11/09/27 00:55:59.10 Yx/o7GMF0
>>632
その程度の前提は踏まえているので心配無用だよ。美濃部の機関説が一時期は
憲法学の通説としてそれなりの影響力があったことももちろん分かっている。
面白いのは美濃部と上杉との論争で学問的には美濃部に軍配があがった一方で、
昭和天皇が皇太子時代から法学の進講係をしていた行政法と憲法学専門の清水澄も
実務分野では大きな影響力を持っていたこと。そうした事実を君は知らないのかな?
清水は天皇主権説の穂積の弟子に当たるが、彼は国家法人説と天皇主権説を折衷させ、
行政官や宮内筋に対しては絶大な信頼感を持っていた。機関説排斥運動で美濃部が失脚してからは
日本の法学分野は清水の独壇場となったが、それは敗戦で帝国憲法が廃されるまで続いた。