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ちなみに家近良樹は第2次幕長戦争において
「長州の勝因」より「幕軍の敗因」を重視して「負けるべくして負けた戦争」と言うが、
そこで挙げられている長州側の勝因は
・装備の充実
・宍戸備前の捕縛拘束による反幕感情の刺激
・「最も重要なのは下関を経由して大坂に回送される物資、特にコメを当地で差し押さえたこと」
なんだな。この3番目が非常に大きかったと思われる。
また熊本藩が小倉口の長州藩兵と互角に戦い、天狗党には負けた幕府歩兵も善戦していることを考えても、
熊本・久留米の解兵、薩摩藩(萩口)、宇和島藩、佐賀藩など有力諸藩の不参加や、諸藩の指揮不統一が大きかった。
薩長同盟も第1条で薩摩藩兵2000の上洛、1000の上坂を定めており、
長州藩が負ける要素はまずなかったと言える。
その証拠に第3条は
「万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付」
と強い自信を示している。