昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの?at HISTORY2
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? - 暇つぶし2ch388:名無しさん@お腹いっぱい。
11/03/30 11:06:46.63 Awse90yC0
>>382
>帝国憲法制定の段階では議会制自体が懐疑の対象であり、いつでも元老が天皇をつかって
>オーバーライドできるようにつくっており、それは政府・軍どちらも同様の機構となっていた。
伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた。天皇があやまった決定を下さぬよう
元老の補弼は間違いの無いよう慎重を期するという意味だ。使うのは元老ではなく天皇の方。

>本来であれば、それは議会制の成熟と共に改変していくべきものであったし、
>実際そうなりつつあったが、藩閥が権力の源泉としてきた軍の後始末に失敗
>したことがすべての崩壊に繋がった。
元々、軍組織は設立当初から独立した組織として運営されていたため、天皇直属の皇軍であった。
軍の指導的立場の者が藩閥の中心として一定以上の発言権を持つ元勲であったため、山縣は天皇による
統制を考えて「軍人勅諭」を想起した。こうした経緯からいっても軍閥に手を出すのはおおよそ不可能。

>その意味では、大正時代の政治の民主化が早すぎであり、軍の民主化が
>済んでからやるべきだったのかもしれない。
大正時代に行われたのは(大正デモクラシーと呼ばれてはいるが)吉野作造がいうところの「民本主義」であり、
民主化とはいっても限界があった。また、大正期の民主化運動の隆盛は、その反面で既得権を持つ元勲や
保守傾向の強い勢力からは危険思想とみなされ、様々な駆け引きが行われていた。その理論的中心となったのが
東大の憲法学者であった上杉慎吉が主張した天皇主権説である。この主張は上杉・美濃部論争によって
学問的には葬り去られたが、民主化を敵視する勢力にとっては力強い論客となった。

また、明治憲法制定には大正デモクラシーに連なる在野の民主化運動が大きく影響しており、
民主化による人権に一定の理解を示しながら、それを天皇の恩寵であると規定することでガス抜きを図り
天皇の臣民として労働者運動や民主化運動を牽制する理由も見過ごせないことは付け加えておこう。



次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch