11/09/21 02:56:29.68 co+Uh1VM0
>257
>江戸の男女比は7;3から、8;2さらの女の数割は女郎とかだったりするので、
>実際の既婚はさらに減ります。
それは前期から中期までの話。
徐々に定住層が拡大していくことで、幕末までには男女比はおおよそ10:9くらいの
割合になっていきます。
社会実情データ図録 「江戸・大阪の町人人口と性比(江戸時代)」
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)
「ところが、こうした状態は江戸時代を通じて変化した。
江戸時代末期の江戸では、ほぼ性比は100、大阪でも100に近づいている。
すなわち男女のバランスはとれていったと考えられる。
江戸については、奉公人人口比率が江戸時代末にかけて大きく低下し、
奉公人が雑業者層に代替されたからである。
大阪においては商家を中心に奉公人が多かったが、女子奉公人、
都市内婚姻の増加が想定される
(斎藤修「江戸と大阪―近代日本の都市起源」、図録7855参照)。」
東京都の統計
URLリンク(www.toukei.metro.tokyo.jp)
付録 *「江戸の人口について」*
URLリンク(www.toukei.metro.tokyo.jp)
「この記録された町人人口の推移をみると、享保年間から幕末まで、総数は大きく変動し
ていないが、女子の割合は次第に増え、幕末には男子とほぼ同数に達した。これは、江戸
へ移住した者が一家を成し、郷里から母や妻を呼びよせたり、妻帯したりする場合が多く
なったこと等が一因と考えられている。」
歴史的に見た日本の人口と家族
URLリンク(www.sangiin.go.jp)
「上記人口を見て気づくのは江戸中期における男女比の異常である。享保6年の男女比は
男100 に対し女55 であり、当時の江戸が異常な「男性過多」社会であったことがわかる。
天保14 年は89 となっており、男女比は均衡しつつあるが、いずれにせよ男性の流入民に
より人口が増大してきた江戸の性格がここに示されていると言えよう。」