11/09/19 02:19:17.75 r/0+aDma0
>241
>コテをつけてくれたらわかりやすいのだけれども。
こんなに話が長くなるとは思わなかったのから、面倒だったんで
コテを付けなかったんですよね。
今から思えば付けていた方が分かりやすかったですね。
>>幕府歩兵の人数はそこまで多くはなかったと思いますが。
>長州軍は2、3千人。幕府軍は1万。だったはず。
私の記憶では幕府歩兵は五千人くらいだったかと思いましたが。
まぁ、それでも確かに長州側よりは多いですけれども。
>それが出来ていないからこそ幕府の軍事力への評価は低くなるわけで。
この場合は軍事力というよりも、「長州征伐」という軍事行動だったが故に
諸藩の足並みが揃わなかったという側面もあるわけで。
「外国人を打ち払え」という攘夷気分自体はどの藩にも多かれ少なかれ共有されていたので、
実際に攘夷戦争を行った長州藩に対して、「困った問題を起こしてくれた」と頭を抱えつつ
内心では「よくやった、あっぱれ」と感じている士民は相当にいましたから。
また、一度は謝罪恭順した(第一次長州征伐)長州に対して、あまりハッキリとした
理由もなく再度の軍事侵攻を決定した幕府の方針に対しては、諸藩は不信感を持っていた
という状況ですから、政治的にはかなりまずい選択でしょう。
>当事者の認識では逆に薩長側が一か八かで、慶喜側は兵力的にも政治的にも有利な
>状態で開戦したわけですよ。
ならばなおのこと、そんな一か八かの勝負を仕掛けてきている相手の誘いに
乗る必要はまったくないですよね。
兵力的には優位でも、一つ間違えて躓いてしまえば全てを失ってしまう賭なんですから。
相手の一か八かの誘いに乗るということが、そもそも政治的には愚策です。
>結局幕府は寛政年間以来、効果的な軍事改革に失敗し続け討幕に至るわけですから、
>幕府に対する評価としては軍事的に脆弱というこになると思います。
欧米列強に比して脆弱だったという意見には同意致しますけれども、
私はそうした幕府の軍事的な弱体化は、幕府によって国内にもたらされた平和と安寧の
恩恵との価値を、天秤で量ってみるべきモノだと思います。
私は二百年に及ぶ戦乱のない時代の現出の方の価値を重くみます。