昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?at HISTORY2
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? - 暇つぶし2ch595:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 09:11:49.51 ixCLY7WL0
>>594
どうかな。宇垣を推挙したのは西園寺だったから、昭和天皇が拒否した(或いは否定的だった)
という方が「たられば」だよ。僕が書いた>>590の内容は事実しか書いてない。
昭和天皇は組閣が失敗したときに、宇垣に同情的だったとする原田日記の記述もあるからね。



596:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 18:35:46.58 6i2+WhuT0
しかし確かに湯浅が断ったって話になってるけど
大命降下した首相候補の要請を内大臣の一存で拒否できるもんかね?

597:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 18:55:36.49 mkaSlQjD0
その同情的だったという記述じたい疑わしいんだよな。
天皇本人が嫌悪感をむき出しにしているんだから

598:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 19:00:21.76 mkaSlQjD0
おそらく昭和天皇が宇垣を忌避している事実は陸軍に伝わってるね。
組閣前後は天皇もさすがに宇垣忌避の言動を控えたのだろうが

今でも人事で露骨に拒否はしなくても、周囲の人望を理由にご破算に持っていくパタンはある
少なくとも天皇が積極的に支持しなかったのは間違いない、それだけで致命的だよ

599:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/22 19:48:50.09 ixCLY7WL0
>>596
湯浅に限らず、当時の宮内関係者は政治の動向に天皇に累が及ばない様に
ガードする傾向が強かったんだけどね。


600:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/23 02:45:06.69 HKjC8eIyO
>>599
となると、開戦の責任は天皇にはないわな


601:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/23 04:36:04.76 RCJXEy460
>>601
組織犯罪(暴力団)なんかで天皇的な言動をしたらまず間違いなく共謀共同正犯
当然あります。

602:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/23 12:43:45.19 XAbhjknu0
現在のように、天皇が政治に関与しないのなら責任はないけど
御前会議を開いて、その結果、天皇が開戦を決断してるわけだから責任は
あるよ。

603:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 02:26:48.63 LqW67UT9O
この戦争に勝ってたら、責任はないわけだから、敗戦の責任は、軍部にあるわけだから、やはりないのでは
イギリスがシンガポール陥落しても、王室をせめないだろ
当時の日本よりイギリスの方が積極的だったし

604:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 08:46:08.31 j6U145Fx0
大平洋戦争時の天皇と英国王室は、その役割が全く違っていたから
英国王室を例に引いて天皇の戦争責任を語ってもあまり意味はないね。
英国王室は「君臨すれど統治せず」大日本帝国天皇は「君臨し統治もする」だったから。
それに加えて、外地の植民地の動向ではなく、当時の日本は本土が陥落されている。


605:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 17:57:53.18 Ar9Ybur00
天皇が独裁者だったらそもそも戦争してないだろ。
天皇主権は建前だし、実際は民主主義だったから。
戦争を判断決断した大臣や軍部も国民。

606:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 18:14:12.26 73R2ds/20
>天皇が独裁者だったらそもそも戦争してないだろ
独裁者は極論。天皇を含めた首脳陣は責任はある。

>天皇主権は建前だし、実際は民主主義だったから。
独裁ではなくともすべての政治最高権限は天皇にある。憲法に定期されている。
一方国民は臣民。民主主義というなら北朝鮮も民主主義国家ですね。

>戦争を判断決断した大臣や軍部も国民。
国民は幼年から教育によって、天皇に忠誠を誓うように洗脳されている。
朝鮮学校を非難できないような内容。


607:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 19:32:56.61 u0KukLwK0
戦前の憲法も、天皇に政治決定の権限など存在しない。
天皇が勝手に政治を動かせたら、大日本帝国憲法に違反する。
天皇は憲法の規定に拘束されてるし、議会もあり政権交代もあった。
忠誠を誓うなどと、アメリカは現在でも普通に神だの忠誠だの言ってるわね。
戦前が民主主義でないというなら、イギリスもアメリカも民主主義でない。
北朝鮮はそもそも共産独裁体制でまったく違うわね。

608:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 20:07:40.42 73R2ds/20
>戦前の憲法も、天皇に政治決定の権限など存在しない。
>天皇が勝手に政治を動かせたら、大日本帝国憲法に違反する。
政治的決定は天皇がしている。憲法も違反していない。
>忠誠を誓うなどと、アメリカは現在でも普通に神だの忠誠だの言ってるわね。
>戦前が民主主義でないというなら、イギリスもアメリカも民主主義でない。
>北朝鮮はそもそも共産独裁体制でまったく違うわね。
すり替えと極論、お前の方式使えばりんごでもみかんと言える。



609:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 20:39:43.49 sKuLxhzu0
明治憲法には、国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要スと
規定があり、輔弼する国務大臣の副署がない場合は無効とされる。
戦前から議会があり、政党があり、選挙があり、経済は資本主義で人々は自由に商売を行い、投資行為を行っていた。

さらに大東亜戦争終結まで一種の国家非常事態にあり、その状況の中で国民の権利が制限されたりしたのはある意味至極当然。
アメリカでも戦時中は日系アメリカ人が全員財産を剥奪されて強制収容所に入れられてる。
戦前と北朝鮮の独裁体制を同じにする方が愚かしいすり替えですな。

610:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 21:06:35.94 sKuLxhzu0
>>588
アメリカは自国はブロック経済で守るが、アジアは門戸開放されてるべきと言う自己中論。
ブロック経済で成り立ち鎖国してた日本を、鯨の為に武力で脅し開国させ不平等条約を結ばせた。
以後、日本は発展に従い貿易通商が日本の生命線になった。
日露戦争でようやく不平等条約を改正して一流国の上ったら。
満州利権に嫉妬し、門戸開放を名目に干渉。
散々日本が妥協してワシントン条約が結ばれ、アメリカの言い出しで海軍の軍縮も結んだのに、日系移民を排外するわ、自国はブロック経済で日本の通商を締め出すわ、日本を自給自足のブロック経済構築、満州事変大東亜共栄圏に追い込んだ。
そのくせ自分の都合で艦隊軍縮を破り建設するわ、アジアのブロック経済を好まないとして、戦争に追い込むわで。


611:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 21:30:24.93 73R2ds/20
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リテ之ヲ行フ

と規定されており国民は臣民とされ、天皇主権が明文されてる。
規定があり、輔弼する国務大臣の副署がない場合は無効とされるつまり
天皇が署名しないと無効であり、現在のように天皇が政治に関与しないという
わけでなく御前会議をして納得の上で天皇が承認している。
開戦も終戦も同様に天皇が決めている。

612:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 22:54:35.51 Zv2CA0MY0
憲法には規定がないので、内閣の権力は弱いと思われがちだが、政策の実質的な決定権は内閣にあった
天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である
その発動には、元老の賛成や内大臣の輔弼責任が伴うが、昭和天皇はそれを発動することはなかった
もし拒否権が行使されたら、内閣総辞職になり、新しい内閣で政策のやり直しが行われることになる
閣議は、全会一致でなければならないが、開戦の決定の場合は、全会一致で決まったので問題なかった
終戦の場合は、陸相が反対で閣内不一致のため、そのままでは総辞職にならざるを得なかった(現行憲法のような、首相に大臣に対する罷免権がなかった)
仮に新しい内閣ができても、新しい陸相はまた反対して同じことになる
あるいは、陸相は陸軍が決めるため、陸軍が推薦拒否に出て、新首相は組閣失敗で大命辞退に追い込まれてしまう
そのため天皇の聖断に頼るしかなかった
しかし、これは明らかに首相の輔弼責任の放棄であり、憲法違反であったので、ポツダム宣言受諾後、鈴木首相は責任を取って辞表を提出したのである
ちなみに御前会議も、内閣が軍の同意を得て開催するのだが、最後の御前会議は、軍の同意を得られそうになかったので、内大臣の同意を得て特別に天皇による緊急召集という形で抜き打ちに開催された


613:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/24 23:37:55.51 73R2ds/20
「ポツダム宣言の条件中には日本天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざるこ
との了解の下に日本政府は之を受諾す」

ポツダム宣言を受諾するか否かは天皇の地位だけの問題にして反対意見がでてるだけ
天皇に決めてもらうのは至極順当。

614:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 00:40:50.52 HMbSyEXN0
>>612
ではなぜ陸軍でもない松岡を辞めさせるために第2次近衛内閣が総辞職したんだよ
もういい加減見苦しい弁解はやめろって。

615:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 00:44:10.87 HMbSyEXN0
>>603
何を言ってるんだよ。英王室こそ君臨すれど統治せずの議会主権が確立してるだろ
軍の統帥事項は大元帥陛下に全ての権限が集約されて人事から作戦から容喙してる日本と
イギリスを比べてどうすんだ。
こういうアホレスが挟まると議論が全部振出しに戻るんだよな…

616:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 01:12:30.95 rCjtGb/x0
イギリスには憲法自体がないよwww

617:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 02:04:05.74 Zokgf2ZgO
イギリスは憲法ないよね
フォークランド戦争の時も、サッチャーは、イギリスは女王陛下の臣民はをひとりたりとも見捨てたりはしない、と開戦してるしな

618:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 05:16:53.63 5si4COsg0
>>616
何の話をしてるの。イギリスの17世紀~18世紀の議会主権の成立を習わなかった?
不文憲法と成文憲法も習わなかった?

619:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 07:46:18.03 +KX+MuOT0
>>612
> 憲法には規定がないので、内閣の権力は弱いと思われがちだが
いやいや、そんな風に思ってるのは日本の憲政史を分かってない人だけだと思うよ。
大日本帝国憲法を制定するに際して、君主の権限が限定されていたベルギー憲法や
内閣が議会に責任を負う英国の議院内閣制の採用を見送り、内閣は国王に責任を負う
プロイセン型の憲法を採用したのは中学生くらいで学ぶ話。君は中学のときに歴史を
ちゃんと履修してなかったのか?

> 天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である
拒否権じゃなくて「決定権」だよ。帝国憲法を良く読んでごらん。それから、元老というのは
帝国憲法では憲法外の慣習制度で、天皇が政務をする助けをする役割を担っていたが、
元老の賛同を得られなければ天皇が君主大権を行使できなかったということにはなってなかった。
元老はあくまでもアドバイザー。だから西園寺が死去してからは元老制度は維持されなかった。
その後は宮内府を軸とした重臣会議が重要な役割を演じた。内大臣も元老ほど影響力はなかったが、
電脳をサポートする役割を担っていたために、組閣には大きな影響を与えた。

それから鈴木貫太郎が辞職したのは憲法違反だったからというより、自分の不徳を恥じたという
表向きの理由だけではなく終戦を導く仕事を終えたから。確かに慣例上、御前会議で聖断を仰ぐ
というのは異例のことだったが違憲性のある行為だったということではない。


620:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/25 10:57:41.16 h2N17Kb90
最近のネトウヨは非国民だな。

国体明徴声明を見よ。これが戦前の政府の公式見解だ。これ以前は天皇機関説が機能して
いたかもしれないが、1935年8月3日以降は天皇にも責任がある。

恭しく惟るに、我が国体は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、
万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法発布の御上諭に
国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なりと宣ひ、憲法第一条には、
大日本帝国は万世一系の天皇之を統治すと明示し給ふ。即ち大日本帝国統治の大権は厳として
天皇に存すること明かなり。もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の
機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり。
近時憲法学説を繞り国体の本義に関連して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。
政府はいよいよ国体の明徴に力を効し、その精華を発揚せんことを期す。
乃千茲に意の在る所を述べて広く各方面の協力を希望す。

暴に政府は国体の本義に間し所信を披涯し以って国民の響ふ所を明にしいよいよその精華を
発揚せんことを期したり。抑々我が国体における統治権の主体が天皇にましますことは
我が国体の本義にして帝国臣民の絶対不動の信念なり。帝国憲法の上諭並条章の精神亦姦に
存するものと拝察す。しかるに漫りに外国の事例学説を援いて我が国体に擬し、
統治権の主体は天皇にましまずして国家なりとし、天皇は国家の機関なりとなすが如き
所謂天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖り、その本義を愆るの甚しきものにして厳に之を
芟除せざるべからず。政教其他百般の事項総て万邦無比なる我が国体の本義を基とし、
その真髄を顕揚するを要す。政府は右の信念に基き姦に重ねて意あるところを間明し、
以って国体観念いよいよ明徴ならしめ、英美蹟を収むる為全幅のカを効さんことを期す。

621:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 00:47:31.33 MWnIGrkN0
>>614

そこに書いているように、首相には大臣に対する罷免権がないから、辞表の提出を拒む大臣を辞めさせるには総辞職しかないのは当たり前である
そうしなくても、閣内不一致で総辞職にならざるをえない

>>610

憲法を読んだだけでは、戦前の体制はわからないんだよ
内閣の力が弱いというのは、そこに書いているように天皇の権力との関係で言っている
すべての政策の決定権は内閣にあり、天皇はそれに対する承認権(YESかNOか)があるだけであるということだ(もちろん内奏段階での関与はあるが、政策を決定するのはあくまで内閣である)
すべての法令は、天皇の御名御璽のあとに、総理大臣及びその他の大臣の副署が入れられて初めて効力を持つ
The king can do no wrongというのは、君主が政治的なの間違いを犯すことができないというシステムが作られているということであり、日本の場合もそうである
それが副署システムである、副署は政策の決定者が御名御璽のあとに最後にすることでその輔弼責任を明らかにすることでもある
人事の辞令の官記の副署も同じである、それの決定に責任のある人物が副署をする
総理大臣の官記の副署は、内大臣がする(新総理の選定は、天皇による内大臣のへの諮問で始まり、元老がいるときは、内大臣と元老の話し合いで決め、元老がいなくなったときは、内大臣主催の重臣会議で決め、それを内大臣が天皇に推挙した)
推挙された人物に、組閣の大命降下がなされ、その人物は現在と同じように組閣本部を立ち上げて組閣し、組閣名簿を天皇に提出する
したがって、その他の大臣の官記の副署は、それを決定したことでその任命の輔弼責任を負う総理大臣がする

なお日本の憲法体制は、大正末期から昭和初期には、責任内閣制に近いところまで行っていた
例えば、昭和6年に、幣原首相代理が、衆議院で海軍軍縮条約について、それで国防は大丈夫かという質問に対して、「陛下が批准されているから大丈夫」と答え大問題になった
そもそも幣原は国会議員でも政党人でもなかったので、そのような人物が首相代理につくのは憲法上問題であると批判されていたところにこの事件が起こり、野党もマスコミも「責任内閣制の否定であり、超然内閣としての本性を現した」と大攻撃して、一週間審議がストップした
その後、テロや美濃部の天皇機関説問題が起こり、責任内閣制は終了したが、それは内閣と議会との関係が変わっただけで天皇と内閣の関係が変わったわけではない

622:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 00:51:14.18 MWnIGrkN0
アンカー間違えた
>>610ではなく>>619



623:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 01:15:50.53 ghDLc6rnO
開戦の責任という定義はそもそも何?
オバマやブッシュやサッチャー、パンギムンにもあるのと同じものかな
それなら、毛沢東やスターリンとかの方が桁ちがいに殺してるぞ
そもそも開戦を回避する方法はあったのかな
まずは、開戦責任を定義してくれ

624:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 02:49:02.16 MME9lcay0
>>621
はぁ?内閣総理大臣に任免権がないと言うのは決定的だろ
首相が同輩中の首席に過ぎないと言うことは他に決定権の所在があることになる
帝国憲法と日本国憲法の最大の違いを知らずに何言ってんだよ

しかも天皇は226以降、後継首班をこの中から選べと言ってるだろ

625:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 02:52:19.63 MME9lcay0
>>621
当たり前だよ。天皇と内閣総理大臣の関係は常に天皇の諮問を受け、内奏を怠りなく行い、
意に沿わないと決裁印を教えてもらえない関係だったと言うのはこのスレにとっくに挙がってる
なに立憲君主制が戦前も成立していたかのようにねつ造してんの?

626:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 02:56:22.04 MME9lcay0
結局>>621は内奏の影響力を非常に低く見積もろうと言う点で
昭和天皇の弁解の焼き直しと大して変わらないんだよ
事実は内奏を天皇から催促されることもあり、その場で叱責を受けることもあった

戦後の日米安保条約の締結過程で豊下がとっくに天皇関与によって吉田政権の政策が曲がったと研究出してるだろ
天皇は戦後もたしなめられるまで、岸内閣までは意思表示を行ってたんだぞ

627:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 03:00:26.25 MME9lcay0
それともう1個。天皇機関説事件の結果政府が二度にわたって出した国体明徴声明を、
なぜか責任内閣制の問題にすり替えているのが悪質すぎる
国体明徴声明は天皇が国家の機関だと言う視点そのものを排除しているのであって、
もろに天皇と国会や内閣ら国家の諸機関との関係をはっきりさせたもの

628:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 03:05:45.25 MME9lcay0
>そうしなくても、閣内不一致で総辞職にならざるをえない

総理に任免権がなく、内閣の一体性を担保する権限が天皇に留保されてるなら、
閣内不一致で総辞職せざるを得ないと言う根拠はなに?


629:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 08:02:40.70 0ZnADRLq0
天皇が承認とか言ってるけど内閣総理大臣は天皇の家臣に過ぎないから
天皇が嫌だと言えばなにもできない。

630:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 10:18:01.44 zrv9cDZi0
>>621
> 憲法を読んだだけでは、戦前の体制はわからないんだよ
その通り。憲法条文「だけ」では帝国憲法体制は理解しきれない。これは制憲史では比較憲法学分野でも
多くの学者が指摘しているところだ。問題となるのは、その運用実態であって天皇が有していた広大な
憲法外の権限を含めて(もちろん、元勲など憲法外の制度や実態も)、どう運用されたのかという、
史実から浮かび上がる実態を踏まえないと何も分からない。とはいえ、憲法条項は基礎知識として
理解できているかという前提を踏まえなければ、どの様に運用されたのかも分からないわけだよ。

> すべての政策の決定権は内閣にあり、天皇はそれに対する承認権(YESかNOか)があるだけである
上に挙げた運用実態をまったく分かってないね。天皇が有していたのは承認する権限ではなく、
統治権の総覧者としての国権の主権者としての最終決定権だ。事実、昭和天皇は不満がある内奏や
言挙げに対しては、相手に会わないことや質問を加えることで認識を相手に伝えていたし、
組閣について内大臣に意見を言って大臣の変更を指示したことも一度じゃなかった。

> 総理大臣及びその他の大臣の副署が入れられて初めて効力を持つ
本来副署というものは、天皇(君主)が責任を負わない為、責任の所在を明確にするために
担当大臣が署名するというロジックで成り立っていたもの。君主無答責が前提になっていたからね。
天皇は命令は下すが責任は負わなかったというのが帝国憲法上の天皇の立場。

> 大正末期から昭和初期には、責任内閣制に近いところまで行っていた
所詮は政党政治を推進した西園寺らによる運用で行われたことだったから、統帥権干犯問題や
機関説排斥運動によってものの見事に崩壊したね。それだけ憲法の制限規範が脆弱だったということ。


631:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/26 13:01:58.50 0ZnADRLq0
ここで田中義一事件。

632:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 00:23:27.97 vJFIm/CY0
いろいろ書いているようだが、いちいち反論するのは面倒だから、とりあえず美濃部達吉の憲法解説書を読んでもらいたい
私が、憲法を読んだだけではわからないと言ったのは、ほかの法律もそうだが、専門家の解説書を読まないと条文を読んだだけではその法律そのものが理解できないという意味である
さいわい美濃部の本は、国会図書館の近代デジタルライブラリーのサイトで読むことができる
「憲法撮要」と「憲法講話」があるが、「講話」の方は、中学教師のための講演を本にしたものだから非常に読みやすいし、発禁処分にもならなかった
ここで問題になっているのは昭和天皇の時代であるから、まずは大正末期から昭和初期の政党政治の時代にどのような憲法運用がなされていたかを理解することが重要である
政党政治の時代は美濃部の憲法理論が支配的であった、美濃部の理論は、一木喜徳郎がイェリネクから取り入れた国家法人説を議会主義的に発展させたところに特徴がある
まずこれを理解して、昭和10年以降、何が変わって何が変わらなかったかを理解しなければならない



633:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 00:55:59.10 Yx/o7GMF0
>>632
その程度の前提は踏まえているので心配無用だよ。美濃部の機関説が一時期は
憲法学の通説としてそれなりの影響力があったことももちろん分かっている。
面白いのは美濃部と上杉との論争で学問的には美濃部に軍配があがった一方で、
昭和天皇が皇太子時代から法学の進講係をしていた行政法と憲法学専門の清水澄も
実務分野では大きな影響力を持っていたこと。そうした事実を君は知らないのかな?

清水は天皇主権説の穂積の弟子に当たるが、彼は国家法人説と天皇主権説を折衷させ、
行政官や宮内筋に対しては絶大な信頼感を持っていた。機関説排斥運動で美濃部が失脚してからは
日本の法学分野は清水の独壇場となったが、それは敗戦で帝国憲法が廃されるまで続いた。


634:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 00:58:30.29 Yx/o7GMF0
美濃部の「憲法講話」はここで読めるので、関心のある人は読んでみてください。
URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp)


635:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 01:04:38.42 Yh4b25lIO
日教組は、不利な質問には答えないんだね
こうしたら回避できたとか、昭和天皇が、積極的開戦論でないのは明白
あの時、誰も回避はできなかった
できた前提の証明が全くない

636:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 04:40:49.38 WtuPw+Uv0
いま不利な質問に答えてないのは、>>632のほうだよ。
いちいち反論するのが面倒なほどの批判は1つもないよ。
反論できないんでしょ?だから戦前の憲法理論にどんどん話を逸らしていく

法学部舐めとんのか

637:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 07:45:18.84 Yx/o7GMF0
>>636
質問って何?


638:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 07:56:25.58 rckLk+fP0
> すべての政策の決定権は内閣にあり、天皇はそれに対する承認権(YESかNOか)があるだけである
と主張してる人に聞いてるんだよ。こんな認識は1937年以降の天皇の政治的関与の形態と全く矛盾する

639:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 08:39:38.01 /H9sAU3/0
「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」

640:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 10:27:03.01 AZjxe6pt0
>>604
>>英国王室は「君臨すれど統治せず」

その認識はもう古いよ。君塚直隆の一連の著作特に『ヴィクトリア女王』と
『ジョージ五世』を読めば、近代のイギリスの君主も政治関与していたことが分かる。

641:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 23:31:48.63 9fsYb21h0
政治関与の度合が違いますな。
昭和天皇の場合、対中戦争の進行と並行して政党政治が機能しなくなっている。
天皇抜きではいかなる政治過程も成立しない。
対中戦争の後半には完全に「天皇の戦争」になっているから、
比較するならヴィルヘルム2世か、低く見てもヴィットリオ・エマヌエレ3世。

642:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/27 23:37:52.10 9fsYb21h0
ついでに言えば、新憲法施行後に昭和天皇がおとなしくしていたような認識も
完全に古いと言うか間違いですぞ。

643:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 01:26:41.01 RDTl/34sO
結局、論点を変えて、日教組はこたえませんでした
こちらは元法学部だ
偏差値高いよ
立命館や法政とはわけが違うよ

644:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 02:13:52.13 RDTl/34sO
ざいけいほうていしゅぎ
知ってたら、東京裁判すら無効
わかるよね~

645:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 07:15:41.02 Zp3pjtbv0
日教組がどうたらって時点で敗北宣言
読む価値ないわw

646:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 08:07:36.99 xc60IYEW0
>>644
今更この話持ち出すの。

647:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 08:14:41.75 bwPm0vsG0
罪刑法定主義を国際法の世界に持ち込んでる時点で少々…
分かってない人は国内刑法刑訴法をそのまま国際刑事裁判に持ち込むんだよね
しかも日本でも旧刑法で電気窃盗事件があったわけだが


648:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 08:53:54.25 fh5tkkOJ0
対内上の法理である罪刑法定主義を、国際軍事法廷の法理として当てはめして用いて「無効」などと
言い出す人が、本当に法学を専門に学んだのかという疑問があるね。罪刑法定主義というのは、法律を
事後的に適用して国家が個人を裁く恣意的な立法を禁止するという法理であって、国際法上の違法行為を
事前の条約(極東軍事法廷の場合はポツダム宣言及び降伏文書)によって、戦争犯罪を裁くとする条項を
日本側が受けいれているわけだから、法理上も法運用上も「無効」などという理屈は成り立たない。


649:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 10:02:04.54 fgWXyPq+0
日暮・牛村あたりがいまいちあやしいのはそこ。
しかも天皇の戦争責任と東京裁判の正統性の話は別物。
天皇の戦争責任を指摘すると、東京裁判がいかにアンフェアか力説して反論してくるのがいるが、
一般に言われる戦争責任は極東軍事裁判における有罪とイコールではない。もっと広い。

650:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 10:10:04.12 xc60IYEW0
>>648
東京裁判に関してはね。ただこのスレのタイトルを良く理解すれば
罪刑法定主義などという言葉が出てくるはずがない。
それにここに書き込んでいる人はおおよそ日本人だろ。

また異論だけどもフランス革命・ムッソリーニ・チャウセスクや、
その他の王が裁かれる時に適用される法律はなかった。

まあどちらにしてもこのスレは裁判所ではなく歴史板として歴史的事実
を探求する板です。もしそのことが理解されなければこの板から黙って
出て行くべきじゃないの。

651:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 11:10:17.42 fh5tkkOJ0
>>649
> 一般に言われる戦争責任は極東軍事裁判における有罪とイコールではない。もっと広い。
その通りだね。戦争責任という場合、法的責任だけではなく道義上の責任や国家指導者として
誤った選択や決定をした責任を問われるのは当然のこと。昭和天皇の戦後の半生が戦争責任で
彩られたのもそうした意味での責任であって、決して法的な責任だけの問題じゃない。

>>650
> 東京裁判に関してはね。ただこのスレのタイトルを良く理解すれば
> 罪刑法定主義などという言葉が出てくるはずがない。
元々スレ違いであることは理解してるよ。もちろん、東京裁判で弁護側が持ち出したのが
罪刑法定主義による弁明であったことを踏まえて、僕はそれを持ち出す法理的な齟齬を
指摘している。

> このスレは裁判所ではなく歴史板として
歴史を考えるときに、国際法を含めた法理上の問題だけを抜きにすることは出来ないでしょう。
それらを含めて当時の法運用の問題や運用者の認識なども含まれるのだと思うよ。
例えば豊下楢彦氏は天皇の責任問題を射程に、史学上の観点で昭和天皇の憲法運用の認識の問題を
取り上げていることなどがそれに当たるからね。


652:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 16:37:36.99 RDTl/34sO
日教組おつ
毎日、日中に書き込みのは、おまえらかニートのネトウヨくらいだw
おまえら、東京裁判が法的に有効なんて思ってんなら、頭ん中、安保で止まってんな
もっといろんな学説を学んで、出直せ
お前ら、まず、回避可能だった理由いえよ
それがないと争点がまず、存在しない。
立場絶対原則なら、国民の行動全てに天皇は責任を持たねばならなくなり、まさに妄想
大日本帝国憲法の解釈は多々あるが、当時、独裁的権力を奮ってはいない
敗戦の責任は否定はしない、でも、開戦回避など、できるわけがない

653:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 17:44:56.34 lTM2Mi770
>>652
平和に対する罪は、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判や
極東国際軍事裁判のために制定した「事後法」であるとして、
国家ではなく個人の責任を追及し処罰することは
法の不遡及原則に反していたとする
国際法学者の意見もある
共産党委員長も務めた田中清玄は、共産党組織の実態を知り、
後に、天皇制護持を強く主張するようになった。
1945年(昭和20年)12月21日、昭和天皇との直接会見時の最後に、
「他になにか申したい事があるか?」と聞かれ、
田中は「昭和16年12月8日の開戦には、
陛下は反対でいらっしゃった。
どうしてあれをお止めになれなかったのですか?」と問い質した。
それに対して昭和天皇は
「私は立憲君主であって、専制君主ではない。
臣下が決議した事を拒む事は出来ない。憲法の規定もそうだ。」
と回答している。

出展はwikiだが

654:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 18:08:00.18 GSfeUkOS0
第一次大戦後ヴィルヘルムの身柄引き渡しと裁判を要求した
一国である日本がそんな都合のいい寝言をほざいてもな。

655:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 20:07:39.38 lTM2Mi770
サンフランシスコ講和条約において、天皇が自国の戦争に責任を負うべきものがあることを
承認するという条項は無い
「責任」と言うが、その定義が曖昧すぎる
明治憲法<大日本帝国憲法>第4条に、統治権の総覧があるが、
それは、「この憲法の条規に依って行う」とされている。
つまり、天皇でさえも、憲法に規定される存在であり、
憲法の枠の中で憲法に従って行為をされる御存在であった。
また、第55条、56条に、国務大臣が天皇を輔弼し、
枢密顧問が審議によって天皇に応える形で重要な国務を行う
と記されている。
実際には、輔弼は内閣によって行われ、責任も内閣がこれを負った。
輔弼が天皇を法的に拘束するものと解すれば、
日本国憲法における、内閣の『助言と承認』とほぼ同じ意味になる

656:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 20:10:56.36 lTM2Mi770
また「戦争責任」とは、どのような行為により、
誰に対しての責任であるのか、
定義を明確にして下さい。
る当時の国際法においては、
戦争とは、主権国家の権利として認められている
交戦権の行使であり、よって戦争自体に善悪はなく、
戦争責任つまり、回線の責任という言葉も存在しません。



657:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/28 20:49:26.98 xc60IYEW0
>>655
wiki読んで自己解決して欲しい。
>日本国憲法における、内閣の『助言と承認』とほぼ同じ意味になる
全然違う。
明治憲法を基にして天皇が責任回避ができるのは天皇は
神聖にして不可侵と明記されているからだろうね。

>>656
交戦権の行使=戦争責任なわけがない。もしそう思っているのなら
相当レベルが低いと言わざる得ない。

658:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 01:08:58.18 /iY5NzwgO
このスレはその低レベルの議論しかしてないだろ
後世の歴史家を気取った奴ばっか
単なる天皇批判と反論しかない
開戦を回避できるが、しなかったのか、できなかったのかを検証するスレで天皇責任のスレではない
ちなみに責任はない
なぜなら、日本が受け入れたジャッジメントには含まれなかったから
法律論で話す話じゃなく、政治論から語る話だ
ちなみに不文の法とか、いってるやつ、多分コモンローのこと言ってるんだろうが、コモンローは社会的に圧倒的多数により妥当とされるような当たり前の場合にしか適用されない
だから、平和に対する罪は、コモンローにあたらない
だから、今でも、裁判を受け入れたとか、判決を受け入れたとか、議論あるんだよ
ちなみに、日中戦争はともかく難しいが、大平洋戦争なんか回避できないだろ
アメリカに勝てると思った馬鹿はいないからだ

659:612=621=632
11/09/29 01:25:31.04 sKUgu9cV0
>>633
人にはそれぞれの生活があるのだよ
私は、いそがしいときは毎日2chできないし、夜は疲れて眠くてできないときもあるし、彼女が泊まりに来ているときもできない
それはさておき、君の一番の問題点は、ベルギー憲法、ドイツ憲法を経て明治憲法に取り入れられた君主無問責の基本原則である副署システムを正しく理解できていないところにある
前回は、これを詳しく説明しようと思ったけど眠かったので、これを正確に説明している美濃部の本を読んでくれと書いたのである
ちなみに美濃部の師匠の一木喜徳郎は、大正14年から昭和8年まで宮内大臣を勤めて昭和天皇の憲法観に強い影響を与えている
以下その説明に入る

ベルギー憲法(1831年)
第63条 国王の一身は、侵すことができない。国王の大臣が責任を負う。
第64条 すべて国王の行為は、大臣の副署がなければ、効力を有しない。大臣は副署行為の故にのみ、その責任を負う。

フランクフルト憲法(1849年)
第73条 皇帝の一身は不可侵である。皇帝は、自らに委ねられた権力を、自ら任命する責任大臣を通じて行使する。
第74条 皇帝のすべての統治行為は、それが有効であるためには、少なくとも帝国大臣の一人による副署を必要とし、その帝国大臣は、それによって責任を負う。

プロイセン憲法(1850年)
第43条 国王の一身は不可侵である。
第44条 国王の大臣は責任を負う。国王のすべての統治行為は、それが有効になるためには、大臣の副署を必要とし、大臣はそれによって責任を負う。

ドイツ帝国憲法(1871年)
第17条 皇帝の命令および処分は、帝国の名において発令される。それが有効であるためには、帝国宰相の副署が必要であり、帝国宰相は、これにより責任を負う。

大日本帝国憲法(1889年)
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

660:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 01:27:25.69 sKUgu9cV0
*伊藤博文の憲法義解

[副署]
大臣の副署は左のニ様の効果を生ず。
一に、法律勅令及其の他国事に係る詔勅は大臣の副署に依て始めて実施の力を得。大臣の副署なき者は従て詔命の効なく、外に付して宣下するも所司の官吏之を奉行することを得ざるなり。
二に、大臣の副署は大臣担当の権と責任の義を表示する者なり。蓋し国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠たり。而して副署に依て其の義を昭明にするなり。
但し、大臣政事の責任は独り法律を以て之を論ずべからず、又道義の関る所たらざるべからず。法律の限界は大臣を待つ為の単一なる範囲とするに足らざるなり。
故に朝廷の失政は署名の大臣其の責を逃れざること固より論なきのみならず、即ち、議に預かるの大臣は署名せざるも亦其の過を負はざることを得ざるべし。
若し専ら署名の有無を以て責任の在る所を判ぜむと欲せば、形式に拘り事情に戻る者たることを免れず。
故に副署以て大臣の責任を表示すべきも副署に依て始めて責任を生ずるに非ざるなり。

[輔弼責任]
第一。大臣は其の固有職務なる輔弼の責に任ず。而して君主に代り責に任ずるに非ざるなり。
第二。大臣は君主に対し直接に責任を負ひ、又人民に対し間接に責任を負ふ者なり。

*美濃部達吉の理論は、伊藤が「人民に対し間接に責任を負ふ」といったところ、議会に対する責任まで拡大し、責任内閣制へと解釈を広げていったのが特徴である。
その他の部分は、伊藤とあまり違いはない。昭和10年以降は、責任内閣制が超然内閣に戻ったが、副署システムには変化はない。

*副署拒否はありうるか
システム上ありえない。上奏は閣議決定(全会一致)されたものを文章にしておこなわれる。それを天皇が変更することはできない。天皇にできることはYESかNOかである。
NO(拒否権行使)の場合は、同一内閣か新内閣でやり直しになり、再び閣議決定を経て上奏される。したがって副署の対象になるのはあくまで閣議決定されたものであるため副署拒否など起きないのである。
私が、「政策の実質的な決定権は内閣にあった 天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である」と言ったのは、こういう意味である。

*最後に鈴木首相の辞表を記しておく
曩ニ重任ヲ拝シ戦局危急ヲ打開センコトニ日夜汲々タリ 然ルニ臣微力ニシテ遂ニ戦争終結ノ大詔ヲ拝スルニ到ル 臣下トシテハ恐懼スル所ヲ知ラス 
又閣議ヲ以テ決スルニ能ハスシテ御聖断ヲ仰キタルコト一度ナラス 恐懼何ヲカ之ニ過キン (以下略)

661:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 01:39:46.15 T4Ysv35N0
我が国日本を守るためにに尽きる
ルーズベルト大統領包囲網による資源の枯渇

むしろアメリカから仕掛けられた大東亜戦争
そして日本を欧米植民地化にならぬよう抗おうとした
政府がなぜ侵略戦争というか

そしてなぜに天皇を失うことになるであろう圧力に屈しなければならないのか
日本を守るためにの一点にしかない 
天皇と日本は一体なのだよ

662:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 03:38:29.11 tR84fNGk0
>>661
>我が国日本を守るためにに尽きる

自衛というなら満州に徹してろよ。

>ルーズベルト大統領包囲網による資源の枯渇

ナチスと組み、警告を無視して南下したからな。

>天皇と日本は一体なのだよ

国=権威者の考えは、民主社会で不要。覇権者の家系が御輿化しただけ。


663:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 04:08:28.70 cPpglK9K0
ID:sKUgu9cV0 はまるで話が通じていない。
人が「実態」の話をしているのに、昭和10年で排除された「通説」の講釈を繰り返すことに何の意味もない
今日でも運用実態と制憲時の公定解釈もしくは旧通説を混同して論じたら詭弁と見なされるよ
なぜ批判されているのか少しは理解すりゃいいのに。
・諸外国憲法との対比については、あくまで対比としての意味しか持たない
・天皇に出来ることはYESかNOかである⇒そこまでの過程で自分の意思を反映させる実態が存在したことを
 今まで散々指摘されてるでしょ?!あなたが答えるべきなのはそこだよ
自分の知る限り、憲法史でここを誤魔化す学者はそんな多くない。師匠は誰?

昭和天皇は天皇機関説を理解できていたかどうかも怪しいとは結構指摘される、例えば
「君主主權説は、自分からいへば寧ろそれよりも國家主權の方がよいと思ふが、
一體日本のやうな君國同一の國ならばどうでもよいぢやないか。
……美濃部のことをかれこれ言ふけれども、美濃部は決して不忠なのでないと自分は思ふ」

天皇は、「君国同一」だから君主主権でも国家主権「でもよい」と言う理解なのであって、
美濃部説とは基本的なスタンスが異なると言わざるを得ない。
独白録で天皇は国家を人体、天皇を脳髄にたとえ「機関説」でなく「器官説」ならいいじゃないかと本庄に説明しているが、
脳髄は人体への命令を全て掌握する組織であるから、最高機関と言う以上の意味を持ちうる
前後の言動を見ても、天皇の中では「最高機関」が取り違えて把握されてた可能性が高い
美濃部説を理解できる素地はあっても、天皇は美濃部説を決して全面支持したとは言い難い。

664:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 04:21:58.77 cPpglK9K0
それと何度も指摘するが、国体明徴声明は議会と内閣の関係についての言及ではなく、
天皇が国家の機関であると言う理解そのものへの言及なのだから
副署システムが「何ら変化がない」などと簡単に片づけるセンスも歪曲が入ってると言わざるを得ない
疑問を覚えるね。政府声明であることには間違いないんだよ

それとなあ、人のレスは「面倒だから捨て置く」と言い放っておいて自分だけ長大な文章を述べるってなんだよ…

665:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 08:17:06.58 3WqfQpMz0
>>659
君のレスはいちいちピントはずれだねえ。

> ベルギー憲法、ドイツ憲法を経て明治憲法に取り入れられた君主無問責の基本原則である副署システム
ここからして間違えてる。帝国憲法制定までの過程で、ベルギー憲法は日本国国憲按として参考にされたが、
議会の権限が強く君主が国憲の拘束を受ける前提であったため退けられ採用されなかった。
つまり、君は帝国憲法制憲の史実を知らないのかどうか、全く正反対のことを書いてるわけだ。
それに加えて、シュタインから強い影響を受けなら彼のアドバイスに従って、伊藤らは日本独自の
憲法と国教に変わる存在としての天皇を位置づけた。これがいわゆる神権天皇制度といわれる所以である。

憲法の教科書で取り上げた「大日本帝国憲法(明治憲法)の特色」は以下の通り。
明治国家は、西欧の立憲君主国家をモデルとしながらも、西欧諸国に比して、道徳的・倫理的色彩の
濃厚な国家であったといえる。(「憲法1」第三章 国民主権と象徴天皇制 高橋和之執筆 47頁)

君は副署の存在を根拠に天皇があたかも副署に拘束されていたと言いたいのか、やけに副署の存在に
拘泥しているが、先にも説明した通り副署というのは君主無答責の原則に従い、最終的に君主が判断し
下した国家の意思としての命令の責任を国務大臣が引き受けるということだ。君主とその臣下である
国務大臣との関係はそれぞれの国によって異なっているため同列に語れない。比較憲法の観点を分かってるなら、
君のように単純に同列視はできないのだよ。

> 美濃部の本を読んでくれと書いたのである
君が紹介してくれた美濃部の「憲法講話」は既に読んでいるから、わざわざ「前提は踏まえている」って
書いたんだけど。つでに>>634でウェブ上のURLまで示してるでしょう(笑)

> 美濃部の師匠の一木喜徳郎は
昭和天皇の憲法観に最も強く影響を与えたのは一木ではなく、皇太子時代から憲法を進講していた清水だよ。
君は僕の発言を根拠無く無視して一木の名を出してるけど、とても恣意的な印象を受けるね。

666:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 08:17:40.44 bRAJ3RVI0
憲法の条文持ち出してしきりに反論してるやついるけど
弁護側の有利なように都合の良い解釈をすればどうとも取れるんだよ。



667:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 12:30:13.10 /iY5NzwgO
>>666
それは左翼も同じだ
天皇は大平洋戦争や日中戦争の拡大には、反対だった。これは説明するまでもなく、多数の資料から明らかだ。一部左翼は、それを否定するわずかなでっちあげを信奉している
あの時代、大平洋戦争は非白人からは、熱烈に歓迎された。キング牧師やガンジーでさえ
それは自衛の戦争であり、初めて、欧米の侵略に抵抗したからだ
さらに日本は大平洋戦争開戦時は、そこまでおいつまっていたんだから、戦争回避は難しい
日本は、何度も軍縮して、かなり譲歩しているし、圧倒的に不利な中、
開戦を奏上されて、それでも、東條に、それは国民の意思かと聞いたんだから、回避はできない
はい、終了


668:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 13:08:17.48 bRAJ3RVI0
輔弼について盛り上がってきたのでこのへんで田中義一事件を話そうぜ。

669:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 16:31:18.73 tR84fNGk0
>>667
>天皇は大平洋戦争や日中戦争の拡大には、反対だった。

しかし満州事変を容認したのは大きな失敗。条約軽視の表明に等しい。
満州事変~介入工作が無ければ、あんな形の日中戦も無かったろうに。

>それは自衛の戦争であり

日本の言う自存自衛は、禁輸されたら資源を分捕れ、だからな。
北朝鮮への禁輸を強めたら暴発し、自存自衛と言いかねないな。


670:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 19:50:51.14 zJMiLFqA0
マッカーサー
日本は、資源の供給を絶たれることにより、1,000万から1,200万の失業者が発生することを危惧した。
日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分がその脅威から逃れる必要に迫られてのことだった。

天皇が私心で戦争したならともかく、国益上の判断で行なわれた戦争に過ぎないわね。


671:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 20:17:25.53 nS0npu330
ABCD包囲網の中、日本の経済破綻は明白だったし
アメリカはルーズベルトの対日本強硬論(人種差別によるもの)
北朝鮮とはわけが違う。
あの戦争がなくても、日本は荒廃してたのはまちがいない。
近衛はバカだが、スイスなどの第三国を通じて
和平協定を結ぶように政治家は模索していた
当然、昭和天皇はその和平交渉に期待していた。
それに、アメリカに責任があるとhいわないが、
ないわけじゃないだろ
日本の和平案を全て蹴っているわけだから
その歴史的状況を無視して
憲法論議するのはずれている
昭和天皇は、大正時代から摂政として君臨した。
それが、突然、戦争容認し、独裁的権威を振るう等
ありえないことは歴史が証明している。

672:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 20:27:30.05 pjR4RiBC0
>>670
ヒトラー・ムッソリーニも私心じゃなかったけどな。


673:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 20:38:13.44 pjR4RiBC0
>それが、突然、戦争容認し、独裁的権威を振るう等

安心してください。
ここにいる人って誰一人、独裁的権力を振るっているなんて言ってる
人いないよ。過敏に反応し過ぎ。

戦争容認のことについて書き込んでいるだけだよ。


674:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 21:14:03.87 nS0npu330
>>673
容認じゃないバカ


675:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 21:18:01.70 nS0npu330
ついでにいうが、
ルーズベルトの対日本強硬論(人種差別によるもの)はガチ
黒人も差別してた
フーヴァー政権なら太平洋戦争はなく、
満州国も追認されてたよ

昭和天皇は戦争を容認したのではない


676:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 21:24:46.20 nS0npu330
おまけ・・・WIKI引用

アメリカのスティムソン陸軍長官は、真珠湾攻撃10日前の日記に、
ルーズベルト大統領との会見時の発言として
「我々にあまり危険を及ぼさずに、いかにして彼ら(=日本)を
先制攻撃する立場に操縦すべきか。」と書いている。
また、11月27日にはハルがスチムソン陸軍長官に対して
「自分は日本との暫定協定を取りやめた。
私はこのことから手を洗った。
今や問題は貴方及びノックス海軍長官 即ち陸海軍の掌中にある」
と伝えたとされる。
これらの発言から、ハル、ルーズベルトはハル・ノートを基礎にして
日本と交渉ができるとは考えていなかったのが一般的であろう。
そして彼らが日本の外交暗号解読により交渉期限が11月末までであることを知っており、
そしてアメリカ政府の全体の局面認識が
交渉決裂は戦争につながる可能性が非常に高いというもので
あったことから、交渉がまとまらない場合、
12月初めには日本が交渉を打ち切って先制攻撃を開始することを
予想していたと考えるのが自然であろう。
ハルノートが日本側に提示された当日中に、
開戦に備え無制限潜水艦作戦の指令が
各地の潜水艦部隊に対して出されている。



677:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 21:36:43.88 OfFPK6930
それはそうでしょう。日本は11月5日の御前会議で開戦を12月初旬と決めてるんだから
外交交渉の期限は12月1日零時
米国にしてみたら外交交渉なんて偽装でしかない。
真珠湾攻撃の空母機動部隊が単冠湾に集結したのは11月22日、出航は26日
どう考えても日本の武力行使の発動のほうが先です本当にありがとうございました

678:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/29 22:51:00.56 Zv6a/4Bk0
>>677
陛下は大きな心で戦後のサヨを慈しみ「平和で民主的な日本」をつくるため
あえて自爆戦争に賛成したのだよ。

679:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 01:04:46.83 BEpNQr0TO
ちょっと聞くが、開戦責任なんて、裁かれた裁判ないだろ
ニュルンベルクや東京裁判でも
開戦は国家が持つ自然権であり、行使そのものは違憲でも、違法ではない。
何かしら、左翼学者は天皇に責任を与えたいため、開戦責任等というが、国際法ではみとめられていない
平和に対する罪とは開戦をさすものでない
敗戦の責任なら、日本国民に対して負うものであり、外国にとやかく言われるものではない
戦後の昭和天皇はまさに国民への贖罪を行われたと思います
また、アメリカはよく御前会議の決定が早いから、ハルノートとか関係ないと言うが、実際には日本はハルノート時点で和平を諦めていない。
思い切って、ハルノート受け入れたら、国民は暴動だったろうし、アメリカから追加要求でただろう
中国やソ連が必死に日米の開戦工作してるしな
まあ、満州を諦めてれば、台湾、朝鮮や千島くらいは今でも日本かもわからんが、資源のない土地だと当時意味がなかったからな

680:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 06:28:47.34 64aYzcWLO
阻止したら木戸が眼鏡たたき付けて興奮しだしたからあまり口を出すのはよくないと悟り、
裁可したんだよ。

681:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 07:54:48.52 UfCzVCVU0
>>679
右翼脳だな。つまらん書き込みするな。

682:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 17:46:06.94 UfCzVCVU0
最近無知な右翼が色々書き込んでいるみたいだが東京裁判が事後法だとか
戦勝国の裁判だから無効だとか最初から判りきったことで、それを踏まえて
書き込んで欲しい。
自分の気持ちや感想文程度のことを逐一反論書いていくのは多大な作業が必要なので
書き込まないようにして欲しい。


683:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/30 18:43:23.17 a3GVm6dw0
>>679
その通り特亜がケチつけてるだけで。

684:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:27:30.08 icSpoV75O
無知な右翼とかいわれますが、軍事裁判の不当性は日本以外でも盛んに議論されているし、実際に先勝国による裁判だったし、
原爆やら欧米の侵略は、裁いていないよ
日本が勝っていたら、成立しない裁判が正当だったというのは理性的な回答でなく、
結論ありきの議論を求められている気がします。
日米開戦の是非は、昭和天皇の立場に私達を置き換え、国や国民を守るために
何かをしなかった不作為があるのか
作為的な開戦工作をしたのか
それが争点ではなかったのかと思います
私はもしあの時、生きていれば、戦争反対を、声高に唱える方策は思いつきません
こうすれば、よかったというのが、なければ、戦争を止めることはできないと考えています
左から見るとみんな右翼に見えるかわかりませんが、誰ひとりあの悲しい戦争を肯定はしていません
ただ、追いつめられた苦肉の策であり、早期講話の失敗やコミンテルンの活躍等、日本には不利な状況がおおく、
開戦しか方法がなかったと考えます
また、立憲君主の地位にこだわり、内閣の上奏により国事行為を行っただけというのが、数おおくの資料から読み取れると思います

685:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:32:15.62 lF5hq0a60
だってポツダム宣言の受諾の時点で、枢軸国は日本だけだもん
戦勝国の裁判になるのは当たり前じゃん

686:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:44:26.30 lF5hq0a60
追い詰められたならおとなしく大陸から撤兵すればよかったじゃん。簡単なことさね
満州事変がそもそもの発端なんだから。日本は借金を返すためにさらに高利貸から借りるようなことやってるから、
最後にドボンになったんだよ。

687:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:51:14.25 icSpoV75O
確かに満国をみすてれば、半島や台湾など今も日本だったと思いますが、かなりの日本人が入植していて、現実的に即撤退等、無理でしょう


688:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 02:52:12.79 nSKlgbUk0
鹿児島の歴史は天皇一族による民族浄化

URLリンク(2nd.geocities.jp)

大和朝廷の当初から、周辺民族の邪魔者を騙し打ちにかけて滅亡させることは、
正義であり、大義であった。「征夷大将軍」は、まさにその大将だ。
だが、今日の東京政府は、未だに懲りずに民族浄化を続ける。
その理由は、盤石な天皇一族の支配体制にある。
天皇一族は、「皇族」だけと思っている人も多い。
だが、天皇一族は、2600年の歴史で、
部落解放同盟、暴力団、バー・キャバレーなどの飲食店、自衛隊、
警察、特許局、医者、公務員、建設会社、消防、農協、漁協・・・・・、
楽して甘い汁を吸える場所は、全て独占している。
暴力団が飲み屋から「みかじめ料」を取っているのではない。
暴力団も飲み屋も全て天皇一族で、仲間内で、飲み屋が手数料を払っているだけのことだ。
(仮説を含む)

689:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 06:00:11.50 R271CAQz0
>>684
本当に無知な右翼だな。
日本はサンフランシスコ平和条約で民間人被害の戦勝国に対する賠償請求権放棄してるだろ。
しかし、アメリカからはマーシャルプランで復興資金貰ってる。



690:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 09:48:06.17 NXBYGvi+0
>>684
> 軍事裁判の不当性は日本以外でも盛んに議論されているし、実際に先勝国による裁判だったし、
日本が宣戦布告した戦争終結の条件(つまりポ宣言)に戦犯を裁く旨の条件が含まれており、
ポ宣言受諾と降伏文書交付によって国際軍事裁判を受けいれた。不当性の議論とは、よくある
勝者の裁き論のことだと思うが、当事者同士(当然に日本も含まれる)が交わした条約を前提にした
決定事項とその推移について、66年後の現在にどんな議論が必要だというのだろうか。
僕たちが考えられるとすれば、正当か不当かという後ろ向きの議論ではなく、当時起きた既知の事実から
何を学び取り、現在の有り様として何が有益であるかということなんだろうと思う。
何故なら歴史はひっくり返すことはできないのだから。

> 原爆やら欧米の侵略は、裁いていないよ
裁判というのは立件されなければ行われない。日本側が原爆投下の不当性や侵略行為を告発して
国際司法に訴えるといった行為を行っていない以上は司法による裁きは起きない。

> 昭和天皇の立場に私達を置き換え
少年時代から次期天皇として育てられ、当時国内の最高峰の政治学や法学、儒学などの素養を進講され
欧州留学をして英国国王から君主の心得を学んだ人物を、市井の自分らに置き換えて考えるというのは
どう考えても無理がある。広大な天皇大権を持つ人物というのは、一般人が想像を絶するくらいに
重圧も多く、取り分け不穏な時代であれば尚のことプレッシャーに負けない判断が必要となる。
そういう人物像に迫るには様々な文献(正確な史学上の史料や昭和天皇が学んだ当時の政治学、法学、
軍事学、外交政策や儒学や帝王学などについての多彩な教養)をも理解しなければならない。
君がそうした前提条件を身に付けた上で昭和天皇の立場に立って考えられるとしたら尊敬する。
普通の人には到底不可能だから。

開戦当時、昭和天皇には数多くの側近がいて情勢判断をするべく多くの情報が集められていた。
現実として彼はそれらの人と情報から判断して裁可を下したという事実がある。


691:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 20:24:55.23 Lu9wuMJn0
今現在、根本的な不況対策を叫ぶ国民少ないでしょ。
国民が政府に期待することはわかりきってるのに。
まったく同じだよ。昭和16年でも平成23年でも。

692:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 21:11:39.55 S59OLGkm0
>>687
しかし戦争に負けて孤児を置き捨てながら這う這うの体で引き上げるよりはマシなんじゃね?
と言うかリットン報告が出てるのに大陸に入り込んでいったほうが悪いんだわ

693:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/01 23:03:00.40 0IU1JbYNO
せめて満州までで止まってたら少しは違った?
やっぱアメちゃんとの戦争は回避不能?
朕に教えろゴルァ!!

694:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 01:35:55.72 YbkoAMgqO
天皇陛下の戦争責任をいまさら、言う必要ないだろ
日本を陥れるためか?
開戦なんか避けられないよ
アメリカはやりたい気持ちマンマン
さらに、誰か言ってるが、ルーズベルトの日本差別はハンパないからな
あれが生きてたら、日朝は、滅亡したんじゃね

695:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 01:53:07.87 VPZsZpDj0
従来は満州国まではOKと言う見解の人が多かったけど今はどうだろうね

英米は欧州大陸情勢のほうに圧倒的に関心があるから、
日本が盧溝橋事件で自重していれば中華民国支援に傾く必然性もなく、
戦争にはならなかった可能性は高い

696:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 02:00:56.25 YbkoAMgqO
ハルノートの中国に満州は含まれるかと、野村が聞いたら、答えなかったんだよね
アメリカ議会で共和党に聞かれても、はっきり答えなかった
共和党から、中国が共産化したらしらんぞっていわれ、後の祭になり、朝鮮戦争へ

697:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 04:42:42.99 KZanYSn+O
成る程。
やっぱ春さんに
中国からの撤退のうちの中国とは、満州を含むのかと尋ねるべきだったみたいだね。
満州からの撤退は無いとなると、国民も納得したのでは?

698:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 10:41:35.12 IXFgxmTf0
スレの流れをぶった切ってしまうが、
僕が>>633>>665で例示した清水澄の学説や政治思想については、彼が昭和天皇(皇太子時代を含め)への
進講用教科書として著した「帝国憲法」から、どの様な考え方を元にしていたかが分かる。

清水は帝国憲法第一条について、天皇は「極位にあり」「億兆に君臨し」「臣民が仰瞻(仰ぎ見て尊敬すること)」
「翼賛し奉る」ことが「伝統の国体」であるとしている。この清水の特長は、伊藤博文が著した「憲法義解」にある
「君民の分義は既に馨造のときに定まる」とした、国民(臣民)の意志が介在しない国体観とは大きく異なる。
こうした違いは大正期の民権運動を経て、時代的に民意を無視できなくなった現実を踏まえたものと言われているが、
それでも尚、清水は帝国憲法第三条の解説で、天皇無答責は天皇が国家主権の根源であり、国宝を超越しているから
憲法の拘束は受けないとしている。

こうした憲法観は、当然に進講された昭和天皇の政治思想の形成に大きな影響を与えたし、何より清水の学説は
高級官僚試験や東大法学閥の多数派を形成していた一木、美濃部らの学説に対して、軍部の教育機関や政府などに
強い影響力を持っていた。機関説が通説として行き渡っていたのは極めて限定的な範囲だけだった。
軍部でも取り分け皇道派らにとっては清水の学説の方が馴染みやすく、彼らの政治思想にもマッチしていたため
機関説排斥運動を後押しした。


699:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 11:20:28.93 g8h3oNWl0
>>695
都合の良い事実だけ集めるとそうなるが国際連盟で満州国は認められていない。
なので満州国だけにしておけばという論理はおかしい。
またハルノートも中国から撤退と書いてあるから、国際連盟で満州国は認められ
てないので満州国からの撤退もありえる。
どちらにしてもハルノートを受けた時に、日本は中国で戦線を拡大し、仏領インドシナ
占領してるのでそこを撤退することは国益からできない。
しかしハルノートは試案であり東郷外相が最後通告と間違って日本側に受け取られたので
交渉の余地を放棄してしまったとも言える。

700:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 14:45:58.76 WU+E8MK7P
>>690
煽りではなく知りたいのですが、

    > 原爆やら欧米の侵略は、裁いていないよ
    裁判というのは立件されなければ行われない。日本側が原爆投下の不当性や侵略行為を告発して
    国際司法に訴えるといった行為を行っていない以上は司法による裁きは起きない。

当時の状況で告発できたのですか?
告発できるとして、
  「誰が」
  「どこに」
  「誰を」
告発できるのですか?

無知な私にご教授をお願いします。


701:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 18:18:36.77 IXFgxmTf0
>>700
> 当時の状況で告発できたのですか?
> 告発できるとして、
>   「誰が」
>   「どこに」
>   「誰を」
> 告発できるのですか?

誰が →日本政府が
どこに→国際司法裁判所に
誰を →アメリカ政府を

国際司法裁判所は1946年に設立されているから、日本が主権回復した後、
アメリカ政府を相手取って提訴することは可能だったよ。


702:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/02 21:23:18.90 wn/XfqoM0
>>701
バカか?
そんなことしたら、どんな目にあったか
わかっていってんのか
サヨは、理屈倒れの無知ばかりだな


703:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 00:43:26.27 r45012mPO
理屈だおれw
だから、ニュー速や芸スポにいけず、一日少ししか書き込みのない過疎スレにはりついてんだろ

704:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 04:26:45.60 odH17WbFO

日本人が決めた事だからな!

陛下は黙認した。

( ̄∀ ̄)



705:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 04:48:22.20 4PQh7rW20
あれだな、旧憲法では天皇は拒否権を持ってたってことだな。


706:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 21:59:20.84 Yrc32mPjP
700 です。
>>701
ありがとうございます。

自分なりに調べましたが、おそらく告発はできないだろうと愚考します。
理由は竹島問題から推測しました。
日本政府は何度も国際司法裁判所(ICJ)への付託を韓国側に提案していますが、
韓国側は問題無しとして拒否し続けているからです。
ならば欧米も同じように拒否するのではないかと考えられます。
もちろん欧米が拒否するっていう根拠はありません。
しかし同意するっていう根拠もありませんね。
もし根拠がありましたら、ご教授をお願いします。

結局、提訴はできても裁くどころか、開廷することさえ出来ないっていうことでよろしいでしょうか?


告発 ①隠された不正や悪事をあばいて世の中に知らせること。「内部─」
    ②(法)被害者その他告訴権者以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告し、
      その犯人の処罰を求めること。「─状」→告訴

付託 ①たのみまかせること。依頼。
    ②議会などで、ある議案を本会議の議決に先だち委員会などの審査にゆだねること。

                                 広辞苑 第五版  岩波書店  より


それより気になったのは、「提訴することは可能だった」けど「提訴しなかった」ことです。
どなたか理由をご存知でしたら、ご教授をお願いします。
それとも提訴はしたのですか?

707:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/03 23:54:29.46 fENPLUBq0
>>706
僕が書いたのは文字通り国際司法機関があり、提訴するだけの条件があるという前提であって、
現実として日本は一度として提訴するという選択肢を表明すらしてこなかったから、
可能性として「できる」ということに留まるんだけどね。それに、君の引用した竹島問題のように
仮に提訴しても相手側が拒否する可能性もあるし。

> 「提訴することは可能だった」けど「提訴しなかった」ことです。
主権回復まではそれどころじゃなかったし、回復後は貿易や日米安保などアメリカ依存で
来てしまったから、そんな意志はなかったということだと思うよ。


708:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 01:16:34.05 C+XH8b9eO
原爆を言うとトルーマンは当時、7月あたりから、降伏活動に動いていた日本の動向を知りながら、アイゼンハワーやマッカーサの反対を無視して、投下を決定し、20ヶ所近い投下を決めていた。
それはソビエトへの恐怖からだったと言われている。
このことは、スターリンには教えたが、マッカーサやアイゼンハワーにはギリギリまで教えなかった。
その頃、日本はソビエトと協議したが、アメリカとの密約で8月15日までに対日戦争に参戦することになっていたので
協議は相手にされなかった
原爆の死者数を上回る非行として、でっちあげられたのが、南京事件。東京裁判においても、目撃者、被害者ゼロ
あくまで伝聞と南京におけるゲリラとの戦いによるものの誇張だ
きりがないが、そんな風に日本の戦闘を悪とする連合国に面と向かって抗議するなら、日本も共産化するしかなかっただろう
そうなると、今頃日本はキム豚みたいな社会になったかわからんが

709:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 01:53:51.50 GYM5le6x0
>>698に関してだが、美濃部説は高等文官試験レベルの通説であって別に政府の見解でも何でもない。
あれを「戦前の通説」扱いするのは強い疑問を感じる
それに天皇は決して美濃部説の受容者と言えない所にそもそもの問題がある

原爆がなければポツダム宣言受諾を巡ってうだうだやってのは自明だからそりゃ抗議できないでしょw
それに今度は共産圏の間接侵略から天皇制を守るためにアングロサクソンのご支援を期待しないといけないわけだし
昭和天皇の脳内ではストライキも無教養で宗教心の足りない民衆の行動に見えてたようなので

710:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 02:04:52.76 GYM5le6x0
>>708
早い段階で降伏すればするほど国体は護持される確率が圧倒的に高かったのに
空襲で急激にインフラが破壊された昭和20年後半まで持ち越した(天皇の一撃講和論も反映されている)のだから、
自業自得としか言えないな。自国民すら信用できない政府だったんだから

>>697
ハルに尋ねても公式回答で「満州を含まない」なんて言えないだろう。
秦郁彦は「満州については追加的に交渉と言うことで妥協可能」と言ってるけど、
日本としては言質を取れない交渉を進めるわけだから、頓挫の確率は高いでしょ。

711:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 02:21:39.72 C+XH8b9eO
国体を守るっていうと、やはり軍部の敗戦責任は重い
天皇制すら存在の危機
玉砕ばかりで戦略も薄くなるしな
戦犯は敗戦責任はあるだろうな
だけど、開戦責任は一概にはいえんな
あくまで、歴史的には

712:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 08:41:40.68 EaaufFtY0
>>708
陸軍が天皇制維持にため無条件降伏を反対していたので終戦が遅れました。

「ポツダム宣言の条件中には日本天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解の下に日本政府は之を受諾す」

天皇の地位は降伏条項の実施のため、その必要と認める措置を執る連合国司令官の制限の下に置かれる。最終的な日本国政府の
形態はポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思に依り決定されるべきである。

とアメリカは回、陸軍が反対したので天皇の大権を使う聖断に至りました。

天皇制がなかったら日本が共産化したか?これは天皇制に全く関係ない。
戦後初めて行われた普通選挙でできた片山内閣は左翼内閣です。
しかし当時の吉田はGHQのパイプ役だった吉田率いる自由党が連立を
拒否したために短命内閣に終わりました。
日本が共産化しなかったのは吉田茂とマーシャルプランによるアメリカの
援助とその後の経済成長なので天皇制は微塵も関係ありません。



713:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 09:59:09.91 GYM5le6x0
片山哲内閣は芦田・幣原の民主党、岡田・三木の国民協同党との連立だし、
当時は社会党自体も日本労農党や社大党系の混在だったから、
左翼内閣とは言い難いけどね。社会党で左派が躍進して左翼政党となったのは50年代じゃない?

714:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 12:44:20.50 EaaufFtY0
片山内閣時の社会党左派はソビエトとの関係を疑われてた。事実そのことが
自由党が与党にならなかった理由。臨時石炭鉱業管理法は炭鉱を国有化する
社会主義政策の一環です。

715:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 17:54:47.38 C+XH8b9eO
スレ違いになるが、質問
社会党は、中ソ紛争の中で親中路線をとり、文化大革命を礼讚したんじゃなかったっけ?
思い違いならすまん
そうなると中国みたいに廃仏とかで、迷信とか言って、神社仏閣や天皇制、教会やその他宗教は全て破壊されたんじゃね
それに今でも、そうすべきと主張する左翼はいるしな
ちなみに朝日も褒めたたえ、不利になるとなかったことにしたけどな
朝日は戦前は右翼の急先鋒だったけど
ちなみに毛沢東は、この時だけで四千万人以上殺している
周恩来の養女なんか悲惨過ぎる

716:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 19:03:07.64 EaaufFtY0
宗教はアヘン言われていたのは、神への信仰はどんな苦しみからも解放できる
と説いたからです。この他力本願の考えは民衆を統制するために権力者にとっては
都合のよい考え方です。また当時の教会が腐敗していたというのもありました。

中国は確かに文化革命で宗教弾圧されましたが、その後宗教融和政策がとられ
宗教・寺院は存在しています。
いくら科学進歩しようと、宗教がなくなるほど合理的人間ばかりではないのです。


717:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 19:55:19.47 d3+XsybaP
700,706です

>>707
ありがとうございます。


718:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 22:04:10.85 ZtB/Nys50
戦争するなと天皇が命令して戦争にならなかったとしても、
葉山に幽閉されて、近衛も木戸も殺されていただろうと天皇自身も言ってる。
ただ、あそこまでボロ負けする前に終戦に漕ぎ着けるべきだった。
天皇に戦争責任はあるけど、そんな事言えないので東條さんがスケープゴート
になっただけ。

719:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/04 22:10:41.59 rCfjJjxU0
戦争するなといっても相手があることだから

720:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 01:10:00.53 +CZebyDpO
開戦時には、基本的に圧倒的多数の支持があったわけだから、
日本にはナチスのような悪役は無理な感じ
このスレ見ると、やはり自衛戦争だったと感じる
憲法なんかは、やはり曖昧で解釈により、どうとでもなる
あの時、開戦しなかったら、多くの人が死ななかったのは事実だけど
戦争しなかったら、経済はボロボロで飢え死にしたり、したかもな
どちらにしろ、戦前には世界と渡り合う有能な政治家がいないってことだろ
意外にヒトラーみたいなのが総理なら、日本は開戦しなかったかもな

721:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 09:35:14.00 DK97rZ1m0
>>718
昭和天皇は被害妄想がすごいから、それはあんまり信用してないな。
戦後のストライキを見ての感想とか、朝鮮戦争勃発で革命の恐怖に駆られて内乱条項飲むとか、
どう考えても発想が異常。50年代初頭なんて農村人口5割で、そいつらは保守系票田なんだから、
どこをどうつついても革命なんぞ起きやしない。革命どころか半分江戸時代状態なんだから

722:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 11:00:52.16 NmnKdYgH0
>>720
日本もナチスも他国からの圧力に対する自衛戦争なんだけど
自国民に対して極悪非道のことをしたのはソ連と中国

723:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 13:06:00.48 /toHQMsw0
何いっ天皇
真珠湾攻撃はアメリカ合衆国ハワイ準州に対する日本の先制攻撃すなわち侵略だよ
マレー作戦も英領マレーに対する侵略。英米の反撃は急迫不正の侵害に対する自衛権の行使

このスレ見ても自衛戦争と感じるようであれば、かなりの重症ですなw
まあそういう人種は近現代史を学んでも不愉快になるだけなので…

724:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 15:08:53.65 cvXXeriX0
>>699
>しかしハルノートは試案であり東郷外相が最後通告と間違って日本側に受け取られたので
>交渉の余地を放棄してしまったとも言える。
日本側の意識で言えば、日米交渉の見通しが立たないならさっさと開戦した方が有利って空気の中で甲案乙案出した後に来たのがハルノートだから
試案だろうと最後通告だろうと、日本側ですぐに納得できる返答じゃなきゃどっちみちタイムリミットってことだ。





725:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/05 20:09:51.19 3Zg+K2X/0
>>723
では、マレーやハワイは欧米の侵略ではないのかね
君は結論ありきの議論しかしていない
開戦当時は、非白人から
熱烈な歓迎を受けたことを説明してみよ
それは自衛戦争だったからだ
あくまで、負けたので侵略といわれただけに過ぎない
後、100年たてば、もっと冷静な理論的判断により
自衛戦争だといわれるよ



726:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 00:46:00.15 moxv97H70
強盗が居座っている家に誰かが侵入して来て強盗を追い出しました。
家人は喜びましたが、後から侵入して来たのも強盗でしたとさ。
メデタシメデタシ

727:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 01:09:07.04 JmJPIKOr0
>>725
ではアイヌモシリであった北海道は日本の領土ですかとか言うややこしい話になるぞ。
日本が北海道を実効支配するのは、早くても18世紀末からだからな。
英領マレーとそんなに歴史変わらない。沖縄に至っては19世紀の最後だから。

それと「熱狂的な歓迎」をどこで受けてるんだよ?
例えばシンガポール、フィリピンでは歓迎どころか市民は破壊と殺戮にさらされて、
おかげで戦後、フィリピンは日本追及の急先鋒になってるんだが。
タイも日本軍進駐の際にトラブルで衝突が起きてるし、ベトナム、ミャンマー、インドネシアに関しても
途中でスカルノ・ハッタ、ホーチミン、アウンサンらに見切られている

728:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 01:13:03.54 JmJPIKOr0
ともかく国際法上はアメリカ領ハワイ準州に対する急迫不正の侵害を行ったのは日本。
これは間違いないだろ?アメリカの対日戦争はまさに正当な自衛権の行使。
一点の疑義もない。英領マレーも右に同じ。国際法上、他国の主権の及ぶ領土なんだから勝手に侵害してよいわけがない

日本は当時の帝国領だった台湾や朝鮮半島に米軍が爆撃を行ったら当然、侵略とみなすはずだ。
それともあれは日本領ではございませんと言って済ましてるか?

729:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 01:43:58.39 uN/LijxCO
なぜ左翼は植民地を正当といい、日本を侵略というのか
マレー、インド、インドネシア、フィリピン、南洋諸島、アメリカの黒人、みんな当初は歓迎
日本軍と一緒にた 戦った人も多い
朝鮮人も徴用前からたくさんの志願兵がいる
もちろん、その後、反感を抱いた地域もあるが、戦後当初から、日本に敵意を抱いている国は半島と
共産化後の中国くらいだ
ちなみにシンガポールは、イギリスの拠点、イギリスはシンガポール陥落などありえないと考えていた
だから、その後も激しい抵抗をした
山下大将が左遷されなければ、もっと戦局は違っただろう

730:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 01:52:42.06 uN/LijxCO
ちなみにフィリピンは、もうアメリカみたいだからね
英語にキリスト教と小数民族の弾圧
でも、今はフィリピンは親日派
なぜかわかりますか

731:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 20:04:04.10 rs8y2/j8O

相手が、インディアンを虐殺しまくった鬼畜米英だから、仕方なかったんだろ!



732:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 22:37:53.89 zF5/0Khn0
>>729
国際法上、自衛戦争と見なされるための要件があり、
それ以外は制裁戦争を除いて侵略戦争。つまり違法。
日本の真珠湾攻撃は経過はどうあれ米領土、英領土への不法な攻撃なの。

例えばいま日本で在日や左翼数百万が北朝鮮や中国の日本侵攻に呼応したとしたら、その事実をもって
(冗談じゃなくてフランスはソ連侵攻時にどう対応するか左翼が議論してるからな)
中国なり北朝鮮なりの侵略性を否定できるか?できないに決まってるだろ
日本領への侵害である以上、不正な侵害であることには間違いない

733:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/06 22:41:08.98 zF5/0Khn0
自衛権は国際法の中でも一番分かりやすいテーマなんだから、
真珠湾やマレー攻撃が合法だとか、無茶言わんで下さいよほんとに…

734:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 01:55:07.14 BBA6j+vtO
真珠湾なんて、自衛戦争だろ
偏った本ばかり読むなよ


735:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 11:53:21.75 VcFieYmV0
URLリンク(vipps.atwebpages.com)

736:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 12:39:08.97 bglmwEkW0
>>729 戦後に植民地解放のきっかけになってくれたことを日本に感謝した
国ってどことどこよ???? 自民党の時、国会答弁で皆無ですと言っている。
それどころか賠償金を請求してきたとこばかりじゃないか? アジア諸国は
恩知らずばかりなのか? 外務省も自民党もしらない事実があるのか?

737:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 13:43:47.23 Btg9QTX+0
>>725
うーん君は戦前をひとくくりにして全部一緒に見ているのではないかな?
日本人にありがちな歴史館ですよ 
例えば、今中国が欧米だって侵略したんだし中国も侵略していいだろって言ったらどう思う?
「大馬鹿もの、時代が違う」だろう

それと同じで、日本が侵略した時代ってのは世界の帝国主義・植民地侵略はとっくに終わった平和な時代だったの

>>729
ちょっと待って、なんで侵略者である日本を歓迎するの?解放?解放したか?戦時中に
フィリピンに関しては独立を勝ち取ってから日本が侵略してきて国が滅茶苦茶になった 解放も糞もない、日本が独立を妨害した
大体歓迎したなら現地軍と交戦してないってことでしょうが どんだけの日本兵が殺されたと?
>>736
外交時のお世辞を間に受けて大々的にいってるだけ 天皇だって原爆はしょうがないとか言ってるけど
それはポジショントークで本意じゃないでしょうと

738:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 13:51:00.75 Btg9QTX+0
大体、もしフィリピンやインドネシアが親日で日本軍に協力的であれば
なんでアメ公に負けたんだろうか?
さっさとインドシナ油田確保して、アメ公が欧州戦線でドイツに手こずってる間に
倒せたはず 実質3割程度の軍事力しか対日戦線には投入できなかったんだから
フィリピンやインドネシアで、徹底した武力抗戦があったから敗北したんだよ
奴等は国際法なんか守らずゲリラで徹底して攻撃してくるからな

とにかくお前のような親日で協力的だったとか言ってる奴は現地兵に殺害された英霊を侮辱してるわ
「そいつらは存在しなかった」ってしてんだから、まだ存在認めてバッシングするアホ左翼のほうがマシだわ・・・

739:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 18:09:29.01 cOVPd6RT0
>>729
山下は経歴的に昭和天皇に嫌われぬいているから、仕方ない。
天皇は日米開戦前から山下の栄転人事には悉く反対、拝謁もしないほどだよ

740:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/07 20:41:40.58 S/MPc3n+0
天皇が殺される覚悟で戦争に反対してたら阻止できたと思う。
軍部にいい顔したくて、責任を放棄した。
終戦時引責退位すべきだった、

741:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 02:00:13.94 KWiaMjClO
ちなみにインドネシアは建国記念に日本兵とともに独立したとやる
日本兵役の人もいる
インドは日本とともに戦った人とガンジーが同列に国会に飾られている
ペリリュー島は日本兵に感謝し、第二言語は日本語
台湾は、リトウキみたいに大変親日
ちなみに東南アジアで戦後戻ってきた欧米列強と戦った人の中にはたくさんの日本兵がいることは歴史的事実
もっと学ぼう
俺は昔、左翼だったんが、あまりに嘘や誇張がひどいことに気付いてやめたよ
右翼学者とか馬鹿にしてる奴ほど、ちゃんと調査してるんだよね
これ、マジで
ちなみに今は右より
封建時代じゃないしな
ちなみにマレー進駐は現地人に初期は歓迎されてるよ
ただ、政権に近いグループからは嫌がられた
つまり、双方の側面があるから、一概に決めるのはいかんよ
昭和天皇に開戦を回避できたかスレだが、論点ズレてるよ
まずは、当時の政治的状況、国内世論、天皇の実質的権力、
アメリカの思惑、ソ連、中国の動向、日本の経済、多角的に検討しないと、こんなとこで話す話にしては、難しいと思います。

742:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 03:54:39.54 P22SHIo80
インドネシアの独立闘争参加義勇兵は、内地帰還を拒否した日本兵が「脱走」して戦ってる。
しかも日本軍としては連合国に引き継ぎをする関係上、インドネシア独立派とは敵対する立場だった
独立闘争への協力はあくまで個人判断であり、スカルノ・ハッタが日本軍に見切りを付けていたのは事実

マレー作戦で「政権に近いグループ」と言うのが良く分からんが半島進撃はフィリピンと異なり、
比較的スムーズだったからそりゃ現地民には最初は解放軍だったろうよ

>右翼学者とか馬鹿にしてる奴ほど、ちゃんと調査してるんだよね
調査不足に右翼も左翼も関係ない。

743:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 13:23:31.53 ZfyCkmnL0
インドネシア人が日本軍を歓迎したのは地元伝説と日本軍が似ていたのと
独立解放の期待からです。またオランダ領時代より、地元民に権利は与えましたが、
日本は油田の確保からインドネシアは当初独立させませんでした。
そしてスカルノは独立するために積極的に日本軍に協力したほうが良いと考えていました。
その後、独立は容認されましたがそれは戦局が悪化したためです。

確かに大東亜共栄圏を打ち出しましが、南方進出は日中戦争が原因なので
東南アジア解放は後付けのプロパガンダそれを信じきってはいけない。

日本兵がインドネシア独立に参加したのは大東亜共栄圏のプロパガンダを
信じたことと、スカルノが積極的に日本軍協力したことで共感が生まれた
のでしょう。結果的に良いほうに進みました。

744:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 15:27:59.21 AKlWMUDd0
アメリカ………ベトナム戦争でベトナムに謝罪したことは一度もない。
イギリス……香港を植民地にしていたのに謝罪したことは一度もない。
フランス……ベトナム・アルジェリアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
オランダ……インドネシアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
ポルトガル……マカオを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
ドイツ………ナチの虐殺行為は認めたが、侵略を謝罪したことは一度もない。
ロシア………東欧諸国を戦後弾圧し続けてたが、民主化後謝罪したことは一度もない。
スペイン……フィリピンを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。
中国………世界各地で昔も今も侵略と虐殺を続けてるが謝罪したことは一度もない。
北朝鮮………朝鮮戦争で韓国を侵略したことを謝罪したことは一度もない。
韓国…………朝鮮戦争で北朝鮮を侵略したことを謝罪したことは一度もない。
日本…………全ての戦禍国に何度も謝罪している。ついでに賠償までしている。



745:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/08 15:45:50.55 AKlWMUDd0
「天皇の話はこうだった。
 『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で
行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。
あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』
大きな感動が私をゆさぶった。
死をともなう責任、それも私の知る限り、
明らかに天皇に帰すべきでない責任を、
進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。
私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても
日本で最高の紳士であると思った」
(マッカーサー回顧録一九六三年)

天皇とマッカーサーの会見は、はじめ一五分の予定だった。
しかし、マッカーサーは天皇の態度に深い感銘を受け、
会見は三五分にも及んだのである。
会見がなされると、その会見の要旨は後ほど通訳の手で文書にまとめられ、
侍従長に渡される習慣になっていた。
会見の翌日、藤田侍従長は、会見における天皇の発言の要旨を
文書にまとめたものを、通訳から受け取った。
藤田氏は、いつものようにそれに目を通したうえで、
天皇のもとに提出した。
藤田氏はこのとき、メモをとらなかった。
しかし彼はのちに、その内容について二つの点を
はっきり憶えていると言って、次のように著書の中に書いている。
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、
責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、
彼らには責任がない。
私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。
この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』
一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、
この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。
『かつて、戦い破れた国の元首で、
このような言葉を述べられたことは、
世界の歴史にも前例のないことと思う。
私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、
日本軍の復員が順調に進行しているのも、
これすべて陛下のお力添えである。
これからの占領政策の遂行にも、
陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。
どうか、よろしくお願い致したい』」
とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和三六年)。


746:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 03:17:01.27 2KJ207wK0
悪いけどそのマック手記と藤田手記はもう裏付けの点で散々批判されてるから。
まずマック手記に関しては回顧録の時点で戦後18年が経過していて美化矛盾が目立ち、
史料的にあまり良質なものとは言えないことを前提に

・1か月後、10月27日のアチソン・メモにまとめられた天皇元帥第1回会談内容は
「宣戦布告受領前に米国を攻撃する意図はなかったが東条が私を騙した」のであり、
しかし私は日本国民の行動の責任があると言う内容になっている。
この後半部分を無理に重視して「天皇が罪を背負った」と考える解釈もあるが、このメモのタイトルは
「東条が騙したと言う天皇発言」であり、東条が騙したと言う部分が主眼だったのは明らか
9月25日のクルックホーン記者との会見でも「天皇、東条に責任を転嫁する」と言う記事がNYT一面に掲載されており
それが国内紙に掲載される29日段階になって内務省は掲載紙を一時差し押さえている。
・また会見から2年以上が経過した信憑度に乏しいヴァイニング夫人日記でも、責任を負うと言う発言の直後に
天皇の自分は反戦であったと言う弁解と軍部非難が伝聞として付け加えられている。

その他の史料からも天皇は第1回会見の段階で東条以下に責任を転嫁する発言をしていると考えざるを得ない。

747:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 03:18:24.49 2xUEZvav0
>>741
そんなこといったら、韓国やアメリカでも親日派はいるから親日なのかって話になるじゃん

748:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 03:22:51.25 2xUEZvav0
>>742
そもそもインドネシア人で独立派が少数派だったことも
見逃してはならないと思うよ
あの時点で370年間、支配されていたんですよ 
日本が室町時代から支配されている、これで独立なんかしようと思いますかね?
仮に独立したい、という意志がある人でも、武力闘争して大量の犠牲者を出してまでは?って感じだったでしょう
それがインドネシア一般国民の意志ですよ
それほどインドネシア国民にとっては独立なんて夢物語で、夢物語だからどうでもいいことだった
一部の民族主義者だけが盛り上がっていた

749:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 03:24:58.25 2xUEZvav0
>>744
謝罪ってどういう意味での謝罪?
ドイツが第一次世界大戦後何されたかしってんの?

750:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 03:37:52.91 2KJ207wK0
また藤田尚徳の回想は、宮内省用箋5枚程度に会見の模様を外務省で纏め、
天覧に供したが、通常と異なり返却されなかったと言う前提で、
それに書かれてあったと称する天皇発言を紹介したもの。

ところが会見で唯一立会い、翻訳を勤めた奥村勝蔵が外務省官吏だから
奥村以外にこの種の文書を作成できる者はいない。ところが昭和50年に発掘された奥村手記では
「この戦争については自分としては極力これを避けたい考えでありましたが、
戦争となるの結果を見ましたことは自分の最も遺憾とする所であります」だけで、全責任発言など出てこない。
またマック側の回答に関しても、奥村手記と、天皇が会見後に語った趣旨(木戸幸一日記)の内容が一致しており、
・さらに昭和21年1月に英国王に当てた天皇親書でも奥村手記とほぼ同じ弁明がなされている
・藤田回想によればマックは「陛下」ユア・マジェスティと呼んだことになっているが、
奥村は「回想十年」において第4回会見の通訳を勤めながら、マ元帥が陛下と呼んだことに対して
「第1回の時にはついぞ聞かれなかった。大変な変わり方」と感想を述べている
・また、藤田は天皇の全責任発言に対して「かつて敗戦国の元首が…前例がない」とマ元帥が絶賛した
と言う趣旨のことを書いているが、これも奥村手記によれば
マ元帥が「世界にいかなる元首と言えども及ばざる所」と評した対象は、
「天皇の全責任発言」ではなく「聖断一度下れば軍隊も国民もこれに従う」状況であって
御稜威のしからしむる所だねと言っているに過ぎない。

藤田回想も作為的な匂いが濃い

751:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 03:41:12.58 2KJ207wK0
>>748
そうなると独立派と戦ったオランダ軍は民意の代表者と言うことになるけど?

752:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 07:28:58.20 GH7MDuC50
問題の『マッカーサー回顧録』と藤田尚徳『侍従長の回想』については、ID: 2KJ207wK0が
詳しく解説しているので一部だけ補足を。まず、『マッカーサー回顧録』は療養中だったにもかかわらず
日露戦争の観戦記が記されていたり、裏付けがないまま昭和天皇が連合軍の戦犯リストに挙げられていたという
記述があるなど、歴史研究家の間では信憑性が問題視されているもの。史料批判を踏まえて用いるべきもので、
そっくりそのまま史実として信じてはいけないというのが前提。

くだんの昭和天皇・マッカーサー会談については、後に明らかになったアチソンが国務省あてに発した
極秘電報(会談の一ヶ月後にマッカーサーがアチソンに語り、それをメモした内容が元になってる)によって
語られた内容が分かった。ポイントは二つあり、「開戦通告前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、
東條のトリックにかけられたから」という釈明と「それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。
天皇は日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだ」という二点。

前者は東京裁判との関係や、天皇が臣下を批判することは好ましくないとして長らく伏せられていた。
それ故、後者のみが一人歩きをして尾ひれが付いて(その尾ひれはマッカーサーや藤田らが付けた)、
問題の多い前者(東条への言及)は語られることはなかった。しかし、アチソン発国務省あて極秘電報の
存在や、開戦をめぐるクルックホーン記者との会見、英国王室宛の親書、木戸幸一日記による天皇を守るために
「みな東条に押しつけて」という記述などによって、天皇と宮内側近らがどの様に考え、どんな行動を採ったのか、
その全体像が見えてくる。反東条だった東久邇宮などはあからさまに「全て東条の責任にしてしまえ」と言った。

古川隆久が著した「昭和天皇」では、宮中と軍部との対立が戦前から顕著化していた事実を豊富な史料を元に
示しているが、昭和天皇と宮内側近らが対立する中で軍部に引きずられて開戦を余儀なくされたという、
苦渋の思いを吐露したとしても不思議はなく、寧ろマッカーサー会談での東条に対する批判こそ、昭和天皇の
偽らざる思いであったと受け取った方が整合性がある。


753:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 13:25:40.92 W8E84Rd00
昔から新しい実力者が上洛してきたら昨日までの忠臣を討伐せよとの勅を
出すのが天皇スタンダード。マッカーサーという東人が上洛してきたので
忠臣東条は切り捨てられたわけだ。

そうするとネトウヨが東条さんを持ち上げるのは不忠の極みということに
なってしまうな。

754:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 16:45:21.51 XKDBzuSh0
インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙してた時、遠くから歌が聞こえてきた。
知らない言葉の歌だったが味方じゃないことは確かなので銃をそちらに向けたとき、上官に殴り飛ばされた。

何がなんだかわからなかったが不思議なことに、パキスタン側でも銃声がやんでいた。
歌声の主は数人の年寄りで、われわれに気づかないのか旗を持って一列で歩いてきていた。
われわれ側もパキスタン側もその数人のお年寄りが
通り過ぎて見えたくなるまで一発の銃弾も発射しなかった。

結局その日から2日間は戦闘は再開されなかった。
停戦命令も出ていないのにどうして戦闘がやんだのかわからずに、上官に聞きに言った。

その年寄りたちが歌っていたのは日本の軍歌で持っていた旗は日の丸だということを聞いた。

その話を聞いてその夜は泣いた。
ものすごく泣いた。

その年寄りたちは第二次世界大戦で死んだ戦友を弔いに来ていたのだと知った。
こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年もたっているのに、
戦友を弔うためにこんなところまで来てくれる人たちがいることに涙が出た。

あとから知ったが、パキスタン側もそれが日本人で
かつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った人たちだと知って
敬意を表して戦闘を中断したそうだ。

この半年後、傭兵を辞めて日本に留学した。
たくさん勉強して日本語の読み書きも覚えた。
何年もたって、日本のお酒が飲めるようになって、サクラを見ながら飲んでいたとき、
サクラの花びらがコップに入った。

それを見て急に涙が出てきた。
あの年寄りたちのことを思いだした。
日本人が本当にうらやましい

755:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 16:52:23.65 XKDBzuSh0
悪いけどそのマック手記と藤田手記はもう裏付けの点で散々批判されてるから←証拠なし
史実として信じてはいけないというのが前提←左翼としては、そういうことにしたいだけ
昔から新しい実力者が上洛してきたら昨日までの忠臣を討伐せよとの勅を
出すのが天皇スタンダード。マッカーサーという東人が上洛してきたので
忠臣東条は切り捨てられたわけだ←そんなものはない、ていうか。朝鮮人オツ

天皇制度は日本の根幹だったから、守ろうと画策したのは当たり前
だから、回顧録等が偽だとはなたない

まぁ、国民の大半は、マッカーサー回顧録を真実と思ってるだろうからいいけどね
おつかれ、日教組チーム

756:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 19:33:11.71 tYj2jqFx0
天皇が軍部に戦争やめさせてもアメリカの日本占領が早まっただけ。
何も変わらん。

757:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 19:36:50.63 63WYWt3K0
昭和天皇が平和主義者ではないし、戦争にも口出をしている。
東条が裁かれるなら昭和天皇も裁かれるのは当然ですね。
杉山メモより。

陛下 来年の春迄[ラバウルを]持つと云ふが持てるか
杉山 第1の通り回答[「御下問奉答資料」の番号と推定される]
陛下 後ろの線に退ると云ふが、後ろの線之が重点だね。
杉山 左様で御座居ます 後ろの線が重点で御座居ます 数千粁の正面の防
   備 これは来春迄には概成しか出来ません。それ迄の間前方は持たな
   ければなりません
永野 「ラバウル」が無くなると聯合艦隊の居所は無くなり、為に有為なる戦略
   態勢が崩れます。「ラバウル」には出来る丈永く居たいと存じます
陛下 それはお前の希望であろうが、あそこに兵を置いても補給は充分出来る
   のか それならしつかり「ラバウル」に補給できる様にせねばいけない
   それから其所へ敵が来たら海上で敵を叩きつけることが出来るならば良
   いが、それがどうも少しも出来て居ない


758:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 19:41:20.29 czPV4Bt90
>>756
どう変わらんの?
シベリア抑留も北方領土も原爆も大空襲も

759:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 22:37:00.35 gc5W2SQ40
憲法に「天皇は陸海軍を統帥す」とある以上は
参謀総長に御下問のあることは何ら不思議ではないんだがなあ。
ヒトラーがやったみたいに
「レニングラードを完全に廃墟とせよ。敵の降伏も認めるな」と
命令したりしたなら話は別だけど。

760:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 22:49:36.53 gc5W2SQ40
昭和天皇を批判する人でも「戦争をしたこと自体許せない」と
「政治・軍事的指導の功罪」を指摘する人に分かれるよね。

俺は戦争が心底嫌いだけど、そのことで昭和天皇を批判しても仕方ないと思ってる。
それで昭和天皇が有罪ならジョージ6世ほか20世紀の君主、大統領、首相殆ど有罪だ。

問題は君主としての功罪だよ。
昭和天皇ひとりだけの罪責でもないだろうし。

俺が評価するのは三国同盟に終始拒否感を持っていた事と
終戦の聖断と終生公務を生真面目に務めたこと、鄧小平やアキノ大統領に謝罪したり
朝鮮への罪責感を持っていたこと等。

問題は「満洲は田舎」という甘い認識と、軍部への事後承諾、
一撃和平論に拘ってしまったこと。

761:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 22:53:42.32 gc5W2SQ40
一撃和平論については、無条件降伏を強要した連合国にも罪責はあると思うけどね。
イラク戦争や「対テロ」戦争でのアメリカの振る舞いを見る限り
全然アメリカは学習してない。

762:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/09 23:01:04.35 gc5W2SQ40
政治は結果が全て、と言うけど、歴史を語るときに
それだけではいかんと思うんだよなあ。
「本人がどれだけ苦悩したか」ってことも
捉えてあげるべきかと。

763:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 00:59:27.52 vjNIT+ygO
戦争責任が公平であった歴史は今だかつてない。
日本がアメリカとの和平に消極的であったわけではない。
戦争は悲しく悲惨極まりない。それは日本人もわかっていた。
でも、開戦に到ったのは、誰も回避できなかったからだろう。
日米開戦は中国やソ連が、積極的開戦工作をし、日本に不利になるように活動していたことは、コミンテルンの記録からも明らか
東條にしても、部下はたよんなかったが、馬鹿ではないし、東京裁判においても毅然とのぞみ、もちろん死刑になることもわかっていただろう。
あの頃、欧米の侵略が落ち着いていたとか言う人がいたけど、
それは日本がアジアで台頭してきたからです。
実際に戦後、欧米は植民地の奪回以外に新たな領土の拡大を行っています。
戦争を回避するには日本は資源を失い、莫大な債務を払わねばならなくなり、遅かれ早かれ、経済は破綻し、半ば植民地となったと思います。
ちなみに日本は資源がないので、赤に染まったかもわかりません
ちなみに、スターリン、毛沢東、ヒトラー、ポルポトに共通することは、みんな社会主義だということです
ヒトラーも社会主義ですよ、政策もですが、一党独裁ですから
ちなみにルーズベルトも社会主義的立場でしたし、部下はソ連のスパイでした
日本における大政翼讃会は、国によって組織したものではなく、今みたいに非常事態だから、党を超えて協力してほしいと言ったら
みんな勝手に解党しただけで、共産党ですら自発的に同調しています

764:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 01:21:25.95 UF9Ydkqh0
>>759
だから今日でも保守的な論者はそれがあくまで「内奏」「御下問」じゃないか
といって強引に無視する。まあ今ではそう言い張ること自体が批判されるので、触れない。
しかし実態を見ると成案が出来るまでの過程で、
天皇が反対の意思表示をしたり難色を示した場合、ほとんど内閣が再考を迫られている

ロッキード事件の田中角栄と同じで職務権限があったと言うしかない

765:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 01:26:24.20 UF9Ydkqh0
>>755
史料を無視するなら学問板に来るな。お前みたいなのは迷惑
せめて挙げられてる部分だけでも見て論じろ。嫌なら政治思想板でいくらでもやってろ
>>761
近衛案を無視したのは天皇自身なんだから仕方ない


766:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 01:56:31.98 vjNIT+ygO
近衛案なんて、開戦前から、全面降伏みたいな案じゃないか
時代背景とか歴史わかって言ってるんか
近衛案ならクーデターだろ
あっ、赤には都合いいのか

767:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 02:05:56.57 vjNIT+ygO
ちなみに杉山メモの一部を引用してるやつがいるが、ちゃんと杉山が開戦楽観論を天皇に執拗に唱えたことや、東條らの原爆で勝てるという上奏を、昭和天皇が、何をやってものではなく勝てばいいと思うのかと、激しく叱責したのも知ってるよな

768:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 02:36:37.39 vjNIT+ygO
ちなみに奥村メモは5枚ほどあったと言われ、外務省用メモと宮内庁用メモがある
外務省メモは昭和天皇は責任に言及していないが、メモは少なく、宮内庁メモは昭和天皇は自らの責任に言及し、マッカーサ回顧録とあまりかわらず、5枚ある
また、アチソンの電文は他にもあり、自ら責任をとると言った回顧録を補完するものもある
また、当時のマッカーサの副官は会見後のマッカーサが怒りをださず、疲れた様子で、天皇をキリストに例え、
天皇制の必要性を語ったと言う
奥村も二回目の交渉でマッカーサが人が変わったようにうやうやしく昭和天皇に接したと記録している

769:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 08:40:30.49 Zh8OQKDS0
>>766
近衛上奏(天皇退位・講和案)には米内、岡田、吉田、埴田らも噛んでるよ
近衛上奏を退けて一撃講和論を選択したのは天皇自身
>>767
じゃあ杉山に絶対に勝てるかと叱責した後で、
永野修身の進言でご機嫌が直って、原案1項2項の順序入れ替えを進言したら
「原案の通りでよし」と言ったのも当然知ってるよね?
>>768
手元に返ってこないと藤田自身が言ってる宮内庁用メモと、外務省用メモのどちらが信用性が高いと思う?
後半部分についてはソースを挙げ、それがどのように天皇の全責任発言と繋がるのか説明してくれ
少なくともユアマジェスティと言う敬称は第4回の出来事だと奥村がはっきり言ってるんだが

770:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 08:56:38.32 Zh8OQKDS0
あと古川隆久が不満なのは、最初から天皇が避戦意思を持っていたと言うストーリーに会う部分だけ
探してきてるんだよね。天皇が開戦論に近づき、第3次近衛内閣の末期に近衛が不満を漏らしてたとか
天皇の信条が変化していった部分は触れていない
開戦経緯に関しては総花的な記述だなと言う不満感は拭えない

771:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 09:12:36.45 Zh8OQKDS0
>>760
いや、そういう風に分けるのは妥当じゃない。批判とか何とかではなく、
天皇が実際何をしたかきちんと検証する必要がある。検証をも批判と取るのは既に感情的な反応
その上で
>俺が評価するのは三国同盟に終始拒否感を持っていた事
ただ、天皇は三国同盟締結の段階では松岡外交を完全に黙認してるんだよ。
英勝利を予想して提携に懐疑的だった西園寺とずれていっている

772:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 09:19:27.47 P2uyuCan0
>>770
読んでいて自分もそれは感じた。豊下説には一定の理解を示しながらも、大筋では否定的で
昭和天皇が平和主義者だったという文脈で一貫してるという印象を受けたよ。
確かに昭和天皇を軸にすると客観的な評価が保てず偏り勝ちになるからね。
僕は古川が書いた様な憲法の遵守に努め、帝国憲法に従って振る舞った君主という文脈よりは、
情勢を重んじて幾度も決断を誤ったとする豊下が示した認識の方が、昭和天皇の実像に近いと思う。
端的なのは「満州は田舎だから」として、満州事変の違法性を軽く見ていたことが挙げられよう。
憲法を重んじていたのなら、西園寺が変節しようと事変の首謀者らに対しては厳罰で臨むべきだったし、
それ以降の関東軍や軍部の暴走も抑止できたはずだ。


773:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 09:22:59.69 lcg4N9Rj0
天皇差し戻しがあったって、
その後再奏すれば、結局は通ってたのはどうなん?

774:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 12:58:51.79 O1itPJN30
岡田、木戸の書いたものを見ても、天皇が留保を加えれば内閣のほうが再考するのが常態
天皇の明示黙示の意思表示を行ったのに、再び機械的に上奏した例なんてないでしょ。


775:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 12:59:49.19 vjNIT+ygO
さすがに過疎スレ
左翼馬鹿ばかりだな
あの時代は欧米各国による侵略の時代
欧米に張り合い、勢力の拡大をはからなければ、日本の自立はなかった。
日本は英米からの借款等も多く、日本の軍隊が大規模に縮小すれば、円の価値はなくなり
資源を輸入するためには不平等な条約をむすばなければならなかったはず
それは日本が国連にだした人種差別撤廃条約が多数の支持を得ながら
議長国アメリカの一存で否決されたことでもわかる
あの時代に平和主義なんかなく、あくまで、国家国民をいかに守るか試行錯誤をしている時代
ぶれるのは当たり前だし、日清、日露後、軍閥が力をつけてきた時代背景を無視し、
昭和天皇が戦争を承認したから悪いとか、言うような話ではない
また、米国が日本の先制攻撃を待っていたことは、ハルやルーズベルトの書簡からも明らかであり、
日本が責められる理由はない
ただ、負けただけだ

776:名無しさん@お腹いっぱい。
11/10/10 13:27:26.38 P2uyuCan0
>>775
> さすがに過疎スレ
過疎スレはその通りだと思うが、もう少し学問的に価値のあるレスをして欲しいなあ。

> あの時代は欧米各国による侵略の時代
君のいう「あの時代」とは、昭和天皇が在位した時代のことだよね?
ここは昭和天皇と戦争について語るスレだから、昭和初期からの時代が前提となるはず。
そうだとすれば、明治天皇在位の時代とは大きく国際情勢が変わっており、
欧米各国による侵略はやめて国際協調をしよう、戦争によって起きる惨禍をできるだけ無くそうとして、
不戦条約や九カ国条約が結ばれ調停機関として連盟が設立された時代だよ。それに加えて
民族自決の気運が高まりだして、植民地経営も曲がり角に来ていた。

> それは日本が国連にだした人種差別撤廃条約が多数の支持を得ながら
日本はハナから同案を通せるとは思っていなかったよ。どちらかといえば中国利権についての日本の主張を
有利に運ぶために持ち出したというのが歴史的な同案の評価。

> 昭和天皇が戦争を承認したから悪いとか、言うような話ではない
でも、昭和天皇は終戦直後から開戦責任が自分に及ばないよう幾つもの工作をしてるよ。
天皇自身は戦争責任を問われることを凄く気にしていた。




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