11/10/22 13:59:29.45 kgR0QJ9y0
>>345
幕長戦争は前述の通り、幕府の予定になかった戦争。
諸藩は幕命により参加したものの戦意はほとんどなかった。
(そもそも薩摩、佐賀、宇和島、さらには会津藩ですら藩内の反対もあり参加していない)
その結果、小倉口は小倉藩が事実上孤軍となって戦うしかなくなり、
熊本藩の解兵が報じられると慶喜は簡単に陣頭指揮を諦め勅命による停戦を求めている。
つまり幕府側としては長州戦争は交渉がこじれて軍を進発せざるを得なくなった戦争でしかなく、
収まりがつけばどうでもよかった。勝つも負けるも止めるも、その主導権は終始幕府にあった。
実際、長州戦争後に慶喜は薩摩藩との融和に努め、幕薩間の関係は一時的に融和となっている。
こんなこと、ちょっと長州戦争の経緯を調べれば大体書いてあるのに、
幕軍の士気を過大に高く見積もり「数十万の大軍を押し返した」などと言ってる時点で、
太平記と大して変わらんことを言ってるね君は。