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【語り継ぐ戦争 2011夏 北海道】
(4)「語り部2世」
■残虐行為 証言の代役
■「平和へ事実と向き合う」
「縛られた中国農民の心臓めがけ、銃剣をグサッと突きました。血が噴き出し、私をにらんでいた
若者の首がガクンと垂れました。私は初めて人を殺し、鬼になり下がったのです」
日中戦争下での旧日本軍による「虐殺証言」に、息をのんで静まり返る子どもたち。じっと目をつむり、
耐えるように聴き入るお年寄りもいる。
「札幌郷土を掘る会」代表の元教員、小松豊さん(64)はこの夏も、いくつかの小さな平和集会に呼ばれ、
「証言」を語っている。それは空知の炭鉱街生まれの元日本兵、故・熊谷清さんの戦争体験の一部だ。
小松さんが「語り部2世」として、熊谷さんの戦争体験を伝えるようになって5年目。無料でどこへでも
出かける「出前・語り部2世」運動と呼んでいる。
抗日ゲリラに苦戦した日本軍は、中国共産党の八路軍勢力下と見られる村の農民を殺し、食料を奪い、
家々に火を放つなどの蛮行を繰り返した。
「三光作戦」と呼ばれたこうした戦闘に参加した熊谷さんに、小松さんが出会ったのは1988年6月。
札幌市内での集会だった。
当時、札幌市立平岸中の社会科教諭だった小松さんは授業で戦争を教えるにあたり、教科書には
日本の被害体験ばかりが強調されていることに不安を感じていた。「加害の事実と向き合わずに、
本当に平和を築けるだろうか」
「熊谷さんの体験談を聴いて、事実の重みと自らの罪を告白する勇気と誠実さに体が震える思いだった」
その後、学校の特別授業に熊谷さんを招き、集会への送迎車の運転手を務めるうちに、熊谷さんとの
絆を深めていった。
(本田雅和)
《三光作戦》 15年にわたる日中戦争で、1940年ごろから敗戦まで、旧日本軍が華北地方を中心に
展開した抗日勢力の掃討・根絶作戦。「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」という残虐行為の実態から
中国側が名付けた。こうした行為により、日本兵は「東洋鬼(トンヤングイ)」「日本鬼子(リーベングイズ)」
などと呼ばれた。
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