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よくでる木戸日記について
極東国際軍事裁判で、昭和天皇の戦争責任などに関して、
自らの日記(『木戸日記』)などを証拠として提示した。
日本語で372枚にも及ぶ宣誓供述書で「隠すところなく、恐るるところなく」
いかに自分が軍国主義者と戦い、政治的には非力であったかを述べ、
当時の政府や軍部の内情を暴露して天皇免訴に動いた。
しかし、結果的には連合国との開戦に対して明確に反対しなかったことから、
イギリス代表検事であるアーサー・S・コミンズ・カーからは、
「“天皇の秘書”であるなら、親英米派であった天皇の意向に沿って行動するのが道徳であろう」
として、「不忠の人間」であると強く批判された。
また、『木戸日記』は軍人の被告らに対しては不利に働くことが多かったため、
武藤章や佐藤賢了は、巣鴨拘置所と法廷を往復するバスの中で、幸一のことを指差しながら
同乗の笹川良一に向かって
「笹川君!こんな嘘吐き野郎はいないよ。我々軍人が悪く言われる事は、別に腹は立たんが、
『戦時中、国民の戦意を破砕する事に努力してきました』とは、なんという事をいう奴だ。
この大馬鹿野郎が」と吐き捨て、それを聞いていた橋本欣五郎も
「本来ならこんな奴は締め上げてくれるんだが、今はそれもできんでね」と罵り、
木戸も、顔を真っ赤にして俯きながら手持ちの新聞紙で顔を覆い隠したという。
その木戸も終身禁固刑の判決を受け服役する。
なお、幸一に対する判事団のジャッジは、荒木貞夫・大島浩・嶋田繁太郎と並んで11人中5人が死刑賛成、
といったわずか1票差で死刑を免れたという結果だった。