11/09/18 21:09:01.85 C+U7oCKV0
>224
>日本全部でみると人口が停滞していたのが江戸中期以降です。
その当時の日本で養いうる人口の上限がそのあたりだったということでしょう。
>そして明治になると数十年で人口は倍増します。
明治になって人口が極端に増えていったのは、医療の発達と戦端的な技術の導入が
速やかに行われていった結果だと考えておりますが、あの当時の西欧列強の
植民地化政策を免れ得たのは徳川幕府の統治が盤石であったことに
その原因を求められると思います。
欧米から与えられる技術に魅せられてその侵入を容易に許した国々が、
さんざんな目に遭ってきたのは近代のアジア史を調べてみれば容易に先例が
見つかりますし、幕末の過程においても薩英戦争や戊辰戦争の過程で日本人が
相応の軍事力を持っていることを諸外国認識させたからこそ列強につけいる隙を
与えなかったのです。
そういう環境を形作り、調えてきた幕府の施策に対して、私は評価すべき事柄は
多々あると感じております。
>日本が列強から、辺境の小国になってしまった
現在の日本も戦前の列強の一角から憲法で軍事力を縛られた小国に成り下がりましたが、
60年間の平和を守って経済的な大国にのし上がりました。
豊臣秀吉が行った朝鮮出兵に象徴されるように、対外的な武力行使は失敗したときに
かなり大きな痛手を負うことになります。
日本は、戦国期には世界に存在する銃の総数のウチ、かなりの割合を自国で持つに
いたる強大な国家でしたが、あえて外国に侵攻するような武力を封印して、
「元和偃武」を成し遂げたました。
江戸期の日本も当時の世界の中で100万の人口を持つ大都市「江戸」を抱え、
三千万という人口を安定して抱える地域大国では有り続けました。
これは当時のヨーロッパのどの国よりも大きな人口ですし、同時期のヨーロッパで
100万もの人口を抱える都市は数えるほどです。
こういう実績にもきちんと目を向けるべきなのではないでしょうか。