11/09/21 03:28:40.45 co+Uh1VM0
>258
>>この場合は軍事力というよりも、「長州征伐」という軍事行動
>既にライフルを装備し高い士気と優れた戦術要していた長州軍と
>旧式装備で戦術も稚拙、士気も低いと軍事力に如実に差があります。
装備していた銃器の質に関しては、前々年の禁門の変、前年の第一次長州征伐時には
長州側も装備していなかったわけで、この短期間でこれだけの軍備を調え得た
長州側の方が異常だったと言うべきでしょう。
士気の低さに関しても、やはりその原因はもっぱら政治的拙劣さに由来すると言うべきです。
現に幕府歩兵は長州に匹敵するだけの装備を持っていました。
『長州戦争―幕府瓦解への岐路』
『幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団』
総じて、第二次征長戦争における幕府の敗北に関しては、軍事的側面よりも
政治的拙劣さに多く拠っているように思います。
>欧州では戦争により行政や財政の効率化がおこり、植民地貿易により富を獲得し、それを
>投資し産業革命が起こります。幕府の鎖国政策はどちらもの芽も摘んでしまい
欧州で起こった産業革命は、それこそ人類史におけるある種の奇跡と言っても過言ではないでしょう。
幕府がその政策を変えていたとしても自然発生的に自国内で産業革命が起こった訳はないし、
うかつに国を開いて技術を取り入れようとした場合には、西欧列強につけいる隙をあたえてしまい、
植民地化される恐れとても充分にあったと思います。
攘夷意識という対外的な強烈なアレルギー反応が起こったからこそ、そうした危機を回避する
エネルギーが供給されたと考えることも可能でしょう。
不平等なモノとはいえ、穏便な形で条約を取り結ぶことが出来たのも、冷静な対外認識と
危機意識とが幕府を動かしたからだと思います。
少なくとも、長州や薩摩があの時点で政権を取っていたら、無謀な攘夷戦争を仕掛けて
清におけるアヘン戦争後の半植民地化を強いるような条約を結ばされていたと思います。