11/10/23 11:46:29.09 a1jayhkv0
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日露戦争後に大本営が戦訓として導き出したのは、「敵に勝つのならば敵よりも多い兵力・火力を
ぶつけること」というしごく当然のもので、日露戦争に参戦した指揮官たちはそれを良く承知していた。
けれども、国力の関係でどうしても敵と同等の兵力・火力で布陣するしかない場合も多々あって、
そうなった場合に前線指揮官が突撃をためらったり、積極的な指揮を執らなかったために
均衡が崩れて敗走した部隊が出たことを過度に気にして、「戦闘の勝敗を決定づけるのは
兵の士気の高さだ」という精神論を高く掲げることを選択してしまった。
そうした「ホンネ」と「タテマエ」の戦訓が並立していて、その実態が記憶に留められている
ウチは良かったんだけど、いつしか威勢の良い言動を良しとする軍人特有の空気感が支配的に
なっていくにつれて、「タテマエ」の方が強く残ってしまったのが、昭和に入ってからの陸軍が
暴走したあげくに非合理的な戦場での兵員配置を録り続けた理由でもあったんだろうね。