突き合わせると、しばしばその問題でリンチがあったのは確実。
553:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:58:25.74 ++yrG9C70
超天才エリートの高杉東行に初めから勝てるはず無いじゃ
554:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 18:59:14.11 ltSI0+H50
>>それ以外の在地の移動を認めていない。「穢兵」を藩が認めることなどあり得ない。
>屠勇隊にしても維新団にしても、名字帯刀などしていない人珍しくないんだが?
>奇兵隊の名前にも苗字のない名前は珍しくない、利吉とかそんなの普通あるよ。
元治元年6月24日から7月の一連の布告に見られるように、奇兵隊では身分を示す袖印の着用を義務付け、
苗字帯刀許可者以外は姓を書くことを禁じる峻厳な軍律を出している。違反した場合は処刑するとも言っている。
これは良く指摘されるように、私称を隊内に持ち込んでいた違反者が相当数存在したことを意味する。
苗字がない=部落民 ではないんだがそんなことくらいは分かるよな
ちなみにこの布告が短期間に再度出されていることから、最初の達しでも庶民出身者隊士はこれを嫌がったことを意味している。
これ1つ取っても奇兵隊は身分差別のない志願兵だったなんて言えない。
比較的締め付けが緩やかな文久年間ですらこうだったんだから
555:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:01:51.20 ltSI0+H50
違反者と言っても当時の民衆は普通に姓を私称していたんだから、
身分上昇を期待して入隊したらそれを使うなと言われるほうが驚きだったに違いない。
>>534
7月29日の朝議では孝明天皇は「征長の事解兵は相成らず」と厳命してますよ
556:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:12:42.24 ltSI0+H50
>>541
もちろん対決審問くらいは知ってるが、金作と富蔵に関する史料は全て長州藩側のもので、恐らく拷問が加えられており、
その信憑性じたいが疑わしい。金作と富蔵の言い分が食い違うこと自体はちっとも変じゃないよ。
富蔵による反駁証言=つまり金作を誣告する人間 が出てきた段階で金作の有罪はほぼ確定なのだから、
真偽に関わらず彼の処刑はこの段階で決定している。自殺したからと言って彼が新撰組に入隊志願したなどと言う事実は認定できない
それと彼らの証言で研究者が重視するのは新撰組云々より「格外出精」の部分。
現に口供に対応する新撰組側の人物は確認できないか、もしくはその場にいない。
さらに金作が家族を連れて上方に出奔した人物なのは慶応元年11月時点で周知の事実だった
(わずか半年前の出来事)なのに、茶筅隊は普通に結成を許可されて活動している。
なぜ慶応2年3月になって隊が形を整えた所で突然逮捕されるのかがそもそも不明。
お前はソース重視のようだから、もちろん新撰組と金作の結びつきを示す驚きの新証拠を挙げられるんだろうな?
茶筅隊と維新団は早くから研究対象になってたから、後世の聞き書きじゃ話にならないよ。
557:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:26:57.35 ltSI0+H50
職権主義のお白洲で対決審問をすると言ったら普通は有罪判決のための布石。
少なくとも裁判官が強い嫌疑を抱いていることの徴表になる。富蔵の反駁証言で金作の有罪が決せられたわけではない。
それは拘束者の数が隊士の7割にのぼる28人と言う異常な多さであることで明らか。
当然、当初血盟した者ばかりでなくその後の徴募に応じた者が一網打尽にされてるんだが。
隊そのものを狙ったとしか考えられない。
>前線で活躍したのは否定せんが、芸州口が圧勝であった為か、死者も少なくたった二人。
>井上は高杉よりも上の身分だが、伊藤が有人であるようにそういう拘りは少ない。
>実際その働きをほめる事をしている。
働きを褒めるのは当たり前だろw
と言うか維新団は幕軍の記録にもあるほど目立った部隊で
(もちろん穢兵であることを示す黒ずくめの軍服を着てたせいもあるが)
維新団の結成が慶応2年の対幕戦前の比較的遅い時期であったことを考えると
(隊則の日付が5月、実戦が6月、この間わずか1か月)
前線に出る確率が非常に高いのは否定しようもない。
また戦死者2名だから軽微な損害だとか寝ぼけたことを言ってるが、
当時の戦闘は数名も戦死者が出れば激戦。負傷者12名が少なくとも確認されている
(正確な数は分かっていない)
558:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:27:22.41 XQOsSCmc0
>>552
維新団は別に解散を受けて作られたわけじゃない。
上関の部隊が突如捕縛解散になったのは慶応二年3月4日、
維新団はその前年の冬には既に存在していた。
ちなみに志願兵。
また身分はそのままと言っている。
誰にレスしてんの?
559:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:37:46.16 XQOsSCmc0
>>552
>また奇兵隊は誰かが言ってるように高杉の「エタの者を除くのほか」に見られるように、
なんか問題がおきて一時的に入れなかった時期があるだけ。だから「暫く」はなんだけど。
>>551
別におかしくはないな。そのくらいは余裕で可能。洋船などで補給している場合はもっと可能だろう。
ちなみに国許にも多数の兵士がいて、戦争中も逐次結成されているのでそのくらいの兵力は保有している。
その全部が前線に送られていないだけ。
薩摩もそのあとの西南戦争をみると本気を出せばそんくらいはいける。
補給の関係もあるから全力でいけるのはせいぜい九州程度だろうがね。
>これ1つ取っても奇兵隊は身分差別のない志願兵だったなんて言えない。
身分区別があった志願兵だったというだけ。それが何か?
560:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:47:13.59 ltSI0+H50
山代茶筅中は8月9日までに44人従軍、2名戦死、12名負傷だから実に損耗率3割に達する。
身分差別を示すのは維新団の黒服や前線での出戦率だけじゃない。
藩に提出した軍監の報告書には戦死者氏名・階級・死傷した場所の記載が克明にあるんだが
維新団に関しては「外に維新団7人大野手負」としか記されていない。被害報告に関しても明らかに人外の扱い。
さらに文久3年の屠勇取立令では「エタの名目被差除」と醜名除去だけは約束されていたが、
維新団の公式呼称を見る限り、これはまったく守られていない。屠卒と記されて厳しく区別されている。
(「維新団」と言う呼称も、報告書中では隊ではなく身分の呼称として使われている)
>そもそも維新団をはじめ部落の人達も郷土防衛に立ち上がった者達であり、
>前線に出るのは当然だろう。
>それをお前らが、彼らにはそういった公の為に戦ったわけじゃない、
>ただ自分の身分向上の為と貶めているから、そんな変な解釈になるんだよ。
>郷土の為に戦ったから、士分取立ても断って、戦争終わったら引退したわけ。
おかしいじゃん。諸隊は士庶平等の志願兵だったはずだろう。
だったら兵士のプライドの問題として身分上昇を求めてもちっともおかしくない。
長州藩部隊に刺激されて芸州藩でも「かわた」の兵士登用が始まっているし、
文久の達しの通り醜名除去や平民への身分引上げくらいの願い出はあって当然。
しかし実際はその後、在所で山林利用権などを与えられただけで、隊は活動を停止している。
これは他の歴戦の諸隊が一時リストラにあっても再び出戦したのを考えるとやはり異例。
現に弾左衛門は銃隊創設の見返りとして手下の者の「醜名除去」を何度も要求している。
何でここまで議論が進んできて、いきなり身分差別を肯定する従順な官兵になるんだ。
…お前の主張って、あのブログの言い分そっくりだな。付け焼刃で知識仕入れてね?
561:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:48:46.09 ltSI0+H50
>>559
なんか問題が起きて…この時期の奇兵隊は問題だらけ。
なんかとは何ぞや?史料プリーズ。
562:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:52:47.99 ltSI0+H50
つうかねこの長州おたくバカバカしいからいちいち反論する気なくなるんだけど、
かりに新撰組が金作の入隊志願を受け付けていたとしたら、
新撰組のほうが醜名除去も済ませず「身分を相弁えろ」とか言ってる長州藩諸隊より
はるかに先進的で開かれた志士集団だったことになるんだがw
これはこれで矛盾が生じるな
もっとも甲陽鎮撫隊では近藤は普通に弾左衛門の配下を受け入れいてるし、
特に問題が起きた様子もないから新撰組のほうが開かれてたかも知れんね。
563:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 19:59:34.58 ltSI0+H50
では反論の続きを開始すると
>>542
>>維新団側も、士分取立とは言っても生活保障や事後のリンチを警戒したのかも知れない。
>士分になったものにそんな事できるわけねーだろw
>そういったリンチなどがなかったから、身分の向上を断ったと見るべきだな。
>そもそもそのままの生活を選んだだけの話。
なぜ?天保の大一揆では打毀し件数741軒中171軒がエタ部落の家だよ。
その記憶もまだ新しいのに、士分取立を辞退するほうがおかしい。
さらに幕長戦争に輸卒を出した弾左衛門は「家族の生活保障」を幕府に求め、
幕府もこれを承諾している。士分扱いとなっても芸州口の激戦のような場所を引きずり回されたら、
家族の生活保障も明確になされていない中では事実上の辞退勧告と同じ。
生計の道が断たれるんだから
564:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:08:06.37 XQOsSCmc0
>>554-555
そうだね。実際奇兵隊にも無視して姓を名乗って、そのまま別段問題なく終わっている人もいる。
つまり違反者は普通におり、ばれなければ問題ないものであり。
場合によっては形式だけだったと見るべきだろう。
>>556
拷問があったらそう書かれていると思うが。当時は拷問なんて珍しくないし。
ただまあ拷問の結果の口述調書は信じられないというのはわからなくもない。
新撰組の拷問で、ありもしない事を認めさせられ、京都焼き討ち計画とか捏造されたからな。
>現に口供に対応する新撰組側の人物は確認できないか、もしくはその場にいない。
人の記憶はあいまいなもの。人物名が必ずしも合っているとは限らないし、記憶違いもある。
これは新撰組側の記録にも当然当てはまる。名前や場所が史料と違っている場合は珍しくない。
だが新撰組の固有名詞が一致しており、こういう偶然はないだろう。
それもマイナーな名前であり、尾関弥四郎が実際に隊士勧誘をしているので符号している。
村井は彼の従者とかじゃないかね。
>さらに金作が家族を連れて上方に出奔した人物なのは慶応元年11月時点で周知の事実だった
そこに疑問があるんだか。そもそもその時点で知っていたかどうかによる。
またそこで知らなかったとしても、その後新撰組との接触の密告があったのは確かだろうな。
でないと動くわけがない。
>少なくとも裁判官が強い嫌疑を抱いていることの徴表になる。富蔵の反駁証言で金作の有罪が決せられたわけではない。
だから少なくとも新撰組と繋がっていると強く疑われているという事だよ。
隊の大半が捕縛だよ。解散させられた隊はほかにもあるが。
こんな事例はない。つまりよっぽどの事であり。
新撰組との内通を疑われたのは事実だろう。
ほんとに内通していたかどうかまでは確定事項ではないがね。
最も俺はかなり疑っているが。つか真っ黒だろう。富蔵のほうに部があると見る。
565:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:15:06.02 XQOsSCmc0
>>557
兵士は170人、隊の名簿によると140人。
そのうち負傷が10、戦死が2 損耗率は一割以下。死亡率はさらに低い。
小倉口では一割以上が戦死しているし、芸州口でも8%ほどが死亡率だ。
それに比べれば、せいぜい平均レベルといったところ。
奮戦そのものは否定せんが、その被害は程度だよ。
ちなみに訓練は隊規が始まる前から行われている。
566:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:19:41.67 ltSI0+H50
>>543
彦島租借はソースが伊藤の後年の回顧談しかないよ。
交渉に立ち会ったサトウ日記には正使=高杉は全ての要求を何の留保もなく受け入れたと記してあり、
これには伊藤の働きが大きかったようだと感想を述べている。
現に下関条約5ヶ条に租借問題は入っておらず、今日では本交渉での租借打診の存在は疑問視されている
(実は幕軍もこの段階で保障占領を恐れて態度を急転させて長州に進発する姿勢を見せており、
英国も早く長州との話を纏めないと幕軍に妨害される可能性があった)
また償金問題だが、下関条約5ヶ条では①外国船下関通行の際の安全、②薪炭食料「その他入用の品」の給与、
③航海困難な条件の時は「障りなく」寄港許可、④台場の設置禁止、
⑤長州側からの発砲によって「焼失に及ぶべきの所焼かざるの故」その償金を出すべきこと
そのほかに軍の雑費を出すこと
となっている。⑤の償金の趣旨説明を見たら分かる通り、明らかに長州藩の砲撃の違法性を前提として
「当然下関を焼くべきところを焼かなかった対価として」償金を差し出すのであり、
戦費負担まで押しつけられている。これは明瞭な「賠償金」。しかも完全降伏に近い講和条件。
現にこの⑤を意識して、英国は幕府との交渉の際に「償金」が支払われるまでは下関を保障占領する、
と恫喝を加えている。長州側が苦し紛れに約定を交わしたのは明らか。
567:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:34:07.32 XQOsSCmc0
>>560
>維新団の公式呼称を見る限り、これはまったく守られていない。屠卒と記されて厳しく区別されている。
つまりこれは取り立てが条件としてあったわけでもなく、参加したものが一時的にでも身分が変わるわけでもなく。
彼らも身分が目当てではなかった事を示しているわけだが?
>だったら兵士のプライドの問題として身分上昇を求めてもちっともおかしくない。
>文久の達しの通り醜名除去や平民への身分引上げくらいの願い出はあって当然。
そもそも平民が部落より上だったか疑問なのだがな。部落は職人集団であり同時に特権階級でもある。
そしてなにより利権集団だ。武家の庇護のもと独占した活動ができる。
特に茶筅は牛馬解体などの「穢れ」た仕事ではなくて、ただの下っ端公務員なので、納税の義務がある農民らになりたかったか疑問であるな。
そして幕府の例は何度もいうように関係ない。部落の問題など藩ごとに違い。
またそいつはエタ頭で大富豪。例にするようなケースではない。
さらに当時の長州は郷土防衛の為に一致団結して盛り上がっている藩であり。
他藩とはそもそも空気が違う。
>>561
名前や身分偽ると犯罪者まで逃げ込む恐れがあるからだろ。
慶応に入ってからの言葉が残されているだけで、それ以前にまで徹底していたか疑問。
>>562
そもそも新撰組は金作が部落だとは知らなかっただけじゃないのかね。
富蔵の証言によると、金作は長州のものとも言っておらず、宮島のものと偽ったようだが。
568:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:34:53.69 ltSI0+H50
>そして幕府は下関の開港は利権独占が崩されるのでいやだった。
>兵庫の開港もいやだった。なので賠償金払うと約束したんだけど、
前述の通り、賠償金としての性格を規定したのは下関条約。
防長回天史にきちんと載ってる超有名史料だから長州オタなら見ておけよ。
>幕府は賠償金をさっぱり払えず、結局開港することになり。
幕府が9月に結んだ協定では
・長州藩処分は「大君政府の職務」であると規定して、事後の開港強要を制限している。
・償い金のうちには今まで長州藩がやってきた暴行の一切合切を含める=支払上限の決定
・しかし各国が金銭を要求する趣旨は「日本と交際を厚くせんがためなり」
=賠償金としての性格の払拭、幕府が自主的に支払う性格のものとする
・履行が続く限り開港強要の禁止=下関の自由港化は白紙撤回…ただし長州藩が勝手に開港した
これだけ大きく性格を変えている。
幕府は四半期ごとに50万両、計6回の支払を約束していたが、
第1回の支払は慶応元年7月に始まり、11月に第2回、慶応2年4月に第3回を支払っている。
幕府はわずか1年足らずで半額を返済している計算になる。ここまで延滞なし。
第4回の支払は長州戦争による多額の戦費出費に伴い明治2年に予定されていた。
明治政府の完済は明治7年だから、幕府よりはるかに遅いペースでの支払になる上、
アメリカは友好協力金的性格であることを考慮し、受領した上で78万ドルを返還している。
よって明治政府の実質負担は幕府が頑張ったことで極めて軽くなっている。
最初の長州案であれば賠償金だから、アメリカとしては返還によって長州の砲撃の違法性を否定することになり、
法理上の解釈がきわめて難しくなっていた。要は友好協力金なんだから、それが確認できれば返してもいいよね、
と言う判断が働いたのは間違いない。
569:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:45:10.62 XQOsSCmc0
>>563
というかそもそもエタは統治機構の最下層なんだよ。
それらが平民になったとて、偏見や恨みが消えるわけではない。
なら平民よりも庇護下であるエタのままのほうが良いと判断しただけだろう。
そして士分取立てを断ったのは、戦争に従軍してまで武士として戦うのが嫌になっただけかもしれんよ。
目的であった彼等が願った郷土の防衛は達成されたのだから。
>>566
伊藤は通訳として実際に会談に居合わせたもの。
そして嘘をつくような必要性も皆無。偽証の可能性はほぼないよ。
そして伊藤は別に高杉に厚遇されていたわけでもなく、むしろ身分が低い事で酷い扱いをされていた人間。
高杉を称える為に嘘までつく理由はない。
つまり提案があったけど一蹴したと見るのが妥当。
それらが受け入れられなかったので、サトウのほうには記されなかっただけ。
そして5は幕府が払うのならであり長州が払う義務はない。
下関の占領が幕府に言っているだけで、長州に行っているわけではなく。
そして言っていたとしても、伊藤の回顧談にあるように高杉が却下しただけと分かる。
実際に占領はできても、それを維持するのは不可能。
当時の長州は大砲を造る為に、村々から金属を自主的に持ち寄り大砲を作っており、
領民全てで支えているのであり、折れる事はありえないね。
570:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 20:47:15.33 ltSI0+H50
>>567
屠卒と記しているのは「軍監」であって維新団ではないよ。頭だいじょぶ?
>そもそも平民が部落より上だったか疑問なのだがな。
部落民の平民差別はなかったが、平民の部落民差別は横行していた。
身分「引上」と言う表現が使われていることに関してはどう説明する。
お前がどう強弁しようが、非常民は常民の下の序列に置かれていたことは間違いない。
先の報告書の体裁を見てみろ。
>そして幕府の例は何度もいうように関係ない。部落の問題など藩ごとに違い。
>またそいつはエタ頭で大富豪。例にするようなケースではない。
だから全国有数の大富豪であり、幕府機構の一員ですらあった弾左衛門ですら
「身分引上、手下の者の醜名除去」を求めているのはどう説明するんだよ。
彼らは天保年間の長州と異なり、平民にリンチを受けるような心配は全くない。
それでも弾左衛門は身分引上、醜名除去に懸命に拘って、そのために銃隊創設まで言上している。
政治的にも経済的にも何不自由ない人間が身分引上げを求めているとしたら、
その動機は「社会的不名誉の払拭」以外に考えられない。
571:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:00:45.08 ltSI0+H50
>名前や身分偽ると犯罪者まで逃げ込む恐れがあるからだろ。
>慶応に入ってからの言葉が残されているだけで、それ以前にまで徹底していたか疑問。
屠勇取立令に醜名除去が入っていた文久年間ですらそんなもの現実には実施されてない。
奇兵隊内では身分を示す袖印の着用が義務付けられ、姓の私的な使用は禁止。
これ全部文久年間の話だよ。先のお達しをどう説明する。
>そもそも新撰組は金作が部落だとは知らなかっただけじゃないのかね。
>富蔵の証言によると、金作は長州のものとも言っておらず、宮島のものと偽ったようだが。
金作証言では新撰組は身元を疑っているようだが、別段深く詮索せず放免している。
と言うことは被差別民であっても偽名を用いることで入隊が可能だったことの証左になる。
572:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:05:50.66 ltSI0+H50
少なくとも新撰組は袖印の着用を義務付けていたとはついぞ聞かないな。
それと富蔵も信用が置けないのは、8月にこの件を打ち明けたと金作は言ってるんだが、
彼その段階で何もアクション起こしてないでしょ。
首謀者どうしが罪を軽くしたいがために取調官に有利な証言をしあう中で、
自ずと証言の信ぴょう性は疑わしくなってくる。藩の取調と結果がきちんと対応する史料がないんだから
何度も繰り返すが、茶筅隊が藩に目を付けられた直接原因は、
近隣村落を説いて回って結成したこと、格別出精を前面に出していたことが、
藩中枢にとっては警戒の対象になったから。新撰組との関係なんぞ拷問の末出てきた後付け。
573:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:11:05.80 ltSI0+H50
>伊藤は通訳として実際に会談に居合わせたもの。
>そして嘘をつくような必要性も皆無。偽証の可能性はほぼないよ。
伊藤は通訳と言っても長州藩側の人間で、しかも高杉の講和の席にも挙兵の際に同調した数少ない人間。
高杉を称賛することは間接的に自分を賞揚することだから、嘘をつく必要性は充分にある
さらにサトウ日記と、数十年が経過した後の伊藤の後年の回顧談では史料価値が大きく違う。
サトウ日記の観察はおおむね正確であり、高杉の「最初は傲然とした様子」をきちんと描写しているし、
租借は戦勝国の当然の要求だからそれこそ隠す必要はない。
いま一部で言われているのは、予備交渉の段階では租借の話が出たかも知れないが、
本交渉では出なかったと言う説だね。サトウの長州藩に対する記述はおおむね冷静だよ。
それでなきゃサトウ日記があれほど史料として引用されたりしない。
574:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:12:43.52 ltSI0+H50
とりあえず、伊藤の回顧談には全く裏付け史料がないどころか、
全く相反する、より史料価値の高い陪席者の証言があるわけだ。
どっちを信用するか、少なくとも伊藤の回顧談を無条件に採用してもいいのかは
当然、史料批判で叩きこまれる所だと思うが、違うかね?
575:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/02 21:14:29.10 XQOsSCmc0
>>568
>前述の通り、賠償金としての性格を規定したのは下関条約。
上で答えているように長州に賠償金を支払う気はない。
長州に払えといっていたなら、戦争継続だろうな。
長州が認めた講和条件は、難破船の避難を認め。補給を許し。
その後攻撃を加えないというもので、賠償金などといったものも、租借も断固として拒否している。
>防長回天史にきちんと載ってる超有名史料だから長州オタなら見ておけよ。
そんな事実はだから存在しないよ。つか回天史や奇兵隊日誌だとかいっているけど。
実際にその史料は一切例示しない人だねお前は。
奇兵隊日記の何巻の何項に、部落というだけでリンチ処刑されたのかいい加減書いて欲しいものだが。
会津オタの捏造にはつきあえんのだよ。
>幕府は四半期ごとに50万両、計6回の支払を約束していたが、
300万ドルだよ。
>幕府はわずか1年足らずで半額を返済している計算になる。ここまで延滞なし。
そりゃそういう約束だからね。そしてその金は御用金と欧米からの借款でまかなわれた。
フランスに生糸の独占購入権を認め、(相場の半額)その代わりに100万ドルの借款をしたように。
借金の借り換えでしかない。御用金も長州征伐とあわせて1000万両をこえるほど徴収している。
支払い能力などなく。面子で行ってしまっただけで、開港すればよかったのにほんと馬鹿。
>よって明治政府の実質負担は幕府が頑張ったことで極めて軽くなっている。
明治政府が支払った、幕府から継承した対外債務は600万ドルだよ。
借り換えの自転車操業で借金が雪だるまなんだが。何を言っているんだ?
なお返済が長引いたのは、そもそも明治政府は支払いたくなかったから、
それの交渉をしていたから。岩倉使節団が帰るまで返答できないとかいって、のらりくらりとかわしている。
そして英国などは日本国内の移動の制限の撤廃の変わりに支払い免除などで交渉しており、
それで支払うかどうかが長引いたから。