11/09/18 04:54:05.90 C+U7oCKV0
>194
>幕府が軍事的に弱かったからこそ、米国の要求を飲まざる得なかったし
当時の米国の要求を蹴るぐらいの軍事力っつったら、国民全員が餓死しても
賄いきれないぐらいの金が必要になっていたと思うけど。
「小さな政府」を目指して行政や軍事をスリム化し、行政コストを民間の自治を
活用することで外注化していたような統治機構なので、そもそも「強大な国家」を
優先していなかったのだから仕方がないことだったとも思う。
むしろ、何千キロも離れた国から海を越えて軍事力を搭載した外国が
攻めてくるような事態を想定していなかったから。
実際、巨大な蒸気軍艦が造られはじめたのはペリー来航のほんのちょっと前だし、
そもそもそんな軍事力を持っている国自体がそう沢山は無かった。
アヘン戦争で英国がそうした力を持っていることを認識したのが
このほんの十数年前。
幕府の対外認識が甘かったという批判自体には私も同意するけれども、
じゃあ認識できたとしてそれに有効な手立てを打つことが出来たかどうかに関しては
個人的にはあんまり幕府を批判は出来ないような気がしてる。
>長州征討にも敗北し、鳥羽伏見にも敗北したわけだから
>これこそが最も重要だろう。
このどちらの軍事行動も、軍事の前にまず政治で敗北してたと言っても良いからなぁ。
「徳川と薩長の私戦だ」と見なされて諸藩は協力的ではなかったし、大義名分も
あまり無かったからそもそも勝ち目の少ない状態に入ってからの軍事行動だった。
長州征伐にしても、ホンの二年前の「蛤御門の変」の時には打ち破っているし、
その後の馬関戦争で四カ国連合軍にコテンパンにやられているから、
まさか外国と手を結んで武器の輸入をしているとは思っていなかった、
と考えるのも無理はなかったかなぁ、と。