11/03/30 20:02:56.75 z7MGyXm10
>>388
>伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
>重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた
「憲法義解」に直接の該当箇所が見つけられなかったので、「言挙げ」という言葉がどのような
文脈で使用されたかは不明だが、「言挙げ」とは本来、言葉で表現されない神意を言葉で定義し
表現する事を言う。つまり、天皇は語らず、元老が心意を慮り代わって発言すると言うことにな
ると考えれば、これは結局の所、天皇の権威を借りて元老が権限を行使すると言っているに等しい。
藩閥が、自身の権力を憲法上で正当に定義することができず、天皇という権威に伺候するという
形でしか存続できなかった(これが憲法制定時における”政治力学”)が故に、後の民権派との
党争には軍の勢力と天皇の権威を高めるという手段でしか対抗できなくなったということ。
政治の世界においては学説の争いは自己を正当化するための道具の一つでしかない。上杉・美濃部論争
もその一つでしょ。
明治憲法の最大のセキュリティホールは天皇・軍と言うよりも元老・藩閥であったのではないかな?