11/09/18 22:13:06.91 C+U7oCKV0
>227
>数十万から一説には100万にも達する規模といわれてますね。
記録に残っているそれ以前の飢饉の時の総人口を考えてみて下さい。
鎌倉以前であれば1000万人を切るくらいです。
飢饉が起こったにしても母集団が少ないがために数が少なくて済んだのであって、
総人口に比したパーセンテージで見れば江戸時代と良い勝負だと思います。
もともとから抱えていた人口が養いうる限界に近かったがために
天候不順が一度起これば飢饉の被害が大きなものになってしまうのであって、
抱えていた人口が少なかった時代と直接に比較するのは公平ではないです。
>どうやって江戸滞在費や参勤交代費用を捻出するのですか?
年貢の中からですよ。当然でしょう。
江戸時代には大名や旗本が勝手不如意だからといって気軽に税負担を重くするような
ことは許されておりませんでした。
江戸時代初期には、大名の経済状態は年貢収入だけでも結構裕福な状態で、
それだからこそ参勤交代のコストも払い得ていたのですが、貨幣経済が発達し
参勤交代や江戸在府にかかるコストが上昇して行くにつれてその余裕は失われ、
かつ年貢収入の増加もそれほどではなかったがために徐々に経済状態は悪化し、
出入りの商人に頭を下げて金を借りたり、大名行列の人数を外注したりするような
ハメに陥りました。
>ちなみに参勤交代とか無駄ですよね?これなんの得にもなってない。
経済というのは膨大な浪費が元になって貨幣が潤滑に流通することによって活性化します。
各地に割拠する領主が年貢を年々貯め込んで民間に廻すことをせず、あまつさえ軍事力を
養って他国に攻め込もうなどと考えはじめるとろくなことにはなりません。
参勤交代はそうした地方の領主の力を適度にそぎ、民衆から吸い上げた年貢を再度民間に
流すための回路として機能していたという側面があり、全くの無駄とは言い切れません。