11/09/25 07:46:18.03 +KX+MuOT0
>>612
> 憲法には規定がないので、内閣の権力は弱いと思われがちだが
いやいや、そんな風に思ってるのは日本の憲政史を分かってない人だけだと思うよ。
大日本帝国憲法を制定するに際して、君主の権限が限定されていたベルギー憲法や
内閣が議会に責任を負う英国の議院内閣制の採用を見送り、内閣は国王に責任を負う
プロイセン型の憲法を採用したのは中学生くらいで学ぶ話。君は中学のときに歴史を
ちゃんと履修してなかったのか?
> 天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である
拒否権じゃなくて「決定権」だよ。帝国憲法を良く読んでごらん。それから、元老というのは
帝国憲法では憲法外の慣習制度で、天皇が政務をする助けをする役割を担っていたが、
元老の賛同を得られなければ天皇が君主大権を行使できなかったということにはなってなかった。
元老はあくまでもアドバイザー。だから西園寺が死去してからは元老制度は維持されなかった。
その後は宮内府を軸とした重臣会議が重要な役割を演じた。内大臣も元老ほど影響力はなかったが、
電脳をサポートする役割を担っていたために、組閣には大きな影響を与えた。
それから鈴木貫太郎が辞職したのは憲法違反だったからというより、自分の不徳を恥じたという
表向きの理由だけではなく終戦を導く仕事を終えたから。確かに慣例上、御前会議で聖断を仰ぐ
というのは異例のことだったが違憲性のある行為だったということではない。