11/09/20 15:24:52.07 rpzM6Zow0
>>263
幕府歩兵隊は1864年からエンフィールド銃を装備してる筈。
まぁ何部隊出征したのかは知らんけど。
>>250
大体の流れを把握することと、それの金額まで把握して課税する手法は全くの別物だぞ。
寡占体制を容認し、大体の流れを自主的に決めさせて、代わりに運上金や冥加金を徴収するのが株仲間制度。
この株仲間の制度が、時代によって容認されたり奨励されたりはたまた中止されたりを繰り返したのは、
寡占体制の弊害や儒教思想と商人からの税の徴収を天秤に掛けた結果だよ。
あと、生産者と流通者、販売者にそれぞれ税を課しても二重課税にならないやり方は幾らでもある。
今でもそれぞれから所得税や法人税を取ってるが、二重課税じゃないでしょ。
これは別に幕府や諸藩の怠慢でもなんでもなく、こういう手法が江戸時代には技術的に不可能だっただけ。
それと倹約令には、緊縮財政以外にも物価の安定って目的があったよ。
財政問題だけなら、庶民にも倹約を強制する必要が無いでしょ?
それに改鋳益のことは勿論知ってるがね、財政的には単なる対処療法だから。
その「官府の印理論」は計数銀貨の事を指してるんだろうが、明和南鐐二朱銀だって
すんなり市場に受け入れられた訳じゃないぞ。
明和五匁銀の失敗や、文政の改鋳での混乱の果てに受け入れられたもので、
またそれについても良い事ばかりではなく、銀目取引における銀札の横行や銀相場の高騰を引き起こしてる。
ちなみに計数銀貨が普及した後も、金銀銭相場は変動相場のままだったりする。
つまりそれらの改鋳は現代で言うインフレ政策で、江戸時代が大体においてデフレ傾向で推移してたから
財源抽出策として行われても経済的には何とかなってたものであり、無限の金策を約束するものではない。